「何やってんだ、そこのチャイナ娘」

 視界の端にとらえた紫紺の番傘。市中見回りの任にそろそろ飽きが出てきたタイミングで、川沿いの土手にそれを見つけた。土方は、それを何度か目にしたことがあった。大体こんな気持ちのいい晴れの日に、傘をかぶる物好きなどこの界隈ではただひとり、万事屋のうさんくさい小娘しか知らない。
 いつもならば遭遇するたびにやかましくまとわりついてくるだろうに、今日に限って通り過ぎても反応しないものだから、どうしたことかという意味合いで、何気なく声をかけてしまった。何気なく。

 まさかそれで初めてこちらに気づいたわけではないだろうが、神楽は声に反応してわずかに動いた。振り返ったときに見た表情は、いつもより心なしか覇気がないように見え。

「何アルかニコチン」
「おい今日は多串でもねーのかよ。せめて人間の名前で呼びやがれチャイナ娘」
「うるさいネ。今日私は虫の居所が悪いアル。用がないなら話しかけるなマヨラー警官」

 さらりと一気に言い切ってから、再び視線を川へと戻す。ゆるりゆるりと流れるそれは特に水がきれいだとかそういったわけでもなく、どこにでもあるだろうただの川。激しいうねりもなければ目を引くようなものも特にないだろうに。

「なんだよ。らしくもなくしみったれた顔しやがって」
「うっせー。見てんじゃねーポリゴン警官」

 土方は数歩戻り、神楽の脇に立った。習って川の流れを見つめた。

「もう昼時だろ、帰んなくていーのか。昼飯食いっぱぐれるぞ」
「…帰るところなんかないヨ」
「なんだそりゃ。あの銀髪かメガネとケンカでもしたのか」
「…」

 沈黙は肯定だ。
 厄介なことに首を突っ込んでしまった、と思わず土方はため息を漏らす。
 別にこのままふうんとだけ言ってここを後にしたってかまわない。優しくしてやる義理などないのだから。
 ないのだけれど。

(…やれやれ)

 土方は再びため息を漏らす。なんだかすっかり優しくなってしまった自分自身に。
 どうにもそよ姫の一件以来、この少女に関してはらしくもなく気を遣ってしまっている自分を最近認めつつある。
 そよ姫を見送るときの、あのさびしげな横顔がちらつくのだ。普段のふてぶてしい様子とは似ても似つかない表情にあの時は少しばかり戸惑い、そんな顔はしてくれるな、とも思ったのだった。本当に、自分はどうかしてしまったか。

「これからメシ食いに行くところなんだ。行きつけの定食屋が特盛チャレンジはじめてな、時間内に食いきったら賞金が出るんだよ」
「…」
「何が原因かは知らねーがよ、さっさと謝っちまうこったな。その賞金でなんか土産でも買ってご機嫌伺えや」
「…さすが賄賂とは、考えが汚い汚職警官アルな」

 ニヤリ。
 振り返った顔が口元に浮かべたのは、見慣れたほうの普段の憎たらしい笑い方だった。
 憎らしいと思いながらも、こちらもまたニヤリと唇の端を上げる。

「ほら、とっとと行くぞ。早くしないと昼時で混みだすぞ」
「おうヨ!今日は朝から酢昆布も食べてないアル。準備は万端ネ!」

 小さな背中をぽんと軽く叩いて促すと、すっかりいつもの調子の神楽が元気よく立ち上がる。
 ほとほと自分は愚かだ。思わず苦笑はもれたが、三度目のため息は出なかった。この嬉しそうな表情につられるように、どことなく嬉しくなっている自分は本当にどうかしている。この笑顔のためならばなどと、ありがちなドラマのおきまりなセリフなど恥ずかしくて言えやしない。それでも思っているのならば同じことだ。
 その最後の気持ちは、まだ認められない。そこにあるのはただ、悲しむ子供の顔を見たくないという、らしくもない親切心。それだけだ。それだけでいい。

「でも悪いのは銀ちゃんだからナ!育ち盛りの娘からチョコのバラエティパックを隠し通せると思うほうが愚かヨ!」
「…ほー」

 あとになってその親切に後悔をしたところで、まったくもって遅いのだけれども。
(20070318)