恋はいつの間にか、仲間意識に昇華してしまった。
彼の背負うものがあまりに大きかったから、気後れしてしまったというわけではない。
それさえ一緒に抱え込んで、愛したいと思った。
だけれどいつのまにか、想いは恋どころか愛をも越えていた。
一方、尊敬や信頼の感情は逆に、いつの間にか恋や愛に変わってしまっていた。
「せんせー!」
任務完了の報告書を提出し、受付を出たところでサクラに声をかけられた。
もうとっくに先生ではないのだが、呼びたいように呼ばせてやっている。というよりも、いまさら別の呼び方をされたところで気恥ずかしいだろうと言った理由が主だった。
「おー、サクラー」
「もう、また猫背!」
こちらの挨拶など聞かず、サクラはカカシに駆け寄るなり、背をバン!と遠慮なく叩く。
これはその昔、第7班を結成したばかりの頃からの日常である。
「いてて」
「しゃきっとしてよ!先生、自分の立場の自覚持ってよね!」
サクラは今年で20歳になる。はじめてカカシと出会ってからかれこれ8年。それだけの月日がたてば、否が応でも環境の変化はある。
特にカカシは実力のある上忍なのだし、それなりの地位というのを得たりもする。拒んだところで逃れられない、社会の事情というものはこの里にもある。
だけれど情けないわねーと言いながら、ずっと変わらない様子のカカシをサクラも嬉しく思っていたりもするのだから、内心複雑である。
「サクラちゃんはなーにやってるの?」
「実はこれから患者さんを診に行く予定だったんだけど、いろいろあって変更になってね。予定がぽっかり空いちゃった」
時刻は夕方。まっすぐ帰ってもいいのだけれど、まだ明るいせいか、あまりひとりで夜を過ごす気にはなれなかった。
かと言ってこんな中途半端な時間では、付き合ってくれる友人を探すのも一苦労だ。ただでさえ、決まった休みのない忍びという職業柄、友情より愛を選ばれるのは致し方ない。責めるのは相手でなく、恋人を作ろうとしない自分である。
「こういうとき、彼氏欲しいって思うのよね。ゲンキンだとは思うけど」
物憂げにため息をつくサクラの様子に、カカシは女を感じずにはいられなかった。
窓から差し込むオレンジ色の夕陽も相乗効果となり、その要素を高めているのではないか。
「先生ヒマ? デートしましょう」
やけにニッコリと笑った顔に悪意は間違いなくないのだが、あっさり「ヒマ」と言い切られるのはなんだかシャクだった。とはいえ今日は予定より早く仕事が切り上げられたので、確かにヒマで間違いはないのだが。
しかしデートという響きの甘さに懐かしいしびれを思い出し、それについては特に言及しないまま、どちらともなく歩き出す。
なんだかんだ言って、若い女の子と隣を歩くのは、カカシとて悪い気はしない。
サクラに浮いた話はない。
今はない、のではなく、少なくとも自分の知る限りでは、一度もない。
カカシとしては、サクラはてっきりすぐに結婚するものだとばかり思っていた。
初恋が叶うのか、はたまた別の誰かに恋をするのか、それはわからないけれど。
しかしそれどころか、木の葉の里の適齢期ともいえる20歳になろうという今も、恋人ひとり作ろうとしないことが、カカシには不思議で仕方なかったのだ。
(下心チラつかせて近づいてくる男は絶えないだろうに)
現にサクラと隣を歩くカカシには、恨めしさのこもった視線のいくつかが投げられていた。というかおそらくそれらは殺気と分類しても間違いではないだろう。
5代目火影の綱手に猫かわいがりされている、ただでさえ目立つポジションに従事しているサクラ。それでなくとも少女から女性へと変貌を遂げたその容姿は、素直に褒められるものだと思うのだが。
「サクラはどうして恋人作らないの?」
「どうしてって、もてないからよ」
あまりにあっさり返された答えに、カカシは苦笑いするしかなかった。
そういえば昔から、サクラは向けられた愛情には鈍感であった。
「サスケくんサスケくん言ってたころが懐かしいわ。ああいうストレートな感情のぶつけ方、もうできなくなっちゃった」
「なーに言ってるの若者が。青春しなさい」
「ガイ先生みたいなこと言わないでー」
「うわ、最悪。それってどんな侮辱の言葉よりある意味ショック」
先生ひどーい、ガイ先生かわいそーと言いながら、サクラもケラケラ笑っている。
ふたりは出会ってから8年間、きっとちっとも変わっていない。周りの環境がいかに変わろうと、互いの関係はきっとずっと先生と生徒であり、気の置けない仲間であり続けるのだ。
少なくともカカシはそう思っていた。現に今、上司に対してここまであけすけにぶつかってきてくれる存在は珍しく、だからこそ少し嬉しい。
「…正直なところ、ちょっと面倒だったりもするのよね。前に声かけてくれた男の子と気まぐれでデートしたこともあったけど、こっちは何も知らないのに、向こうは『前からずっと〜』なんていって勝手に盛り上がってるし」
「へえ?」
「嬉しくないわけじゃないけど、でも外側から見たあたしの一面だけ取り上げて、勝手に理想の全体像作り上げられても困っちゃうのよね。現になんかの拍子でぶち切れちゃったら、『春野さんはそんな人じゃない!』ですって。ひどいと思わない〜?」
勝手に妄想膨らませてたのはそっちなのにね。そうつけたしてから、サクラは二度目のため息をつく。
カカシも8割頷きながら、とはいえサクラが“ぶち切れちゃった”場合は、確かに想像に容易くないのだから、まぁその相手のショックもわからなくはないな…とも思う。それくらい強烈なのだ。サクラの切れっぷりは。それはそれはもう5代目の再来と言われたほどに…。
思わず青くなってしまうような光景を思い浮かべかけていると、サクラが「それにね」とつづけた。
「たとえ好意を向けられても、それが冗談か本気かを見極める過程がめんどうになっちゃって。だったら自分の恋を育てたほうがやっぱり効率いいかなって」
「…オレが思うに、向けられた好意に自分をあてはめたほうがラクじゃないかしらと思うんだけど」
「自分らしくないと思っても、相手の求めるサクラちゃん像を取り繕えってこと?」
「ウフフ、年取ると柔軟な対応ができるようにもなっちゃうのよ」
「…それって妥協って言葉と言い換えてるんじゃなくて?」
「そうとも言うね」
ふと、ずっと横に並んで歩いていたサクラが歩調を緩め、カカシのうしろについた。
何事かと思えば、向かいから顔見知りの上忍が歩いてきた。軽く手を上げて挨拶すると、サクラはきちんと礼をしていた。
本来なら、自分たちの関係もこういったものであるはずなのだ。
「先生はそうしてきたんだ?」
「んー…」
すれ違う上忍をやりすごし、サクラが再びカカシの横へ並んでくる。
たとえ世間的にどうだとしても、やはり自分たちにはこの関係がやりやすい。
「向けられた好意をそれなりに受け取っておけば、簡単に恋人なんてできるんだよ。いくらでも」
「…人でなし」
「言うね」
「でも、きっと先生のことだから。ぬかりなくあとくされないひとばっか選んできたんでしょうけど」
「そーかもねぇ」
別にありのままを告げたところで問題はないだろうと思うのだが。
なんとなく、カカシはみなまで言わなかった。感づいているのならそれでいいし、わかってないならそれはそれで。
そもそも、恋人だなんてカテゴリーで、女性を意識したことがなかった。
性欲のはけ口であり、色々と都合の良いポジションに置いておく存在であり。
向けられた色目は気が向けば受け取ったし、適当に付き合って飽きれば別れを告げる。
だからこそ、本気と思える態度の人間には、不用意に近づかなかった。
「本当にラクなのは、身近で、サクラのことよく知ってて、それでいてサクラに好意を抱いてるような男の子なんだけどね」
「そんな都合いい話あるわけないでしょー」
「あははー」
「ちょっと! 今の笑うところじゃないんですけど!」
ぷりぷりと怒り出すサクラを見て、また吹き出す。もちろんそれが再び怒りを買うことになるのだが、それでも止められなかった。さっき夕陽を浴びた女がいたと思ったが、まさかそれと同一人物とは思えないくらいの見事な百面相っぷりである。
最も、昔から表情豊かな子だと言うのが、カカシのサクラに対する感想である。
「まー、まー。でもね、どんなに想われてても、こっちが好きじゃないんじゃしょうがないよね」
「でも、こんな自分をすきって言ってくれてるだけで、あたしとしては随分とポイント高いなぁ」
「お?」
「先生は、嫌い? そういうの。全部知ってて、それでも好きだよ、って気持ち」
「うーん…。それは最後の手段だね。覚悟決めるとき」
「覚悟?」
「そー。結婚ですよ結婚」
自分で言っていて、なんとも現実味のない言葉だとカカシは自嘲気味に笑う。
結婚、だと。
失うのが怖いから、大切な人も極力作らない。そんなへたな生き方を、これまでしてきてしまったのだから。
あとくされのない関係ばかり求めるのも、それが理由のひとつ。
なにより、いつ死ぬかわからないような自分を、すべてまるごと愛せる人間など、いやしない。
それがふたつめの理由であり、決定打だった。
それからしばらく、次の話題を切り出せないまま、建物を出た。
そういえば夕飯の選択はどうしようかなどとぼんやり考えていると、突拍子もないことを言われた。
「早く24歳にならないかなーぁ」
「えー、サクラが24なんつったらオレ38歳よ」
「えっ」
「えっ、って何よ。抗いようもない現実を述べただけじゃないか」
翡翠色の目を真ん丸くして、思わず歩みも止めてしまうほど驚いたのか。
サクラ?と呼びかけると、ようやくまばたきをして、再び歩き出す。
「38か…」
「オジサンだねぇ」
「オジ…さん…よねぇ」
ここで深いため息。回数としては3回目だが、なぜかカカシには、これまでの2回とは明らかに異質であるものだとわかった。しかしそれはなぜなのか、そこまでは汲み取れない。
そもそもこのタイミングでは、むしろため息をつきたくなるのはカカシのほうだというのに。
「でも先生は先生だものね」
「…それって、さっきの勝手な理想像のはなしと実は同じじゃない?」
「これは美談よ。現実逃避とも言うかもしれないけど」
「サクラちゃん、フォローする気あるの?ないの?」
「冗談よ。どうせ若かろうがオジサンだろうが、カカシ先生はいつまでもだらしない、でもときどき頼りになる先生だわ」
「…へーえ」
なにやらすっかり自己満足気味なサクラであったが、いまいち真意をはかりかね、カカシは曖昧に笑うしかなかった。
褒められているようでそうでもない。とはいえ、あまりにも的を射た意見である。
「で、なにが24歳につながるわけ?」
「えっ」
ごく当たり前の質問だと思うのだが、サクラはぽかんとしたまま見つめ返してくるだけだった。
しばらくしてふいと顔を背けると、少し早歩きになってカカシを追い越した。
「先生サイテー。思い出すまで教えてあげない」
「ええ〜、なんのこっちゃ」
あたしが24になったら教えてあげてもいいけど、サクラはそういいかけて、やめた。
あとくされのない関係なんて、いまのうちにたくさんしておけばいい。あと数年の辛抱よ。
恋をめんどくさがるわたしが、本当は一番めんどくさいタイプだって、きっとあなたは思ってるでしょうけど。
遅れをとったカカシが、ほんの少し歩調を速めて近づいてくるのがわかったので、くるりと振り返ってきっぱりと言い放つ。
「わたし、次にするのは愛の告白じゃなくてきっとプロポーズだわ」
(08,12,09up)
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イマイの恋愛感…というわけでは、ないです。いやマジでww