(ええっと、つまりは、これは…。)
(思い出せ、思い出すんだクレス・アルベイン…。)


(…)
(…)


(あー、だめだー!!こんな状況じゃとてもじゃないけど冷静に頭なんか働かないよ!)






 目の前には、きれいに整った顔立ちの少女の、寝顔。
 その寝息が鼻をくすぐるくらいの、そんな近しい距離。

 一体これはどういうことなのだろう?
 目が覚めてからというもの、この問答を何回も何回も繰り返しているのだが、結局はこの寝顔を見つめては顔を真っ赤にしてドキドキして、終わる。

 
 ここは自分の部屋だ。
 そしてこれは自分のベッドだ。

 窓から光が漏れている。…まだ昼間?朝、という感じではない気がした。
 耳を澄ますと、すぐそばの安らかな寝息よりもかすかに、「おーいコッチに運んできてくれー」だの、「木材足りてないぞ!」だのと言った声が聞こえてくる。
 そうだ、今はトーティス村の再建中。
 最初は自分と、チェスターと、そしてミントと3人だけで細々と続けていた作業も、モリスンやトリスタンと言った助力によって人が集まり、以前のトーティスにあった活気が戻ってきたような錯覚に陥った。無論、いまだ村は元通りどころか、ほとんどの戸数はあの日崩れ落ちたままの姿なのだが。

 いやだからそうではなくて。
 頭を左右に激しく振り(正確には意識の中だけで)、改めて今の状況を把握しようと努める。

 ここは自分の部屋、自分のベッド。
 自分はこうしてふとんの中でぐっすり眠っていたらしいが、この少女は---ミントはクレスを抱きしめるような形で、ベッド脇の椅子に腰掛けながら眠っている。




(…にしても、かわいいなぁ…、)


 どのような状況下であれ、嬉しいものは嬉しかった。
 自分がミントに対して、仲間意識とはまた少し違う、特別な感情を抱いているのに気づいたのは、今思い起こせば旅の序盤のことであったし、それだけ長い間暖め続けてきた想いはそれなりに大きく。
 それでなくともミントの容姿は、身内びいきなしにしてもそうとう端麗であることは、彼女を振り返る群集の好奇に満ちた目でわかる。なんだか隣りを歩いていると、嬉しい反面、正直あんまりおもしろくないと感じることもしばしば。

 どきんどきんと、妙に高鳴る自分の心臓の音が気になる。
 でも、目が逸らせない。

 それどころか。
 なんだか妙な気になってしまう。
 随分と長く旅をして、こう、一つ屋根の下で生活もしているけれど、さすがにこんな間近でミントの顔を見れることなどなかったわけで。

 長い睫毛。すっとした鼻筋。
 うっすらひかれた口紅は、彼女をより魅力的に引き立てる色だとクレスはいつも思っていた。

 眠っているし?
 …いや、だめだだめだ。口で伝える度胸もない男にそんな権利はないし、そもそも眠っているミントにそんなこと…。

 あれ、少し痩せた?…やつれた?
 無理もないか…。再建作業と言うのは、思ったよりもずっとつらくて。
 男の、驕りではなく毎日鍛錬をつんで鍛えている自分ですら、ハードだなと思う生活をしている。こんな細腕の彼女にとってやさしいものではないだろう。
 
 文字通り穴が開くほど見つめていたその時、ゆっくりとミントが目を開けた。

「…クレス、さん?」
「え、あ、ごめ…」

 ゆっくりと身体を抱き起こすと、肩から背中にかけてのあたりに鈍い痛みが走ったのを感じた。
 もちろん謝るべきことなど(おそらく)ないはずなのだが、思わず頭の中でたった今まで繰り広げられていたことが後ろめたく、反応してしまった。
 しかしミントはというと…。

「…クレスさん!!」
「え、…え!?」

 それを不思議がる様子もなく、目に涙をいっぱいためて、クレスに抱きついてきた。
 
「え、あの、ミン…ト?」
「良かった…!もうこのまま目を醒まさないのかと…、」
「…え?」

 事態が把握しきれていないクレスは変な声を出した。
 しかしミントはそんなクレスに構わず、抱きついたまま、離れない。

 無論嫌な気はしないしむしろありがたいのだが、いかんせん何がなにやら。
 
「あの…ミント? …僕、どうかしてた?」
 ミントがクレスの胸からゆっくりと顔を上げた。
「…覚えて、ないのですか…?」

 クレスが頷くと、ミントは視線を落とした。
 長い睫毛が濡れている。

「…3日前、はしごから落ちた子供をかばって下敷きになったんです」
 クレスから身体を離したミントは、右手でクレスの服のすそをぎゅうと掴んだ。
 それだけで、どれだけ彼女に心配をかけ、迷惑をかけていたのかが伝わってくる。胸が痛む。

「あの日は雨が上がったばかりで地面がぬかるんでいて、そのまま滑ってつくりかけだった教会の壁に派手に頭をぶつけたんですよ…」
「わあ、なんかまぬけだなぁ…」
「クレスさん!笑い事じゃないんですよ!そのあともレンガが崩れ落ちてきて、ほんとに、ほんとに…」
「ご、めん…。それで、教会は無事?」
「壁は直せます!でも、クレスさんの身体は…」
「いや、あの…、ごめん」

 もう一度たっぷりと涙をためた目で迫ってくるミントに圧され、クレスはもう一度謝る。
 しかし自分のことより先に教会の心配をするだなんて、まったくあなたらしいとミントは呆れながら笑った。しかしその呆れが突き放したものでないことは、さすがに鈍感鈍感と言われ続けていたクレスでさえ、頬をうっすらと伝うその涙からわかった。

「あのー…、ほんとにごめん」
「…もういいですから」
 もう謝らないで、とミントは続けた。目じりに残っていた涙も、指先でぬぐった。

 しかし3日間も眠りっぱなしだっただなんて。いくら旅を終えたとは言え、剣の鍛錬を欠かしたことはないし、それなりに運動神経には自信を持っている。なんとかうまく避けることはできなかったのだろうか?

「うーん、だけど全然覚えてないや」 
 本当に笑い事ではないが、こんなクレスの反応を見ては力が抜けてしまう。
 
「…もう、無茶は止めてください…」

 この3日間、気が気ではなかった。
 今手がけている教会の修復には、自分も大きく関わっているだけに、できれば顔を出したいし、きっと手伝ってくれている人たちもそれを望んでいる。
 とは言え目を醒ます気配のないクレスを放っては置けなかったし、誰かに任せる気にもなれなかった。それは自分以上に彼を知り、長い時間を過ごしてきた親友のチェスターにさえも。
 さすがに今日は眠ってしまったが、この3日まともに食事もしていないし睡眠も取っていない。ミントのほうが倒れる、とチェスターに怒られたくらいで。

「…ごめんね、君も疲れてるだろうのに、僕なんかの看病まで…」
「クレスさん…」

 そっと手を伸ばし、うつむいたままのミントを抱き寄せた。
 普段の自分なら信じられないくらいの行動力だが、やけに自然に身体が動いた。


 あたたかな心音が伝わってくる。同時に、びっくりするくらい跳ね上がった、自分の早鐘のような鼓動まで伝わってはいやしないかとどきどきする。

 特別な感情を抱いたのは、今にはじまったことではない。
 ずっと、ずっと。もしかしたら、あの日、地下牢で救いの手を差し伸べてくれたあの日から…。


 伝えたい言葉はふたりとも同じ。
 まったく同じ想いを共有し続けているのに、どうしてもあと一歩の勇気が出ずに、今日に至る。

 でも今日は、この、妙に浮かされた気分でなら。

「…ミント、」
「クレスさん…」





「おぅーいミントー、昼飯作ったけど…って、あ」
「…え、」
「え…っと…、わー、わー、わりぃわりぃ!!お邪魔した!!じゃあな、ゆっくりやれよお若いの!」

 ドアをあける無粋な音と共に登場したのはチェスターで。
 放っておいたら休もうとしないミントを気遣って、食事の準備をしてはまめに様子を見に来ていたのだが…今回ばかりは逆にアダとなってしまった、とドアを閉めながら後悔。
 ああ親友よ申し訳ない。

「ちょ、チェスターさん!!何言ってるんですか!」
 ミントが慌ててクレスの腕の中からするりと抜け出て、部屋の外に出て行ってしまったチェスターを呼び戻す。
 その間クレスは、突然消えたぬくもりにせつない思いを馳せていたのだが、やはりそれを告白することも、きっとないだろう。

「クレスさんが目覚めたんですよ!そんなくだらないこと言ってないで…」
「(…くだらないって)」
「チェスター、悪い、迷惑かけちゃって…」
「ったくよ、ミントにこんな心配かけさせやがって、この色男」

 クレスは真っ赤になって反抗したが、ミントは笑顔を取り戻した。
 よかった。これがいつもの風景。みんなが笑顔でいられることほど幸せなことはない。


「ああ、そうだ。昼飯のしたくしといたからよ、ゆっくり食え」
「おまえは?」
「とっくに済ませた! これからまた宿屋の修復に顔出しに行かねーといけないしな、んじゃ、ごゆっくり〜♪」

 にこやかに手を振りながら、チェスターはまたあわただしく部屋を出て行った。

「あいつも休まらないなー…」
「チェスターさんも、どこかの壁に頭を打って倒れでもしない限り、休もうとしてくださらないんですよ…だれかさんみたいに」
「え?」
「お昼ご飯、運んできますね」

 きれいな笑顔とはひどく不似合いな、ミントにしては珍しい凶暴なジョークに違和感を覚えながらも、クレスはまぁいいかと窓の外を眺めた。
 陽の光がさしこんできて気持ちがいい。きっとこれで昼寝でもしたら気持ちいいんだろうなとぼんやり思って、あわてて首を振る。たった今まで、3日間も眠り続けていた自分が何を言う。

 それこそミントやチェスターにもっと身体を大事にしてもらわないと。倒れられたら困ってしまう。村の再建に関してのことも、もちろん、それ以前もことでも。



 


「ねえミント、これから村の様子を見てまわるの、付き合ってもらえないかい?」
 チェスターの用意してくれたおにぎりを頬張りながら、クレスは言った。
「でも、お体が…」
「僕ならもう平気だよ。ピンピンしてる。ね?」

 クレスの頼もしげな声を聞いて、ミントも笑顔で頷いた。



「へえ、3日も寝てる間にだいぶ進んだみたいだね」
「はい。みなさんも、まずは教会から完成させようって言ってくださって…」
 
 嬉しそうに笑うミントを見て、なんだかくすぐったい思いにかられた。
 もう骨組みはほぼ出来上がっている。あとはこれに壁をつけて屋根をつけて…、ぼんやりと、クレスの頭の中に、完成した教会で祈りを捧げるミントの姿が浮かんだ。頬が自然と緩む。

「ん?なんだこれ」
「ああ、それは…、」

 ふと足元の土に目をやると、どうやら派手に滑ったらしいあとが、しっかりと乾いてのこっていた。

「その…、3日前、クレスさんが滑った跡…なんです」
「わぁ、これが…、」

 まったくまぬけなことしちゃったなぁ、と呆れて笑いかけたとき。
 


 …ああ、そうか。
 避けようと思えばきっとできたのに、わざわざ壁にぶつかりにいった理由。


「ねえミント、見てごらんよ。やっと咲いた」



 自分が滑ってつけた泥のあとの脇に、ひっそりと咲く、きみの好きな花。




(04/01/22くらい?)
まぁまぁまぁ…ありがちなネタで。