2月14日。恋する乙女であるならば、一応は乗っておきたい行事、ではある。



 教会での奉仕を終え、いつもより足早に帰路についていた。もちろん、帰るのはクレスの自宅である。
 今日はすでに夕飯の下ごしらえを朝のうちに済ませておいてある。しかし、その浮いたぶんの時間だけで間に合うかどうかはなかなか微妙なところで。
 それでも、間に合わせるつもりで努力する、しかないのだが。








「ただいまー」

 台所で夕飯の支度に気をとられていると、玄関から聞こえてきたクレスの声。それに反応して、手を洗いながら時計を見ると、いつもならすでに夕飯が出来上がっている時間であった。
 
「お帰りなさい。すみませんが今日は先にお風呂を済ませていてもらえませんか?夕飯の準備がまだなので…」
「ああ、かまわないよ、気にしないで。いつもありがとう」
「いえ、そんな…」

 さりげなく嬉しい言葉をもらったあと、クレスの脱いだ上着を受け取って風呂場へ促す。
 お腹をすかせて帰ってきたクレスに迷惑をかけたくはないのだが、だからと言って手を抜きたくはなかった。特に、今日は。もちろん食事に限ったことではないのだが。

 冷蔵庫から、ひとくち大のチョコレートを取り出した。型に入ったチョコレートは、すっかり冷えて固まっている。
 それを確認して、思わず顔も綻ぶ。準備は万端だ。改めて戸棚の中にしまいなおした。食べるには常温がちょうどいいのだ。



 夕飯は間もなく出来上がり、クレスが風呂から上がるのを待って、今日1日のことなどを話しながらふたりで食事をとる。
 やがて食事を終え、ミントの入れたお茶でまったりと過ごす食後の時間。すると、クレスが大きなあくび。

「お疲れですか?」
「うん? うーん…ちょっと、疲れた、かな」

 ミントは微笑んだ。おかしいとは思うのだが、素直に「疲れた」と言ってくれることが嬉しかった。
 どんなに疲れた顔をしていても、笑顔を作って「大丈夫」と言っていたこともある。確かにそれも相手を思いやる気持ちにかわりはないのだけれど。
 それは心配する側・される側、両方を経験してはじめてわかること。

「ちょっと待っていてください」
「うん?」

 席を立つと、戸棚からチョコレート型を取り出す。
 そして中身を適当な皿に移し変えると、テーブルに運んだ。

「お茶請けに甘いものでもいかがですか?」
「チョコレート?」
「ええ」

 どうぞと促せば、ひとつ口に運んだクレスから、幸せそうな笑みがこぼれた。
 その表情を見て、ほっと胸をなでおろす。よかった、喜んでもらえたようだ。
 
「疲れたときには甘いものはいいと言いますから」
「うん、おいしいよ、ありがとう」

 彼のように、素直な言葉をきちんと口にしてくれることは、恵まれているのだと言う人がいる。
 確かにそのとおりだと思う。単純でありがちな言葉ほど、えてして普段から伝えづらいものだ。


「クレスさん」

 ひとつひとつ成長していく実感、そしてともに歩いているのがあなただということ。
 今日と言う日でなくとも、感じることはあるけれど。


「すき、です」


 想いは形を気にするばかりではないけれど、たまにはわかりやすい形を望んだりもする。
 そして、たまには言葉にして伝えたくなるときも、ある。

 だけれど単純でありがちな言葉だからこそ、普段から伝えづらいのだけど。


(050213)