そのガキの目を見られなかったのは、もしかしたらそこに感じた友情のようなものを壊してしまうことを、情けないことに恐れていたからかもしれないと今なら思う。




「オイ」

 呼びかけた相手は振り返ろうともしなかった。こんなに近くから呼んでいるのだから、聞こえていないはずはないのだが。
 だけれど人は時として、正面から呼びかけてもその声が耳に入らないときだってある。例えば物思いにふけり、目の焦点も合わないとき。
 この小娘にそんなデリケートな部分があったのだろうかとは思ったが、ひょっとするとこのタイミングでは有り得る話だったかもしれない。


「オイ、そこのチャイナ」
「…何アルか、ニコ中」

 夕陽の沈んでゆく方向に走ってゆく車は、どんどん小さくなる。それでも少女の瞳はしっかりとその方向を向いていた。車はあっという間にに見えなくなった。それでも少女は車の消えていった方向から目を逸らさない。


 じゃあね、神楽ちゃん


 そう言って手を振ったそよ姫の笑顔は、あまりにきれいだった。



 そよ姫を城へと送る車に、土方は同乗しなかった。万事屋の小娘がそれなりに暴れてくれた後処理を引き受けるのは、やはり副長である自分しかいないのだ。お上への報告はそれこそ局長に任せておけばいい、任せておくべき仕事である。
 そもそもその後処理の原因を作ってくれたのはこの小娘なのだから、きっちり追及せねばならない。というのに、しかしどうにもその気にはなれず、土方は律儀に小娘に付き合い、そよ姫の乗った車を目で追っていた。
 ちらり。視線を下げて、江戸では珍しい珊瑚朱色の頭を盗み見た。


 最初に会ったのはどうやら池田屋、きちんと認識したのは花見。言葉を交わしはしなかったが、この髪と、透けるような白い肌がいやに印象に残った。腕白な同僚と互角にやりあうその力量も。
 ぼんやりとした記憶を辿ると、夜兎族だと言う話を聞かされたような気がする。戦闘民族、自分が知りうる知識はそれくらいだった。戦―――こんな子供には、まるで似合わない言葉だと思った。ひょっとしたら、地球の子供ほど呑気には過ごせなかったのかもしれない。もしかしたら、友達とか言う存在も。だからこそ。

(友達…)

 人から恨まれることには慣れていた。もちろんこんな小娘に恨まれようと憎まれようと痛くも痒くもない。
 そうは思ったのにどうしてか、恐れていた。そうだ、あれは、確かに。子供の間で生まれていた友情を壊してしまうのを。いいやそれよりも、それによってこの小娘と姫が傷つくのを。

 おそらくふたりが今日のような形で出会うことはもうないのだろう。土方は去り際のそよ姫を思い出す。例え一緒に町を歩くことはできなくても、隣で笑い合うことができなくとも、そこには確かなものがあり続けるだろう。でなければあんな顔、即席の友情などではできないだろう。だけれどそんな説教じみたことを、引き裂いた張本人である自分が言ってもどうにもならない。
 ただ、隣に立つ少女にはわかっていて欲しいと、思った。


「まー、あれだ。多少のゴタゴタはあったが、重傷者もいないしな。今回は特別に、貸しにしといてやってもいいぞ」
「恩をきせたつもりカ。それによって拒絶の声も上げられないいたいけな乙女の体を無理やりモノにするという魂胆アルな!薄汚い大人ヨ!」
「誰がテメェみてーなクソガキ相手に権力行使すっか!つうか大体お前黙ってるよーなタマじゃねーだろうが!」

 子供に似合わぬ悪態はいつもの調子だったが、どこか覇気がなかった。それ以上返してくることもなかった。相変わらず一点を見つめて。

「…お前がそんなつもりだったなんて、誰も思っちゃねーよ」

 別れ際の姫の笑顔を見れば、疑いようもなかった。


「いつまでもこんなとこ突っ立ってんじゃねーぞ。万事屋から捜索願いなんか出されても引き受けねェからな」
「うるさいアル多串の分際で」
「土方だっつの。ほれ」

 いつもの番傘がいつのまにか前下がりになっているのは、気のせいだったろうか。
 少し躊躇ったが伸ばした手は、それでもすんなりと小さな背中をそっと押していた。自分にこんな力加減ができるのかと思ってしまうほどに、優しく。

 その背中が震えていなかったことに、情けないことに心から安心してしまった。




(20061129)
まじこんなん書いてる状況じゃないときにそれでもあふれ出てしまった…。
土神さんが絶対に一度は触れるであろう(形にするしないはともかく)そよちゃん話。ゆえに書くのもちょっと勇気はいるんですが、わたしの中でのベース部分なので避けられませんです。

とうしろうくんはこれを機にぐらたんを気にかけていくんだ!そうに違いない。