さよならを短く告げたあと、ひでえ女と冷たい声で罵られた。
背を向け立ち去る彼に、なんの感情も湧きはしない。最初からそうだったのだから、当然だ。
(最初から、好きでもなんでもなかった)
それならばどうして、求めてしまうのか。
彼と以前連れ立って歩いていたとき、サイと出くわした。
すれ違いざま、「その程度でいいんだ、」と相変わらず感情の読みにくい表情で告げられ、背筋が凍りつくような、いやな焦りを感じたことを思い出す。
サイの言葉に怯えたのは、それがあまりにも的を射ていたからだ。
去っていったあの彼がその程度、なのではない。問題は、わたしが。
いっときの寂しさを埋める、そのためだけに繰り返してしまう、そんなわたしの弱さを指摘されたようで、唇を噛んだ。
こんな気持ちならば誰といたって、心を通わせることも、満たされることもありはしないのに。
そうして今回も結局、サイの言葉どおり、その程度の付き合いで終わってしまった。
大事に守りたいと想うばかりに、触れることをためらい、本当に大切なものにはいつしか手を伸ばすことができなくなってしまった。
子どもの頃には確かに持っていた、まっすぐな気持ちを一体どこに置き忘れてしまったのか。
いやだな。あの頃の自分は、きっとこんなわたしを嫌うだろう。
ひとつ長く息を吐き出してから、しかし背を向けたまま、ずっと気になっていた気配に向けてつぶやく。
「悪趣味よ、カカシ先生」
ガサ、と背後の生垣が揺れる。腰も上げずにのっそりと姿を現す元担任にようやく振り返れば、向ける視線はなんとはなしに冷ややかなものになってしまう。
「あー…、ばれてた?」
コホン、とわざとらしい咳払いをしたあと、生垣をすり抜けたおかげで乱れてしまった髪をなでつける。
いつから気付いてたの?最初からよ。
姿なんか隠したって、わざとらしく晒した気配で気付くだろうことくらいわかっているはずなのに、シラを切ろうとする態度が鼻についた。
「こんな白昼の往来でずいぶんドラマチックだったな」
「先生こそ、こんな日の高いうちから発禁本片手に木陰でお昼寝ですか?」
言ってから、あまりにもそれはいつもどおりのことで、何の嫌味にもならなかったことに気がついた。
先生が、右手に持っていた馴染みの本を顔の高さまで持ち上げ、ご名答ーとだらしなく笑うのに、楽しそうでいいですねとつとめて平静を装い返した、つもりだ。ひょっとしたら呆れる気持ちが隠しきれていなかったかもしれないけれど。
「じゃあ、わたしはこれで」
「え、もう行っちゃうの。せっかく先生の胸を貸してあげようと思ったのに」
「…別に、間に合ってます」
普段からふざけたように言葉を交わすことはあったけれど、こんな男女の問題に軽口を挟まれるのは少し居心地が悪い。
なにより、本当に泣くような出来事でもなかったのだから、なおさらだ。きっとまた別の誰かが、そのうち胸を貸してくれるだろうし。
改めてじゃあ、と踵を返そうとするも、再び待ちなさいよと引き止められる。
「ずいぶん奔放みたいだな」
「先生までそんなお母さんみたいなこと言うの? わたしだってもう子どもじゃないのよ」
内心、まさにいま頭に浮かんでいたことを見抜かれていたように思えて、どきりとした。
このひとの耳にまで入っていたのか。どうせ正義漢なアイツが、手に負えずに相談を持ちかけたのだろう。
そういうところ、好きだけど、好きじゃない。
アイツが好きでいてくれたわたしは、もういない。きっとそれが悲しいのだ。
それでもわたしはちゃんと大丈夫なのに。あんなにそばにいたくせに、ちっともわかってないのね。アイツも、先生も。
鬱陶しいな、と感じたままの態度を隠すでもなく見下ろすわたしに、怒ることもせずやさしく笑う。
「うん、知ってる」
あくまで柔和な対応だったが、反して。
子どもだなんて思っていないよ、だから。そう言って向けられたのは、男の顔。
これまで見たことのない、先生ではない、男の顔。
「そろそろ俺で手ェ打っておく?」
一瞬、呼吸を忘れた。
いつもはわたしが見上げるばかりだった背の高い彼の、まっすぐにこちらを見上げてくる視線。
脳の深い部分を震わせるような低い声。
心臓が大きく跳ねた。
ちがう、これは、ただ、驚いているだけだ。
別に、特別なんかでは、ない。彼だってこれまでの男と一緒だ。だけど。
(ああ、こわい)
こちらの出方ひとつで、またひとつ失ってしまう。
信頼する大好きな先生から、ただの男になってしまう。
だめだ、いけない。いつまでもそばで見守っていたいのなら、手を伸ばしてはだめだ。
それなのに。
このひとなら、と思ってしまう。
変われる? 変わりたいの? 変わりたかった、ずっと。
だとしたら、この人となら?
妙な期待が胸を膨らませる。
もし間違えても正してくれるのではないか、だって、<先生>だもの。
大きく風がそよいだ。
細い枝が揺れ、小さな葉がさざめく。
耳障りのいい自然の音と、頬を撫でる心地よい風と。
目の前にいる、カカシ先生。
まっすぐにわたしだけを見つめてくる、カカシ先生。
たったそれだけで、こんなに満たされた気持ちになるのはなぜだろう?
かちり、とかたく閉められていた錠が、ほどける音がした。
すっきりと靄が晴れていくような感覚のなか、一歩を踏み出す。
自分のこの気持ちが恋や愛かはわからない。もしかしたら、優しい先生に甘えたいだけだとしても。
彼が向ける視線の意味が、元教え子に対する同情や哀れみだったとしても。
ここで、もし、求めることを諦めてしまったら。
これから先、彼が別の誰かの手を取ってしまったら。
これまで優しく自分を見守ってくれた瞳が、別の誰かを映したら?
これまで何度も何度もわたしを守ってくれたその腕が、別の誰かを抱いたら?
(それは、いやだ)
たとえ子どもの独占欲だったとしても。
何もしないで失うのなら、手を伸ばして、しがみつきたい。
失いたくない、ただそれだけで。
「今なら、さらわれてあげてもいいけど?」
やけに強気な口調になってしまったのは、虚勢に気付かれたくなかったから。
でもきっと、そんなことはお見通しだろう。
昔から馴染み深い、あの穏やかな笑顔をたたえて。
そんな顔で見ないで。
だらしない両手をつかんで、立ち上がらせる。
ぐっと近づく距離。途端に再び心が揺れる。
(ねえ、いいの? 先生は。かわいい教え子を失ってしまうことは、こわくないの?)
わたしはこわいよ、先生。それでも手をとらずにはいられなかったのは、<先生>、だからなの?
それとも、カカシ先生だから、なの。
握り締めた手に自然と力がこもってしまう。不安な想いを感じ取られたくないと思っていたのに、わたしに向けられたまなざしは、あまりにもあたたかかった。
(20140830)
そして言い訳の後日談へつづく→
Twitter上でのやりとりで大変盛り上がりました、椛(@momijiiiii0518)さん発、くろば(@clover1005)さん、肴(@sakenosakana1)さんとのコラボ企画!
・ナルトくんともサスケくんとも結ばれなかったサクラちゃん
・モブと付き合うサクラちゃんに「その程度でいいの?」というサイくん
・「そろそろ俺で手ェ打っておく?」
以上のシチュエーションでそれぞれ書いてみましょう!ということだったんです、が…。
ひとり大遅刻したうえに勝手に後日談書いてズルしてますごめんなさい…!フォローしきれなくて!
しかしとっても楽しかったです…!!お付き合いいただきましてありがとうございました!
是非皆さんの素敵な作品もご覧下さい!
椛さん : coler*scheme『月と花の廻天』
くろばさん : 305号室 / pixiv 『元担当教師の明察』
肴さん : 酔の小文 『happy end.』
同じCP、同じシチュエーションでも、みんな違っておもしろいです…!
ちなみに滾りすぎてつい描いてしまったイラストはこちら→