(ん、)
乱暴に扱っているせいでボコボコにへこんでいるカンペンの、鉛筆や何色かのペンの隙間にいつも入れてあるはずの消しゴムがない。
それは駄菓子屋のくじの末賞でもらった、何かのキャラクターものの消しゴム。明らかに消しづらそうなそれは、実際使ってみてもやっぱりノートをキレイに白紙に戻してくれなかった。特にそのキャラクターに思い入れていたわけではないのだけれど、それでも先日、それまで使っていた消しゴムを使いきってしまったために、そこそこ頼りにしていたのに。
(あーあ…)
神楽はつまらない書き間違いを見下ろす。この国にやってきてしばらく経つが、未だに文字を書くことには慣れていなかった。逆の方向に曲がったくの字に思わずしかめっ面になる。
この世界史の授業のスピードは尋常じゃない。そのくせ今日は授業終わりにノート提出があるという。おかげで普段はすぐに諦めてしまうところを、今日は珍しくそこそこのやる気があったと言うのに。
ええい、もういい。
ぐちゃぐちゃとケムシにして、正しく書き直す。かつてはこんな書き間違いなど気にも留めなかったのに、担任であり面倒を見てくれている銀八に、「そろそろひらがなくらいは覚えなさいよ」などと珍しくマトモなことを言われてしまい、もっともだなぁと思いながらもイラっときた反抗の結果である。みていろ、ひらがなくらいあっというまにマスターしてやる。
「オイ」
そがれかけた気力をなんとか振り絞り、また必死に黒板の文字を追っていると、左の席の男に声をかけられる。
授業中には比較的マジメな男が、珍しく視線を黒板ではなく神楽に向けていた。なぜか常時瞳孔の開ききった目がまっすぐ見つめてくると、何にも臆することのない神楽でさえ、なんだか身構えてしまう。
「何ネ。今忙しいヨ」
「やる。あのセンコー、うるせえぞ」
彼はこちらの反応など気にしない様子で、机の上に何かを置いて、さっさとまた視線を黒板に戻してしまう。
何事かと見てみれば、なんのことはないただの消しゴムで。
確かにあの世界史教師は口うるさい。今日のノートチェックだって、神楽のキレイとは言えないノートにいちいち難癖をつけるのだろう。ましてや授業中の私語などもってのほかで、今のやり取りだってもしバレていたら、彼まで大目玉を食らっていたに違いない。
まぁ、つまりは、つまりだ。
「あ、りがと…アル」
ようやく頭の中を整理してひねり出した言葉はわずかそれだけで。
彼との間にそれほど親交はない。むしろ逆隣のケンカ仲間の沖田を通してわずかなやり取りをしたくらいだ。
どうやらこれはもらってしまったらしいが、果たして彼は大丈夫なんだろうか。ちら、と横目で見やれば、もはやこちらにはなんの興味もないらしく、まっすぐに黒板を見つめていた。これだけ集中していれば、書き間違いなんてしないのかもしれない。
そういえば名前も知らないではないか。果たしてどうしたものか。
今の聞こえたかどうかもあやしいようなものじゃなく、きちんとお礼をあとで言おう。神楽は再び視線を前へ向けながら、思った。
(20070205up)