※サクラちゃん、医療忍術の勉強はじめたて。ある日カカシ先生が例のごとく写輪眼の使いすぎてぶっ倒れてきましたという話。
ひとの気配が近づいているのは察知していたが。
ノックもなしに、ガラガラと木製の扉が音を立てた。
「問診でーす」
聞き慣れた声。扉が開けられる前から、病室に近づいてくる気配は見知ったものであり、馴染み深い彼女のものであるということはわかっていたのだが、一応の礼儀というか。まるでギシギシと音でも立てそうに不自由な首を、なんとか扉のほうへ向けようと努力してみた。
「…サクラ?」
結局首は回りきらず、天井からほんのわずか傾けただけで努力は終わってしまった。遠慮がちに名前を呼んだところで、すでに視界の端に、解答の代わりの薄桃色の髪をとらえたからだ。
「なーに、お見舞いにでも来てくれたの?うん?問診?」
「先生、語尾上がりっぱなし」
少なくとも自分の意識があるうちは、彼女がこの病室にやってきたことはないと思うのだが。
しかしサクラは流れるような所作で、ベッド脇に置かれていた見舞い客用の古ぼけた丸椅子を引き寄せ、カカシの視界のうちにおさまるような位置で腰掛ける。
「修行の一環でね。研修として、入院患者も受け持つことになったの。今後の治療方針に役立てるために、こうやって毎日様子見に来るからよろしくね、せんせ」
そういってニッコリと笑うサクラに、カカシはなんとか笑顔を返す。この病室に運び込まれたのは昨日のことだったが、いまだに表情筋ひとつ動かすにもピリリと痛みが走る、などとは、さすがに情けなくて言えない。これは上司としての意地である。
「うーん、でも写輪眼の使いすぎで動けないだけだからなぁ。特に変化もないだろうし、あんまり力になれないかも」
そういうと、一瞬ぽかんとしたのち、呆れながら「あーのーねー」と腰に手を当て身を乗り出してきた。班行動をしていた当時、ふざけるナルトに対してよくとっていたポーズだった。
「綱手様のお心遣いよ。もちろん問診や治療は修行のうちだけど、せんせーが淋しがってるんじゃないかって」
「…おれってどんな認識されてんの」
特に威厳というものを誇示したいわけではなかったけれど、やはり物悲しく。思わずため息まじりにこぼすと、呆れポーズを引っ込めたサクラが、脇に抱えていたクリップボードを胸の前で抱き直し、こちらをのぞきこんでくる。
「ま、それもあるけど。ほんとのところは、わたしも最初の受け持ちだからね。もしかしたら、見知った相手で慣れさせてくれるのかも」
なるほどね。
ていよく利用されてるわけね。
とは、思っても言わなかったが。というか気にする以前に、元担任として、生徒の成長っぷりを間近で見れるというのは、素直に嬉しかったのだが。
じゃあはじめまーす、といくつかの質問をはじめるサクラに気付けばニコニコと答えながら、なんだか誇らしさすら感じる。
問題児揃いで扱いの難しい7班であったが、いつもこの子には救われたなと、思い返すとこぼれるのは苦笑ばかりになりそうだった。忍びとしての力量云々ではともかく、チームワークの面では、サクラは間違いなく第7班にとっての要であったし、もしもまたあのメンバーで組むことがあるなら、帰る場所は自分の元ではなくサクラなのでは、とカカシはなんとなく思う。自分を見失いがちになる殺伐とした任務ばかりこなしているようなとき、サクラのように現実をつなぎとめていてくれる存在というのは、正直ありがたいものだ。
「なんか立場逆転、だな」
「うん?」
「サクラせーんせ」
戯れに呼んでみただけなのだが、意外にもサクラは顔を真っ赤に染めてうつむいてしまった。
「おやおや」
「もー! 毎度毎度、先生が無茶しすぎるからこうやって動けなくなってるんでしょう!? 少しは自覚しなさいっ」
まるで赤くなったのは怒りのせいだとカモフラージュするように、突然ぷりぷり怒り出した様子がおかしくて、ついつい頬も緩みっぱなしになってしまう。
鉛よりも重たい自分の体が少し恨めしい。以前ならこんなとき、ぽんぽんと頭をなでてなだめてやっていたのに。
ふと、視線がぶつかる。
さきほどまで顔を赤くしていたサクラは、どことなく寂しげに見えた。
「はやく」
気をつけて聞かなければ聞き流してしまいそうに小さな声。
「先生がこんな力、使わなくてもいいような時代になるといいのにね」
「…そうねぇ」
サクラは、やさしい子なのだ。
そういえば班分けした翌日のサバイバル演習でも、ナルトの危機にはたまらず大声で叫んでいた。せっかく気配を消しているのに、みすみす自らの位置を知らせるような真似を。
サスケばかりを気にかけるサクラも、あのときばかりは無意識のうちに叫んでしまったのだろう。忍びとしては褒められる行為ではなかったが、チームワーク云々を説く前の行動としては、まぁまぁ甘く許してやろうと思ったものだ。
だけれどそのやさしさは、忍びに必要なものなのだろうか。
なにより争いのなくなった世界には、自分のような忍びなど必要なくなってしまうのではないか。
(もう、守りたいものも…)
大切なひとはみな失った、とサスケに告げたことを思い出した。
では目の前の少女は。
危険な任務のたびに自分の体を盾にして守ってきた。殺させやしないと、そう約束した。
仲間だから、という理由だけでは、もはや足りないかもしれない。
今まで現実世界とつなぎとめていたサクラは、もし忍びとして生きる必要のない世界がやってきても、自分のための居場所を用意してくれるだろうか。
今度もしまたサスケに問いかけられたらなんと答える?
もう、本当に守りたいものはすっかり失ってしまった?
失っても失っても、大切なものなんて湧いてでてくる。ひとりきりででも生きてゆかない限り。
もう誰も―――。
「先生?」
思わず考え込んでしまっていたのだろうか。黙り込んだカカシを心配げにのぞきこんでくるサクラに気付かなかった。
大切なひとを守るために負った傷でも、それでもきっとサクラは心配する。
だけれど自分はそれを知っていても、この身を盾にせずにはいられないだろう。
(いやな性分だねェ…)
しかしここは年長者らしく、指導者らしく。
再び笑顔を作り直して、サクラを見つめ返す。
「それで平和になったら、立派な医療忍者になったサクラちゃんが俺のこと養ってくれるんデショ?」
「わぁ、元生徒にタカる気?しかも女の子に。いい度胸してるわね」
「だって〜、平和は嬉しいけどオレの食い扶持なくなっちゃうよ〜。アカデミーの給料なんて涙出るほど少ないのよ? そのくせお子様のおもりはめんどうだし」
「なによそれ! 先生なんて放任主義とか言って、いつもいかがわしい本読んでばっかりだったじゃない!」
その言葉にカカシがハッ!と息を呑む。思わずサクラも何事かとカカシを見つめたが、心なしか青ざめているようにも見えたその顔も、次の瞬間、心配したことを後悔するハメになる。
「そうだ! 体が動かないんじゃオレの趣味の読書が…」
「…いい機会じゃない。これを機に脱イチャパラ。脳を健全思考に戻すのよ」
この世の終わりだ、とでも言い始めそうなカカシに、サクラはぴしゃりと冷たく言い放つ。
しかしサクラの言葉は、どうやら耳に入らないようだ。
「あーあ、毎日来てくれる誰かさんが音読でもしてくれたらなぁ」
「ば、かじゃないの!!! サイテー、サイテーだわ! さすがに今のはとんでもなく許しがたいセクハラだわっ! ああもう担当はずさせてもらう!」
「やーん、うーそ、じょーだんに決まってるじゃな〜い」
「そういう態度が信頼を遠ざけるのよ!」
果たしてこれが良い方法だったかはわからないが、これがいつもの自分たちの関係であった。 遅刻をしては怒鳴られ、任務を下忍たちに任せたまま愛読書を読みふけっていれば怒鳴られ、背中が曲がっていると怒鳴られていた。
しかしさすがに、血管が浮き出るほど憤慨している様子には苦笑いするしか出来ず、妥協案の提示。
「まぁまぁ、ここ退院したら、何かおいしいものおごってあげますから」
「トーゼンだわ! ちなみに一楽じゃ許さないからね!」
「えー、文句言うなよ〜」
一楽だってんまいじゃなーい、とか。
これからしばらく任務につけないから今月厳しいのヨ、とか。
色々と続けたい言葉はあったはずなのだが、しかしカカシがそれらを述べることはなかった。
びっくりするくらい、身内びいきを差し引いても、それにしてもとんでもなくかわいい笑顔だったのだ。
サクラが。
しかしなぜだか、最上の笑顔には似つかわしくない威圧感もそこにはあったのだ。
上司である上忍・はたけカカシが口をつぐむほどに。
「カカシせーんせ、わかってないみたいだから一応言っておくけど」
「うん? なんだねサクラ先生」
これまで聞いたことのないくらい甘い声で語りかけるサクラは相変わらず笑顔だ。
とはいえ威圧感は相変わらずで、なんとか和らげようと、さきほど虚をついた“サクラ先生”を引用するも、今度はまったく効果がなかった。
「先生、体の自由が利かないわけよね」
「うん? そうですが」
「つまりは何にもできないわけよね」
「…うん?」
忍者は裏の裏を読め。
散々そうやって説いてきたくせに、次に告げられた地獄の言葉はまったく予想することができず。
「このかわいいかわいいサクラ先生が、食事の世話からシモの世話までしてさし上げるんだから、キッチリ耳揃えて全財産用意するくらいしやがれこのアホンダラ」
威圧感は、もしかすると少し殺気めいていたかもしれない。
この殺気を、最上級の笑顔を崩さぬまま放つ方法を、是非にご教授願いたいところだ、とカカシは半分本気で思う。
「…おおおおおお!!!!!」
(20060819)
せっかくシリアス路線いけそうだったのに、どうしてもシモねたを入れたい衝動に駆られてこんなことに。
ねたはしぼりましょう。