任務報告のついでのように、綱手から元部下の近況を聞かされた。
「脇目も振らないようなところがあるからな…、一応忠告はしたんだが」
眉根を寄せ両肘を机について考え込むような仕草から、その忠告がうまく通らなかったであろうことを悟らせるには充分だった。
真っ直ぐすぎるきらいがありますからね、と返したのはいかにも上司っぽいコメント。
まあ、理解した。綱手の思惑も、おそらく自分が求められているであろう振舞い方も。
そしてきっと、自分はその通りに動くのだ。
だが本音は、少しばかり恐ろしかった。
彼女のひたむきさは、痛いほどよく知っている。
綱手も忠告せざるを得ない状況にまで追い込まれているのだとしたら、それはよっぽどだ。
そこまでに至った彼女を見て、ただ彼女の上司として求められた対処が冷静にできるのかどうか、不安だった。節度を飛び越えて、踏み込みすぎてしまうのではないか、と。
失礼します、と火影の執務室を後にして、足を向けたのは件の教え子がこもる研究室。
閉め切られた扉の取っ手に触れるより先に、激しく咳き込む声が聞こえた。
冷たい汗が、背中を一筋落ちていゆく感覚。
心配ではっきりと確かめたい気持ちと、現実を見たくない気持ちとがわずかにせめぎ合う。しかし、結論が出るよりも先に体は動いていた。
ノックもせず乱暴に音を立て扉を引き開けたが、激しい水音に紛れきれないほどの嘔吐を繰り返す彼女は、こちらにはまったく気づいていない。
成長を求めるあまりに、自ら成長を妨げている、消え入りそうな、小さな背中。
想像通りだった。それなのに、実際目にした印象は一段と、果敢なげに見えた。
わざと軽く足音を立てながら、息を整えようと片を上下させる背中に近付けば、ようやく気配に気付いたであろう彼女の動きが一瞬、止まる。
咄嗟に、手首を掴んだ。
その細さに、驚く。
痛いと訴えるか細い声に、手を離すことはせず、僅かに拘束を緩めることで応えた。
少しでも強く握れば折れてしまいそうだと感じながらも、無意識に力がこもってしまっていた。
捕まえていないと、溶けて消えてしまいそうで。
無理するな、お前はちゃんと成長しているから。
いかにも『せんせい』のような言い草で、逸る気持ちを隠しきれない子どもの心を諭しながら、自分にも言い聞かせる。
この子は、あの子じゃない。
はじめてサクラの瞳を見たときに感じた既視感。
サクラを知れば知るほど、見えてくるのは彼女と違う面ばかりで、なぜあのとき彼女をだぶらせたのか、それさえ不思議に思えるほどに。
それなのに。
(また…、)
カカシ先生。静かに呼ぶ声に視線を向ければ、理知と慈愛を湛えた双眸が、こちらをまっすぐ見つめている。昔、よく見たまなざしだった。失ってしまった彼女が自分に向けていたものに良く似た。
とたんにすべての抵抗を失い、しゃがんでと言われるがままに腰を落とした。手練れの上忍が聞いてあきれる。こんなやせっぽちな少女を前にして、一切の弾圧もないのに自由を奪われてしまった。
こちらの隠し切れない不安な心はいともたやすく看破され、頭を掻き抱くように細い腕を回された。
まるで母親が自分の子を愛おしむような手つきで。
「だいじょうぶ、だいじょうぶだから」
何度も何度も繰り返される。
きゅうと抱きしめてくる腕はとても優しく、あたたかい。
触れ合った箇所から流れ込んでくる子どもの体温は高く、自分のからだの冷たさを思い知る。
たまらずこちらからも腕を回す。顔をうずめると、全身を包み込まれるような安心感があった。
それなのに。
(苦しくてたまらない)
優しさを憶えれば憶えるほど、失うことへの恐怖が募るばかりだった。
いつかサクラも、彼女と同じように?
いっそうからだが寒気を覚え、小刻みに震える。
自分を支配し続けるこのトラウマは、一体いつになったら拭い去れるのだろう。
(20150126)