第七班は、事実上解体していた。

 誰もがまたあの頃のように戻れることを諦めずにいる一方で、変わってしまったものは二度とは同じようには戻れないともどこかで理解していて。

 それでも軋む心を更にきつく縛り付け、吐くまで毎日修行を積むのは、なぜなのだろう。



 
 勢いよく吐水口から飛び出す水音をもってしてもかき消しきらないような、激しい嘔吐。
 水場までよくもった、と出し切って息を整えながらやけに冷静に思う。

 こんなことを、もう何日も。
 もう何日も、繰り返している。

 希望の光までははるか遠く、先が見えない。
 あるいは、そんなものはどこまで進んでも見つからないかもしれない。

 そんな不信が僅かに生まれても、それでもやめることを選べない。
 何に縛り付けられているのだろう。何に、縋っているのだろう。


 きゅ、きゅ、と鳴らしながら蛇口のハンドルをまわしたところで、わざとらしい足音が耳に届き、はじめて人の気配に気がついた。
 いつから見られていたのだろう。

 なんと言って誤魔化すべきか、口元を滴る水滴を拭いながら考えようとした刹那。

「…おい、」

 ひどく強い力で、手首をつかまれた。
 ぶしつけな呼び止め方だったが、その声にはわずかに焦りがにじんで聞こえた。

「…痛い、です」

 顔を上げないまま、よそよそしく答える。
 こんな口調、出会ってから一度だって、彼に向けたことはない。

「ハイペースすぎるぞ。おまえの身体に合ってない」
「だからです。人一倍やっても、わたしはふたりに追いつけない」

 どんなときでも脳裏を掠めるのは、いまは離れたふたりの少年。
 彼らが特殊な状況下の子供であったことは事実。だがそれがなんだと言うのだ。何の血筋も持たないことを、言い訳になどしたくない。取り戻したいのは自分。だから。

「だから、まだ…、まだ、足りないんです」
「こんな無茶をしても、身体を壊すだけだぞ。こんな修行の仕方では、身にならない」

 論理的な反論ができず、唇を噛む。
 彼はいつだって正しい。ひととして、忍として、師として。
 だがそれでも、自分の努力と思っている行為を、無下に片付けられたようで、ひどく悔しかった。

「写輪眼を持ってるカカシ先生にはわかりっこないわ。なんの力も無いふつうの下忍の気持ちなんて」

 だから離してください。そんなニュアンスを込めて。
 しかし手首を掴む力は、いっそう強くなった。

「せん…」
「サクラ」
 
 彼が呼ぶ自分の名前。その頼りない声色に含まれていたのは、窘めるような大人の余裕ではなかった。
 はじめて、顔を見上げた。
 不安そうな悲しそうな、まるで母親を見失った子供のような表情を浮かべたカカシが、そこにいた。

「諦めろなんて言わない。俺も、諦めない。だから、ひとりで抱え込みすぎるな」

 強く掴まれて痛みを感じていた手首は、もしかしたらその優しさを苦しく感じてしまったからかもしれない。
 やはりいつだって、彼は正しいのだ。
 
 諦めないでさえいれば、失わないでいられると思っていられる。
 そんな心の弱さを縛り付けて、毎日吐くまで、確証の無い希望に縋っていた。

 だが彼は違った。現実を痛いほど知っている。
 しかしそれでもなお、「諦めない」という。彼は。
 
 いつかの記憶がよみがえる。
 ああそうだ、彼は、こわがっているのだ。誰よりも、失うことを。

 自分の手首を掴んだままの彼の手のひらに、もう一方の手を重ね、きちんと向かう合うように体を向けた。

「ごめんなさい。少し焦ってて」
「…おまえは自分が思ってるより、ずっと成長してるよ」
「ありがとう、先生。…それでも、焦る気持ちは、たぶん消えない」
「だからって…」
「うん、大丈夫。自分のペースに合った修行をする。…実は師匠にも最近、いろいろ言われてて…」
 
 さすがに吐くところまで見られてはいないにしろ、少しずつやつれていく体をただ見守っていてくれるほど、彼女も甘くは無い。
 やはり忠告を受けていた。受け流してしまっていたが。

「カカシ先生」

 まっすぐに見つめながら、しゃがんで、と続ければ、彼は素直に従った。
 あのとき彼が自分にしたように、包み込むように、腕を回す。

「だいじょうぶ。わたしは強くなる。今日カカシ先生が止めてくれたから、もう無茶はしない」

 だいじょうぶ、だいじょうぶ。
 泣きそうなカカシに向けてかけていたつもりの言葉だったが、自分への暗示のようにも思えた。
 わたしは強くなる。きっと。

「だからわたしがカカシ先生を守ってあげる」

 いつかと同じせりふで。彼は覚えているだろうか?
 あのころはまだ子供のたわ言だったかもしれない。でもいまは、違う。
 いまこうして彼に守られたように、わたしも、彼を。

 腕の中のカカシが顔をうずめ、そっと腕を回してくる。本当に、これではまるで、母親を求める子供のようだった。
 そんな彼に向ける自分の感情は、一体何なのだろう。
 ただただ、愛おしく、守りたい。それだけだった。
(20150126)