トレードマーク?のギザギザ頭をニット帽で隠されようが。
似合わない無精ひげで印象が変わろうが。
彼の発する、あたたかくて優しい雰囲気は、7年前からなにひとつ変わっていない。
「成歩堂さん、ひげ剃ったらー?」
くすくすくす、と笑いながら茜が言う。
ひげについてる、と紙ナプキンを差し出せば、ありがとーとのんびりした口調でそれを受け取る。
面と向かって食事をする。もう何度目?まるで日常と化した風景。なんだかくすぐったい。
「取れた?」
にい、とあごを突き出すようにして笑った顔がなんだか子供みたいで、茜はまた笑ってしまう。
楽しい。こんなささいなやりとりが。
恋人ではない。では何だろう?
約束をきちんとしているわけではないけれど、昼時この店に来れば、毎日のように彼がいて。
こんにちは、なんて挨拶しがてら、当然のように相席をする。
窓際の、いちばん端のボックス席が、彼の定位置。
「にしてもさー、年頃のお嬢さんがこんなおっさんとひなびた喫茶店で毎日のようにランチってのも、悲しいものがあるよね?」
どきり、とした。
約束の無いこんな日常は、いとも簡単に終わってしまう。
彼が一言切り出せば。
「…わたしは、別に、好きですけど。ひなびた喫茶店のランチ」
店主が聞いたら怒りそうなせりふだが。ふたりしてそれにはまったく気付かず。
論点は、そんなことではない。ランチの場所など、どうだって。
彼とふたりでいられること。大事なのは、そのひとつだけ。
「…場所のこと?」
真意が違うところにあるというのも、わかりきっている。
でも、自分から終わりを切り出してしまうようで、そんなおそろしいこと、告げる勇気は茜には無かった。
「おれとしてはねー、見られたら困る…とゆーか、こんなとこを見てショックを受けるような男がいるんじゃないかなー、とね」
決しておいしい!とはいえない、ひなびた喫茶店のランチメニュー。
太麺のナポリタン。結局いつもこればかり。好きなわけではない。まだましなほうだから。
それでもぴたりとフォークが止まってしまう。ああきっと、もうこれは食べられない。
「…そんなひと、いません」
「そうかな? こんな美人刑事さん、まわりがほっとくとも思えないけど」
きれいになったね、と。7年前の彼からは到底結びつかないようなせりふ。
幾度と無く聞いた。リップサービスだろうが、それでも彼の口から言われると、胸が高鳴った。
だけれど今日に限っては、まったく嬉しくない。
「少なくともおれとしてはね、釣り合わないんじゃないかなー、とか少しばかり不安になっているわけで」
え、と顔を上げた。
予想外の言葉。
こんなきれいな年頃のお嬢さんと、こんな無精ひげのおっさんじゃね。
少し困ったように笑いながら、成歩堂は頬をかいている。
それって、つまり?
「…ひげ剃ったら、気取ったディナーとか誘ってみてもいい?」
いい?だなんて。答えは決まりきっているのに。
嬉しくて泣きそうになるなんて、あるんだ、本当に。
胸がいっぱいになった。本当にナポリタンはもう入らない。
「もちろん、きみにもその白衣は脱いでもらうけど」
とびきりのおしゃれをして。
フォークを置いた右手が、成歩堂の大きな手に包まれる。
このひなびた喫茶店での日常が終わるかどうかはわからないけれど、これまでとは少し違ったランチになるのは、明白だった。
(2012.11.25)