「おかえり、ミント」
「…クレス、さん?」
ミントがいつものように奉仕活動を終え、夕飯の買い物を済ませてクレスの家に帰ってくると、そこにはすでにクレスの姿があった。ここに帰ってくる、と言う表現が正確なものになったのは1年くらい前からだった。今でこそこの家でクレスとともに住んでいるミントも、それまではクレスの家で食事や家事などを済ませると、それから教会脇の小屋に帰り、そこで寝泊りするという生活をしていた。
「今日はずいぶん早いんですね」
「うん。今日はそんなに難しい仕事じゃなかったし、早く抜けさせてもらった」
いつもはクレスはまだ仕事の時間で、これからミントが簡単な掃除と食事の支度などを済ませたところでようやく帰宅、といったところである。
現在は傭兵のような仕事をしているクレスだが、仕事が終わればほとんどより道もせず帰ってくることがほとんどだ。もう未成年でもないのだし、同僚たちと飲んでくるくらいしても…とミントは思うのだが、それこそ年末年始や、仲間の異動や転勤などの壮行会や送別会くらいしか付き合いはないようだ。と言っても、同僚たちとの仲も円滑なようだし、特に口出したりはしないが。なにより律儀に帰ってくることは、もちろんそれはそれでとても嬉しいわけで。
そんなクレスだったが、わざわざ早引けしてくるほどとは。何かあったのだろうか。
しかしその様子はいつも通りだし、むしろどこか、楽しそう? と言うか…。
「なにか…ありましたか?」
「え?」
「なんだか、そわそわしてます」
買ってきた食材をテーブルの上に置きながら、ミントはおそるおそる問いかけた。
すると、帰ってきたのはこほん、と咳払いがひとつ。
いやに不自然なその仕草に、ほんの少し眉をひそめてうかがうように見つめる。
「今日で、君がうちに来て1年になるんだ」
クレスに言われて、そのまま目線を壁のカレンダーに移す。ああそうだ、とようやく気付いた。
日付けだけは決して忘れないけれど、ここしばらく村の人からの相談ごとにかかりっきりで、すっかり失念してしまっていた。一週間前には、どんなごちそうを用意しようだとか、そんなことを考えたりもしていたのに。
ミントがそうだ、と呟くよりも、クレスが息を吸い込むのが少しだけ早かった。
「僕たちずいぶん長い付き合いだけど、その…、ちゃんと言葉にしてから、まだ1年しか経ってないんだなぁって」
「いち、ねん…ですか」
それでも1年なんて言葉にしてみると長い気がするけれど。…確かに色々あった。たくさんの思い出がぐるりとひとまわり。だけれど確かに、出会ってからの月日を考えるとまだ1年か、そうも思う。
あまりに衝撃的な出会い方。かつて読んだ恋愛小説では、劇的な出会い方をした男女ほど、日常生活に戻ったときに物足りなさを感じてしまう…なんていう記述もあったけれど、そんなこともなく実に仲良く続いている。仲良く。この表現があまりにも当てはまっている。
平穏で、何もない日々。確かに波乱に満ちた旅の日々も素敵な思い出ではあるけれど。
「本当は、どこかに食事にでも行こうか…って誘おうとも思ったんだけど、残念ながらお店がどこもいっぱいみたいで…」
ああそうか、と照れくさそうに笑うのを見て察した。このイベントに何を提案しようかと、きっと考えすぎてしまったのだろう。食事に出かけると言う案もおそらく今日にでも思いついたことで、だから早々に予約を入れることができなかったのだ。おそらく。
もちろんふたりで外食も楽しいけれど、それよりもミントの心は、クレスの思いやりですっかりあたたかかった。
「いいえ、わたしはこうしてクレスさんと過ごせるだけでじゅうぶんです」
にっこりと微笑むと、思わずクレスが顔を赤くしてうつむいた。
クレスはわかりやすい。表情にすべてが表れる。そういうところをかわいいと思うになったのは、最近のことだ。それまでは一緒になって顔を赤くしてうつむいていた、もちろん、今でもそうなってしまうこともあるけれど。
「お腹、すいてますよね。いそいでしたくします」
「僕も手伝うよ」
「え?」
「ふたりでやれば楽しいし、おいしくできるかも」
いつもどおりだけれど、ゆったりとふたりでただ過ごす記念日。そんなのも悪くないかもしれない。
そのかわり、今度の休みの日は、ふたりでどこか遠出をしようか。そんなことを考えながら手を洗うと、ミントに差し出されたタオルを受け取った。
(051101)
み、短くてごみんなさい…!
一周年、ありがとうございます。もうちょっとこのサイトで悪ふざけは続けたいです。
そしてこの日の昼間のクレスくんの心境(拍手で公開してました)↓
(…そうだ)
ここ最近、カレンダーを見るたびになんだか引っかかるものがあるとは思っていた。だけれどいつも穴が開くほど眺めては結局それがなんなのかわからないまま終わり、そのままにしていた。だが今日になって、つかえていたものがすっと溶けるように記憶として蘇ってきた。
(あー…うっかりしてた)
思わず両手で顔を覆ってしまう。うかつだった。はじめての記念日、だと言うのに。
確かにこのところ忙しかったけれど、それでもやはり最初くらいはカッコつけたいと思っていた。どうやらミントも忙しいようだし、何かゆっくりさせてあげられれば、と考えてはいたけれどひどく漠然としたもので。
思えば誕生日もそうだった…。さすがに日にちを忘れたりはしたかったが、一体何を贈ろうかギリギリまで悩んで結局たいしたことができなかった気がする。それでもミントは嬉しいと言ってやさしく笑ってくれたけれど。
幸い今日はさほど難しい仕事ではない。当日になってから気付いたと言うのは少し痛いけれど、それでも時間がまったくないよりは、いい。
次に交代にやってくる気心の知れた同僚なら、頼めば仕事を代わってもらえるだろう。そのお礼も後日考えなくては。
交代の時間まであとわずか。それまでは仕事に集中しよう。クレスはもう一度、気を引き締めなおした。