「なっ…!」

 がぁん、と漫画だったら背景にどでかく描かれてしまうような表情を作ってしまった。いや無意識的に。


(ばかじゃないの、か)

 それこそいつも彼女の言う口調で。そう、心の中でつぶやいてみたものの。



 だってまさかまさか。
 帰ってくるなりこんなお出迎えがあろうとは。

 ここは中野の自宅。と言っても一年のうち何日このドアを開けるだろう、そんな回数しかお世話になることはない、自宅。
 しかしそれでもこの一室を解約せず、人使いの荒い雇用主の魔の手から逃れては東京の街に帰ってきてみるのは、愛しの大親友の存在に他ならなく。

 しかし今日ばかりは間が悪かったようで。やーっとこ仕事を終えて帰って報告に行って亮介の部屋の窓を目指したものの生憎留守。仕方ないからいったん荷物置きがてら帰ろうかなんて思って、久方ぶりに帰ってきてみたら。

 忍が帰郷を告げたのだろうか。わざわざ?まさか、あいつが。



 ひとまずため息をついて、持っていた荷物を足元にどさっと置いた。起きるかなーなんて。
 しかしただ置かれているだけのテーブルの上に突っ伏している姫は、少しくらいの物音にはまったく動じないようだ。

(まー別に、そんないじわるしないけどね)

 疲れているだろうことくらい、しばらく会っていなくたってわかる。(当然)自分ほどではないだろうが、やはり一般女子高生に比べたら何倍もハードな日々を送っていることに違いはないのだ、彼女も。
 なんとなくとなりに腰を下ろして、すやすやと寝息を立てている姫君を見つめる。
 顔を合わせればちゃんとご飯食べてるの!?なんて(でも今思えばこれってすっかりおかあさんだよねおかあさん…おかあさん…)なんて人のこと怒るくせに自分はどーなの。また少し痩せちゃったんじゃないの。


 うん、と声が漏れたのでおはようのあいさつの準備をしようとしたのに、お姫様の目覚める気配はまだなかった。
 
 黙ってりゃかわいーのに。
 組んだ足に頬杖をついて、思わずぷっと堪え切れなかった小さな微笑を、ひとつ。

 手間が省けたなんて言ったら彼女は怒るだろうか。
 もちろん会いたかった人のひとり。それも、なるべく早めに。

(そりゃー亮介と並べられてしまうとそれは悩ましいランキングですけど)


 そばにいられれば幸せだとよく思ってしまう。くらい、最近では顔をつき合わす機会が減っているような。そんな気がする。
 と思えば、そばにいればいるでどうもそこだけにとどまっていてはくれない気持ちもあるわけで。

(なんっちゅーか)

 やっぱり自分も男の子なのだなぁと思うと、少しばかりせつなくなったりもする。
 と同時に、若干の怒りも、ある。

 ムボービな顔してずいぶん気持ち良さそうに居眠りしてくれちゃって!


 もしかして水沢、本当になんとも思われてなかったりして。
 おいおい、きみの中でどうとらえてるんだか知りませんけどね、ボクは一応生物学上にはオスなわけでね、それってやっぱりそういうことで、それ相応にさ、ね。思うことだってあるわけじゃないですかって。

 そういえばきーさんもよく言ってたっけ。冴子は無自覚すぎるとかどうとか。ってなんでそこで和泉クンのこと思い出さなきゃいけないのって。そうだよ嫌なこと思い出しちゃったよ。いーかげんそろそろ冴子って呼ばせるのやめさせなくては。

 ちくしょうめ、おはようより先にちゅーでもしたろうか。ってんなことしたらほんとに姫になってしまうじゃないのー(ていうか無傷では済まされまい)。


 あーしかし起きないな。
 このままではお疲れの水沢、一緒になって目を瞑ってしまいますぞ。

 なーんて思っていたらまたううんとか言いながら少しだけ体が動いた。

(かわいい、かも)

 いやかわいい。だからやっぱり黙ってりゃかわいーのだ。
 はらりと落ちてきた前髪をかき上げてやる。やわらかなウェーブが指に絡む。伏せられた目に長いまつげ。



(冴子)


 ゆっくりと、唇を動かして。
 心の中で何度も呼んだっけ。神出鬼没なクセして、出て来ないときはほんとに出て来ない。

 それにね、いかんいかんと思いつつも、生傷の絶えない生活をしているとね。自然とね、浮かんできちゃうんですよね、ってそれはまたべつの話か。



(冴子)


 髪を一房拝借。くるくると巻き付いてくる毛がなんだかおもしろい。
 起きてたら絶対こんなことさせてもらえないだろうし。

 頭の下に敷かれた腕を辿って、右手をそっと包む。少し冷たいな。でもこれが熱っぽいときなかなかキモチいいんだよなぁーなんちって。


「さえこ」


 きゅ、と。手が握り返された。

「…なによ」
「あれま、起こしてしまいましたか」

 顔は持ち上げずにそのまま上目遣いで諒を見つめた。

「起こしてしまいましたかって、あたしの名前ずっと呼んでたのあんたでしょ」

 声に出したつもりはないんですけどね、と諒が苦笑いした。
 冴子もゆっくりと顔を上げて、ふぅんと言いながら諒の頬に手をのばした。



「ねえその前に、なにか言うことあるんじゃないの」




(20040916)



「ただいま」が先か「おかえり」が先かはご想像にお任せ…みたいな。
最後のセリフ、どっちともとれますよね、ね(なんて