「あ、先生。今日は顔布はずしてる!」

 カカシの入院5日目。

 相変わらずサクラはノックもせず、遠慮なくガラガラと病室の引き戸を開ける。もちろんそれは、カカシが自分の気配を察してくれるだろうという全幅の信頼によるものである。

 徐々にカカシの身体機能は回復しつつあるものの、1日の大半はベッドに横たわっている(ちなみに余談だが、腕を動かせるようになったカカシが最初にやったことは、シモの処理である)。起き上がるには、いまだに多少の痛みは伴う。
 カカシには取り立てて見舞いに来る者もいないし、鉄壁の警護のついた木の葉病院が、そうやすやすと侵入者を許すとも思えない。すっかりと油断しきった生活を送っているのだ。

「ははははは…。文字通り、オレにはもう隠し事なんかまったくないさ…」
「だめよ。覆面キャラはそう安々と素顔を見せちゃいけないの。もっと勿体つけて!」
「覆面キャラってあのね…」

 その魅惑のマスクの下どころか、あますところなくすべてを目撃したアナタが何を言うの、と内心思ったが、言うだけ情けなくなるので口をつぐんだ(ちなみに余談だが、さっそく初日に身ぐるみはがされ全身をいやにていねいに拭かれたときに、サクラがにやりと唇の両端を上げたのをカカシは見逃さなかった)(そして一生そのサクラの表情を忘れないと思った)。

 いつもどおり、サクラは見舞い客用に用意された丸椅子にどっかり座りこんで、クリップボードを胸に抱えながら、カカシの顔を覗き込んでくる。

「顔色はいいみたい。じゃ、もう隠していいわよ」
「もーサクラに隠すことなんてなんにもないんですう〜…」
「あたしにだったらいいの。じゃなくて他の人に、よ。勿体無いじゃない」
「うん?」
「マスクの下の素顔の秘密を、せっかく先生とふたりだけで共有してると思ったのに」

 真顔で。

「…そういう殺し文句は、相手選んで言ったほうがいいわヨ」

 たっぷり時間をかけて用意できた言葉は、その程度だった。
 なによー、と眉をひそめて絡んでくるサクラはきっと気付いていない。
 カカシの言葉に若干の動揺が含まれていることに。 

「どのみち、この部屋に来るのはサクラくらいだし」

 結局折れたカカシが、首まで下ろしていた布を定位置まで引き上げた。

「うーん、まぁそれは対策を練ってあるから当然なんだけど、それでも突然別の看護師が来たり、うっかりナルトあたりがふざけて奇襲かけてくるかもしれないでしょ?念には念を、よ」
「…対策?」

 あやうく聞き流してしまいそうなほどさらっと言われたその単語に、違和感を覚えた。
 この病室にひとを近づけないために、なぜサクラが奔走する必要があるのか。

「調子に乗ると思って言わなかったけど、この機会にとばかりにカカシ先生に面会を希望する妙齢のくの一が後を絶たないのよね」

 男として喜ばしいことを報告されている気はしたが、それよりも「調子に乗ると思って」のくだりが気になってしまった。

(どんだけ俺信用ないのよ)

 じぃと半目でささやかな抗議の目線を投げかけても、サクラは動じない。むしろ気付いていない。
 それどころか、より怒りをこめて熱弁している。

「じゃなくてもカカシ先生のお世話狙いで、この病院の看護師も何人かここに来る機会うかがってるんだから!まったく油断もすきもありゃしないったら。腹が立つから全員追い返してやったわ!」
「はぁ…」
「あとで聞いたんだけど、あたしを担当にさせたのもそういう裏があったみたいよ。看護師たちが浮き足立って仕事にならないからって。失礼しちゃう!」

 ふんっ、と鼻息荒くまくしたてるサクラに口を挟む余地はない。
 怒りの矛先があちこちに向けられているため、どういったフォローが適切なのか判断しかねたので、カカシはごめんねぇとつぶやくしかできなかった。自分でも何に謝っているのやらわからなかったが、それでもサクラが落ち着いたようでほっとした。


「でも、内心先生だってほっとしてるでしょ。見ず知らずの人に恥部をあらわにしなくてすんで」
「いや、むしろ逆だ!今後の付き合いのない見知らぬ誰かのほうがいっそ気がラクだ!」

 何が悲しくて生徒に…!と涙ながらに訴えるも、サクラは不服そうだった。

「あたしは嫌だなー。どこの馬の骨とも知れない女がやすやすと先生の素顔見るのも、先生好みのナースが甲斐甲斐しく先生の世話して、そんな状況をオイシイと思って先生が鼻の下伸ばすのも」
「…もしもし?」

 一体どういう意味まで汲み取ればいいのやら。
 2人きりの病室。誰も来ないように対策を練ってあるという。やすやすと勘違いでもおこしてしまいそうなシチュエーションに、意味深な言葉。
 ひょっとして、などとヨコシマな考えがよぎったことは否定しない。

(いやいやいやいや)

 そんなばかな、と不埒な妄想に走る脳裏を一掃して、真意をはかるべくサクラの顔をじいと見つめた。

「何よ先生」
「…ねぇサクラ、俺の素顔ってそんなに有毒なわけ?目障り?」
「違うわよ。顔布の下もそうだけど、不用意に誰かを先生に近づけたくないの」
「は?」

 いよいよわからなくなって、カカシは首をかしげる。
 が、サクラはその様子に構わず、言葉を続けた。

「…そりゃ、先生は女の人と近づけるチャンスを奪い取られてご立腹かもしれないけど、こんなときくらい、ゆっくり休んでもらいたいの!」


 やや照れたように、顔を赤らめて本音をぶつけてくるサクラにいとおしさを感じるとともに、まるで愚かなことを考えていた自分を腹立たしく思う。
 こんなにも気にかけていてくれただなんて。元担任とはいえ、手のかかる問題児にばかりかまけて、きっとサクラへの対応はどこか適当になってしまっていた部分もあっただろうに。

 誰かから優しい気持ちで想われることが、こんなにも心をあたたかにするものだったかと。そんな単純なことを忘れかけていたカカシには、サクラの思いやりはとてもありがたかった。

 まだ本調子ではないものの、それなりに動くようになった腕を持ち上げ、サクラの頭をくしゃりと撫でた。

「ん。ありがとーな、サクラ」
「感謝しなさいよー。退院したら、一楽でラーメンね」
「…あれ?こないだは一楽じゃだめとかどーとか」
「うーん、いいの。あたしもそれ相応のオイシイ想いさせてもらってるし」
「?」

 ベッドの上からろくに動けもしない自分が何を与えているかはわ分からなかったが、満足そうに笑うサクラにそれを問うのはなぜだか無粋に思え、何も聞かなかった。

「だから先生、やっぱり素顔は秘密のままね。あんな地雷、世間一般様に晒すのは危険すぎるもの」
「…地雷」
「だから、ね。先生。調子に乗らないでよね。あたしがいなくても、あたしのいない間に、知らない誰かに気を許したりしたら、絶対に許さないんだから」



(20060913)