「ちょっと待ちなさいよ、さっきまで散々ひとのこと諭そうとしていたくせに」
「諭そうと…ていうか、不意をつかれて驚いたのと、サクラがちゃんと冷静なのかなって気になっただけだし。あと先越されたのが悔しくて」
差し出されたのは、シルバーの指輪。
石がついているところを見ると、これはもしかして。
「おまえが今日来なくても、迎えに行くつもりだったのよ、俺」
婚約指輪だよ。
さらりと言ってのけるカカシの顔と、差し出された指輪を交互に見比べる。
「…先生、覚えてたの?」
「んー…、ま! 下の世話までされちゃってるからね、そういう意味では責任とってもらいたけど」
でも、実際そんな口約束とは、全然違うところで。
「たぶん、それとは関係なくてね。でも、サクラがもう来ないって思ったとき、手離したくないなぁって思って」
おそらくそれは、好きとか愛しているという感情ではなかったかもしれない。
ただ、
「そばにいてほしくて」
これからもずっと。一緒に食卓を囲みたいと思って。
「信じられない…」
「えーそんなこと言わないで」
「ていうかあんっなにわたしのこと疑ってたのに、あっさり『はい』なんて言えるわけないでしょーーーーー!!!」
「もー、サクラがどーしたいのかがわかんないよ、俺は…」
二度目。思わず苦笑する。
出鼻を挫かれすぎたのだ、お互いに。
あらゆる覚悟を持って今日を迎えたのに、すべてが思い通りにいかないどころか、すべてが予想外すぎて。
「想像してごらんよ? 一晩なんとなく眠れないまま朝を迎えて、そのまま指輪を買いに行く男の姿」
笑えるだろ?サイズもわからないのに。どんなものが好みかもよくわからないで。
「でもね、おまえのこと考えてたら、買ってきちゃってたんだよね、指輪」
そんな、ついドーナッツ買ってきちゃった、みたいな、軽いノリで。
買っちゃうもんなんですか、こんやくゆびわって。
「…ていうか、昨日だって、わたしに彼氏できたんだって思ってたじゃない」
「あー、そうだったね」
忘れてた、みたいな。軽い口ぶり。
「でも、そんなこと関係なかったんだよ。たぶん」
「大アリじゃない!もし彼氏いるんだったら、略奪よ略奪」
「あはは、いいね、燃える」
なんだか真面目に反論するのがばかばかしくなった。
どうせ実際のところ、彼氏などいないのだし、おそらく本当だったところで、たぶんカカシは婚約指輪を持ってやってきたのだろう。
ただ、そばにいてほしくて。それだけでの想いで。
「ねえ、はめてみてくれる?」
語尾を上げながらも、サクラの答えは聞かないまま、カカシがサクラの左手をとる。
きつかったらどうしよう、と思っていたのだが、サクラの細い指にはするりとおさまった。
「おーぴったり」
嬉しそうなカカシの表情につられ、指輪のはめられた自分の指を見る。
つい、さきほどまで。一生手に入れることがないと思っていたものが、あまりにもあっけなく、あっさりと今ここにある。
「…わたし明日死ぬのかな、それとも夢?」
「なーに言ってるの。もう一生ひとりですさんだ人生送るつもりだった男の人生変えちゃったんだよ?どんだけの責任があると思ってるの。夢オチなんかで逃がすわけないだろ」
きらきらと光る指輪は、あまりにもきれいだ。
夢のように。
だからこそ、現実とは思えない。
「それにね、おまえとのあらぬ噂立てられて、もう最近じゃ誰も寄ってこないしね?」
「先生、知ってたの?」
「当然だろ、張本人だぞ? 何度も訊かれたよどうなのかって」
それはカカシに対してだったか、あるいは。
「おまえに変な男が寄り付くのも嫌だなって、否定もしなかったけど」
「ちょ、違うでしょ! 先生目当てのくのいちが近寄らないための牽制のつもりで、わたしも黙ってたのに」
「なによ、言い寄られたかったの?」
ぐ、と押し黙る。そういうことではない。
でもそんなことより、気になることを言われた気がする。
「わたしに変な男が寄り付くのが嫌…って、先生わたしのこと好きだったの?」
「んー、そうだね」
「なにそれ」
「これまで考えないようにしてたからね。生徒としてはもちろん好きだったけど」
左手をつかまえられた。
きゅう、とつながれる。
「でも、大事だったよ」
ずっとずっと。それは変わらない。
「これからは、もっと特別になる」
不思議だ。
カカシと共にありたいと望んだはずなのに。
カカシと【結婚】という単語があまりにも結びつかないでいる。
ここまでされているのに、どこかフィクションのようで。
いつだって他人と距離を置いていたカカシ。それはサクラを含めても。
誰かの一番になろうとせず、自身もみんなを大切と言いながら遠ざけていて。
それは一緒にいても、どんなに食卓を囲んでも、ずっと拭いきれないでいた壁。
いつかその壁を、こちらからぶち破ってやろうと思っていたのに。
そのはずだったのに、その壁は向こう側から、あっさりと突き破られた。
「サクラもしかしてあんまり嬉しくないの?」
「ていうより、拍子抜けしてる」
「…まあ、それは俺も同じだけど」
それにしても、笑顔を作れない。作ろうともしていない。
自分の感情に素直になるのであれば、真顔にしかなれない。
幼い頃から思い描いていたプロポーズのシーンでは、感激して涙するものだとばかり思っていたのに。
すべてを超越した驚きが感情を支配してしまって。
わかってる、なんて大口叩いたのに、やはり結局なにもわかっていなかった。この男のことなど。
この先ずっと一緒にいるのなら、この先はどれほど驚かされるのだろう。
「で?」
「で、って?」
「サクラはどう思ってるの?」
さきほどプロポーズをかましてきたのだから、どうもなにもあったもんじゃないだろうに。
つないだ指が、あたたかい。
こんな体温を持っていることも、はじめて知った。
まだまだ、知っていきたい、と思う。
「わたしは先生が好き。先生がどうなのかは知らないけど…」
これからまだまだ、知らない顔をたくさん見せられて、どれほど驚かされることになろうとも。
「まあでもそんなこと抜きにして、そばにいたいと思ってくれたんだったら」
このつないだ手のむこうがわは、やっぱりいつでも、この人であって欲しいから。
「先生、やっぱり結婚して」
向けられた表情はやはり笑顔ではなかったが、まっすぐで真剣で。カカシは破顔する。
「いいよ」
ようやく、サクラの表情が和らぐ。
吸い込まれるように、カカシの胸へ飛びつく。どちらともなく、きゅうと腕をまわす。
付き合いは長いのに、こうしてぬくもりをわかちあうのは、はじめてだった。
「おかしいわ。10年前に、ものすごい覚悟を背負い込んだと思ってたけど」
「んー?」
「今のほうがもっと、ものすごい覚悟が必要な気がしてきた」
いつかぶち破ってやると思っていた壁。
とにかく壁が分厚すぎて、破ったあとのことなど、まったく考えてもいなかった。
それほどの壁をこじ開けてしまったのだから。
「大じょーぶ。一緒に背負ってあげる」
屈託なく笑うこの人がいるなら、なんとなく大丈夫そうな気がしてくるから、不思議だ。
そもそも、この暢気そうな笑顔こそ覚悟しなければならない元凶なのだけれど。
まぁいいか、と思わせるだけの力がある。
「ま!いつまでも玄関てのもなんだし、とりあえず、メシ食う? 今日なにも買い物してないけど…」
「ああ、大丈夫。こないだ特売日に買ったひき肉冷凍してあるし、春キャベツこないだ買ってきてるから、ロールキャベツ作る」
「お、いいねー」
そうして結局、今日も食卓を囲む。
明日も、あさっても、これからもずっと。
(20140126)