日差しから逃げるように、その少女はいた。
 建物と建物の間の、ごく細い路地。いつ放り出されたかもわからないような、打ち捨てられた箪笥の上に腰掛けて、ただ地面を見つめていた。


「何をしている」

 子供の来るべき場所ではない。
 いや、実際そのテの需要もあるのだから、もしかしたらこれはあるべき姿なのかもしれない。
 立場上見てみぬふりもできないのだが、じゃあ生活の保障はなどと言われてしまえば、ひどく厄介なことこの上ない。
 だのに声をかけてしまったのはどういうつもりだったからだろうか。今となっては、物珍しさと言って誤魔化すほかない。

「何って、」
「わかってそっち側に座ってんのか」

 目には見えない赤い囲い。しかしその一歩を踏み越えることの意味は、誰しもが暗黙の了解として心得ている。まだ毛も生え揃わないような子供ですら、身近な大人から教えられる。あっちへは行ってはいけないよ、と。理由もわからぬまま、とにかくいけないことなのだと植えつけられる。
 間違っても、子供が遊びにくるような、そんな気軽な場所ではないのだ。

「お金がないヨ。3日間何も食べてないアル」

 ああ、やはりだ。
 雨でもないのにぎゅうと傘を握り締める手は、おそろしいほど白く、そして細い。

「本当に逼迫してんなら、こんなとこで俯いてたってしょうがねえと思うがな」

 冷たい声で突きつければ、キッと睨みつけてきた。
 思わず、息を呑む。晴れた空のような、しかし角度が変わればそれはまた、野に咲くすみれのような。よく見ればこの珊瑚朱色の髪と言い、なかなか見かけるようなものではない。
 珍しいからだ、見とれてしまったのは。それだけだ。

「やりたくねんだろこんなこと」
「物好きは表通りなんか歩かないアル。だからお前も」
「ばかやろう、俺は取り締まるほうだ。それにガキを相手にする趣味も無ェ」

 咥えていたタバコを吐き出す。落ちたのは線の向こう。
 チ、と舌打ちした。ふと、怯えた顔が目に入ってしまったからだ。

「…帰るところなんかないアル。引き取りにくる身内もいないヨ。私補導しても、またここに帰ってくるだけヨ」
「さて、どうするかね」
「本当ヨ!私の家ビンボー、だから江戸来たアル!マミーは死んで、パピーもどこ行ったか…、」
「別におまえの身の上になんか興味ねえよ」

 まだ火の残る煙草を踏み潰した。赤線をわずかに越えた靴先。

「、何するアルか!」

 衝動としか言いようが無い。見つめる先が変わるたび、感情が変わるたび、ころころと移り変わる瞳の色を、もっと見ていたかっただとか。
 ものめずらしい少女を、江戸の腐った男に汚させたくはなかっただとか。そんなものに汚されるのなら、その前にだとか。その前に何だ、どんな言葉が続くのか。

 いったい何を、その細い腕をつかんでしまったことの言い訳にできよう。

「なんだそりゃ、やっぱり何の覚悟もきてねぇんじゃねえか」
「うるさいネ! おまわりに捕まる覚悟はできてないだけアル!」
「残念ながら今日は非番だ」
「…お前が私を買うアルか? やっぱりロリコンだったアルか」

 自然、皮肉っぽい笑いがこぼれてしまった。
 ガキなんぞに興味は無い。それは確かであるのだが。
 だけれど果たして、男に怯えながらも一方で強く睨み付けてくるこいつは、本当にガキだったろうか。

「どうするかね。俺はとりあえずこれからメシを食いに行くけどな。ひとりってのも味気ねえだろ」

 いやほんとに、どうしようか。
 勢いでつかんでしまった腕が、まだ離せないでいた。




(20061220くらい)
溝口健二の「赤線地帯」がやってたので…。っても無関係ですが。
赤線とは、つまりはそういった地区を囲った目に見えぬラインのことです。いつか遊郭の話書くのが夢なんですが、なにか良い資料とかありませんかね。