『ひみつのばしょ』





「…ずいぶん手こずらせてくれたわね」

 そんなセリフと共に、遠くでゴロゴロと響く雷鳴の音を従わせ、ザッザと小石混じりの砂地を闊歩してくる様は、さながら敵の総大将のようだった。
 殺気も纏わずこれだけの迫力を出せるだなんて。ましてや一見しただけではまるきりたおやかな女性でしかありえないのに。

「サクラ。早かったね」
「…今日は30分かかった」

 自分は心から感心していたのだが、彼女から返ってきたのは恨めしげな表情。

「へー、よくわかったじゃない」
「屋根のある演習場はここだけだったわ」

 木々に囲まれたここは、道場が備え付けられている唯一の演習場だ。射場に倣って建てられた投擲用の道場であるため、壁一面が取り払われ、そこから約30メートルほどの距離に的を設置する垜(あづち)が盛られている。
 しかし自然環境や地の利を生かした戦い方を身につける必要のある忍びにおいてはあまり訓練として必要のない好環境。そのため使われているところを目にしたことはほとんどない。唯一、アカデミーに入りたての子どもたちの授業に使用されるくらいだろうか。

 近づいてくるサクラの背後には、いまにも雨の降り出しそうな真っ黒な雲に覆われた空。
 念のため緊急の件が起こったときにすぐ駆けつけることが出来るよう、執務室から離れすぎない場所。
 そしてもうひとつ、譲れないルール。

「…さすが」

 自分の考えなどお見通しなのだ、この子には。


 火影の重圧に耐えかねて…なんて大層な理由でもなく、息が詰まったときに小休止のつもりで行方をくらますことがある。
 たとえ僅かでも、誰にも邪魔されずに愛読書を読んだりぼうっと考え事をしたりまぶたを下ろしたり、そんな時間を過ごせるだけでいい気分転換になるのだ。
 だが最初は大目に見てもらえていた小休止も、一度本格的に寝入って会議に遅れて以来、以降周囲の目が厳しくなってしまった。
 はじめのうちは側近たちが総出で探し回っていたようだが、自分を見つけるのはいつも決まってサクラだった。いつしか皆もその事実に気付きはじめ、火影不在時にはまずはサクラを探せ、というのが暗黙の了解になっている、らしい。

「さー観念しなさい、わたしも自分の仕事放ってきてるんだからね、さっさと戻るわよ!」
「おまえにはいっつも見つかっちゃうねぇ」

 道場に腰掛け外に投げ出していた足元にまでサクラが迫ってきたので、肩をすくめて降参の態度を示す。

「だったら先生、わたしだけがわかる場所にしか行かないのはどうしてなの?」
「どうしてだろうねぇ」

 最初は本当に無意識だった。懐かしい子どもたちの影を追いかけて、思い出にもならないような記憶が残る場所を無意識に選んでいたのかと思っていたが、あるとき迎えに来るのがサクラだけだと気付いたとき、自分のなかでそれははっきりとルールとして確立された。
 ここは下忍時代、ナルトとサスケに内緒でこっそりつけてやった手裏剣の個人授業に、たった一度だけ来たことのある演習場。
 おれも大概だけど、おまえもよく覚えてるね? いまのところ見つからなかったことはない。確かめ合うように、ふたりで思い出をなぞり合うなんて、これではまるで。

「なんだかわたしに見つけて欲しいみたいね」
「まあほら、見つかっちゃったからしょうがなく…ってほうが、顔出しやすくない?」
「半分は本当ね」
「…じゃあ残りは?」

 やけにきっぱりと言い切るサクラの考えが聞きたくなって、じっくりと見上げて反応を伺う。

「わたしを、待ってるんでしょう?」
 
 不意に稲光がピカっとあたりを照らした。一瞬だけ逆光になったサクラの表情が読めずに戸惑っていると、ほどなく耳をつんざくような大きな雷鳴が響き渡った。あまりの音の大きさに驚き身を縮こまらせていると、空が震え、溜め込んだ水分が堪えきれず雲から漏れ出してきたように、ぼつりぼつり、ボタボタ…と目に見えて大粒の雨が激しく地面を叩きつけはじめた。

「あーあ、降ってきちゃった」

 最初のひとしずくを額で受け止めてしまって、濡れて張り付いた前髪を掻き分けながらサクラがこぼす。
 あわてて道場に上がりこんできたが、額から滑り頬に残った雨粒は、サクラの瑞々しい肌に弾かれ、そのままぽつりと床に落ちた。
 
「近そうだね」

 被害がなきゃいいけど。重たい雨の幕に閉ざされながら、まるでここから出ることを許してもらえないようだ、と思う。
 足を引っ込めたおれの隣に座り込んだサクラが、空を見上げてうんざりとしたため息をついた。

「もーどうするのよ、先生がモタモタしてたせいよ」
「いいじゃない、もう少し雨宿りしていこうよ」

 だとしたら、きっといまこのタイミングなのだろう、おまえとふたりきりで過ごした場所しか選ばない理由を伝えるのは。
 そうしたらおまえにも訊いていいかな。わかっていながら毎回懲りずに迎えに来てくれるその理由を。
 
遣らず(やらず)の雨…帰ろうとする人をひきとめるかのように降ってくる雨。(デジタル大辞泉)
(20150607/#夢のカカサクエアオンリー提出用)