おれくらい面倒な性格を拗らせてしまうと、今わの際にでもならなければ、自分の気持ちを素直に言葉に繋げて伝えることなんて、できはしないのだ。








 火影執務室が置かれた建物には、貴重な資料や禁術が記された巻物など、軽々しく目に触れることさえできない、いわゆる里の最重要機密が収められた厳重な保管庫がある。
 通常の金庫の錠前に加え、ありとあらゆる忍術、さらにはブービートラップまでもが幾重にも仕掛けられており、侵入を果たすのは困難かつひどく面倒なため、これまでこの鉄壁の構えに踏み込んだ者はいない。

 もちろん後世まで継ぐべき貴重な情報。必要に応じて資料の開示は行われてきたものの、閲覧を許されるのはごく限られた人間のみ。
 ここに収蔵されている資料の内容さえ極秘扱いなのだ。

 そんな保管庫への立ち入り許可の申請が医療部より届けられた。申請者は、上忍・春野サクラ。
 先の大戦を含む数多の功績に加え、五代目火影の弟子にして六代目の教え子、いまや里随一の医療忍者にまで成長したのだからと、上層部のお墨付きだ。
 先月の予算会議では、医療部が新たな研究を始めるのだと発表していた。おそらくそのための情報集めだろう。知識欲の塊のようなサクラは喜び勇んで名乗りを上げたに違いない。想像するまでもなく嬉々とした表情が頭に浮かび、自然と頬が緩んだ。



 当日、保管庫の前にやってきたサクラを、シカマルと共に待ち構えた。
 保管庫を開くのは火影の役目。当代の火影の指紋や声紋、そしてチャクラの性質の認証により、厳重な仕掛けを一瞬で解除することができる。

「…ありがとうございました、承認いただいて」
「里の未来のための研究なんだろ? 期待してるよ」

 嬉しそうとは決して言えない声色にも、にこやかな対応を心がけたが、こわばった表情は変わらなかった。
 仕掛けを解いて重厚な鉄の扉を押し開けると、どろりとした空気が流れ出してくるような錯覚に陥った。廊下の窓から差し込む日差しが舞い上がった埃を照らしていたから、ひょっとすると完全に錯覚ではなかったかもしれない。

「空気悪そうだな…、ちゃんと風通ししてるのか?」
「創設期以前からの古い資料もあるってんで、うかつに外気に触れさせられないんすよ。内容自体は、新しく編纂しなおしてるみてェですけど」

 窓はともかく、換気口くらい作ってもいいんじゃないのと思わず顔をしかめてしまったが、そこへ籠もろうとしている当人はむしろ瞳を爛々と輝かせていた。

「すごい…、そんな貴重な文献と同じ空間にいられるだなんて…」
「物好きなヤツだな…、一応言っておくが、申請してあるところ以外には触れるなよ」

 シカマルの忠告に、わかってると口だけで答えてはいたが、意識は既にこちらを向いていない様子が伺える。
 そういえば以前聞いたような気がする、読書はもちろん、本そのものから感じる時の積み重ねに心を奪われるのだと。いつ誰がなにを求めてその書物を開いたのか、そんな背景を想像するのさえ楽しいのだと語っていた。

 暗闇に包まれていた庫内にあかりが灯ると、並べられた書架や、入りきれず床に置かれた木箱や詰まれた本たちの輪郭がゆっくりと浮かび上がっていく。しかしそれでも奥まった部分は暗く、想像していたより遥かに広いようだ。いま見える範囲だけでも、以前住んでいたアパートの部屋の二室分程はありそうだ。

「それと、悪いが立会人を置かせてもらう。決まりでな」
「立会人?」
「じゃあ六代目、お願いします」

 ん、と軽く答えて印を結ぶ。煙幕から影分身が顔を出すなり、期待に胸を膨らませていたようだったサクラの表情が、みるみるうちに曇りだす。ここまで嫌われたものか、と思わず嘆息する。

「…わざわざ火影様のチャクラを使われなくても」
「あいにく感知タイプが塞がっててな。影分身なら、なにかあっても術を解けば本体に伝達ができるだろ」

 合理的だろとでも言いたげな、反論のしようのないシカマルの言葉に、サクラが不服そうに口をつぐむ。
 察しのいい彼のことだ、自分とサクラのあいだに漂う妙な空気を感じてしまったのだろう、内心面倒だと思っているに違いなかったが、それでも何も聞かずに場を収めてくれたことに心の中で感謝する。

「じゃあよ、一時間後にまた来るからな。それまでに終わらせておいてくれ」

 あとは宜しくお願いしますと軽く会釈して背を向けるシカマルともうひとりの自分を見送っていると、ぼそりと低いつぶやきが背中にぶつけられた。

「…謀ったんですか」
「まさか。シカマルの言ったとおりだよ。ほら、一時間しかないんだ、さっそくはじめよう」


 相変わらず納得していないのは明らかだったが、前もって渡されていた保管庫内の配置を確認しながら、てきぱきと目的の資料を探していく。
 仕事に入ればこちらのことなど空気のようにしか感じていないのか、はやる心を抑えきれないとばかりに医療関係でまとめられた棚を片っ端から開いては、誰に見せるでもない百面相。手元に置かれたノートの真っ白なページが、あっという間に細かい文字で埋められていくのが見えた。
 何か手伝おうかと口を開きかけて、それは立会人としての領分を侵してしまうだろうと思い留まる。
 大体、声を掛けたところで、いまの状況では突っぱねられるだけだ。

 片手間に開いていた愛読書のページを捲ると、脚立に乗って爪先立ちをする足が目に入った。
 書架のさらに上に備え付けられた棚。配置図には記載がなかったが、おそらく書架に入り切らない資料の山を収納するため、あとから付け足されたのだろう。
 
 頬を膨らませ背伸びして奮闘しているが、それでも指先が棚板をかすめるかどうかを繰り返すばかりで、そのうえずっと置きっ放しにされていたであろう古い脚立がガタガタと音を立てるのも危なっかしく、さすがに手を貸そうと近寄る。

 一歩踏み進めたところでいやに大きくギシと床板が大きく音を立てた。
 すると、こちらの気配にも気づかなかったらしいサクラが慌てたように振り返り目を見開く。

「サクラ、大丈夫か」
「カカシ先生来ちゃダ―――」

 次の瞬間、カラン、と床で音を立てたのは、棚を支えていたはずの金具。

 メ、の音が発せられるよりの早く、脚立の上のサクラの腰をさらってそのまま壁際まで移動すると、ガタガタと派手な音を立てて崩れてくる大量の書物と巻物を呆然としながら眺めた。

 棚から落ちてきた埃と床に積もっていた埃が混ざり合い立ち昇る様子はさながら煙霧のようだった。やはり換気は必要なのではと思い直しているところで、なにかきな臭い匂いが鼻についた。耳を澄ませば、パチパチとはじける音。
 抱えたままのサクラが先生!と叫ぶのと同時くらいに、彼女を下ろして真っ白な煙幕もとい埃のなかへ飛び込むと、炎が小さく床を這っているのが見えた。慌てて足で踏みつけて鎮火させると、小火は巻物の上でだけ起こっていたことがわかる。おそらく開くと発火する仕掛けにでもなっていたのだろう、棚から落ちた拍子によりによって留具が外れて術が発動してしまったのだ。

「おまえは大丈夫だったか」

 一息ついたところで埃の幕も下り、サクラの様子を確かめるべく体を向き直す。
 しかしさきほどまで呆然としていたその場所に姿はなく、入り口の扉ののハンドルをがちゃがちゃと回していた。しばらくして開く気配がないと諦めたのか、がっくりと肩を落として項垂れてしまった。

「…サクラ?」
「も…、どうして来たのよ!!」

 髪を振り乱しこちらを振り向くサクラの顔は、怒りに震えているようにさえ見た。
 多少の小言くらいはあるだろうとは想定していたが、それにしても感謝や安堵のかけらさえ見えない表情に多少怯んでしまう。

「この保管庫、資料を守るために、火気を感知すると庫内の酸素を吸入して、およそ10分程度で真空状態にするんです」
「…つまり、それって」
「このままだと、10分後にはわたしたちふたりとも、窒息死です」



 しんとした部屋に、彼女の透き通るような高い声はよく響いた。
 こんなときにもはきはきと聞き取りやすい口調で、難しい言葉を喋っていないこともわかったのに、なぜだかサクラの言っていることを理解することができず、3回ほど気持ちを落ち着かせるための大げさな呼吸をしたあとで、まばたきを3回した。

 そこでようやく、事態を理解した。


「あー…思ってたよりあっけないもんだね、人生なんて」
「なに達観してるのよ! そんなことより術を解いて早く本体を連れてきてください!」

 話しながらも肘を後ろに大きく引いて、握り締めた右腕にチャクラを溜めているのが見てとれた。
 激しい語尾と共に顔めがけて繰り出された拳はただ分身を消すためにしては重く、咄嗟にガードをしたもののさきほど崩れてきた書物や巻物を引きずりながら、一気に反対側の壁まで追いやられ、ドスンというかなりの衝撃をもって背中をぶつけるはめになった。おそらく今抱えている怒りや日ごろの鬱憤をも加味されたに違いなかった。

「ちょっと先生!ふざけてる場合じゃないんですよ! 次は避けないで」
「無駄だ。何度やっても消えないよ」
「どういう意味っ…」

 いきり立ち振り上げられていたサクラの拳が、力なく頬の脇をすり抜け、こつんと壁にぶつかった。

「…本体、なんですね」
「…そーゆーこと」

 サクラが突然ふらりと揺れた。力が抜け崩れ落ちる体を、膝が地に着く前に腕を伸ばして抱きとめた。

「ごめん」

 胸元で俯く薄紅色の頭に向かって小さくつぶやいた。

 生命の危機に瀕しているわりにずいぶんと軽い謝罪だなと我ながら思う。しかしおかしなもので、不安も恐れもあまり感じていなかった。
 かといって助かる希望があるわけでもない。強いて言えば、最初に崩れてくる棚からサクラを庇いに行ったとき、思わず影分身を解いてしまったから、それに気がついた誰かが救出しに来てくれるかどうか。見つかっていなければ、一時間後に扉を開けに来てくれるのを待つしかなかったが、もちろんその頃には手遅れだ。
 期待を持って解除を試みたものの、一度酸素が抜け始めると真空状態になり鎮火が確認されるまでロック状態は解除されないのだという。サクラが言うには、人間は完全な真空状態になってしまうと十数秒程度で意識を失うというから、そうなってしまえば当然望みは薄いだろう。

「先生のろくでなし」
「なんとでも言って、なんでも受け止める」

 びくともしない扉を諦めて、へたりこむサクラの隣に座り込んだ。
 強くなじられれば少しは気が晴れるかしらと言う期待はあった。しかしいまの彼女は感情に流されるほど愚かではない。顔を俯かせたまま、静かに口を開く。

「ありえない、世界が終わるってときにも乗り越えられたのに、こんなまぬけな理由で終わっちゃうなんて」
「はは…、忍びとして史上最低の最期だな」
「いまにも外れそうな金具と、炎って文字の巻物が見えた気がしたの。だから危ない予感がして、扉のそばにいて欲しかったのに」
「しかたないだろ、体が無意識に反応しちゃうんだよ。黙って見守るなんておれには無理だ」
「…そんな、いつまでも、『先生』にしばられなくていいのよ。わたしはもう、あの頃みたいな弱い子どもじゃない」
「先生だからなんてつもりはないよ。おれは、」

 そこで言葉を続けることができなかった。
 危ないと思えば、それが誰だったとしても反射的に体は動くだろう。
 ただ、どうしてか、サクラを守るのは、自分でなければならないのだ。この子が子どもだったときから、強くたくましい忍に成長した今でも、その意識は変わらない。

 自分の妙なこだわりにいまさら気がついて戸惑っていると、暗い部屋の中でも独特に輝く翡翠の瞳に捕らえられた。

「ねえ、どうして本体が残ってるのよ」
「…それはちょっと」
「なんでもって言ったじゃない」

 サクラは不満げに口をとがらせていたが、少し思案顔を浮かべたあと、壁沿いに座る自分に倣い壁に背を預けて座り直した。

「…でもいいわ、わたしもいけないこと考えてるし、おあいこかも」

 ふふと微笑みながら目を伏せる仕草が妙に女らしく見えてどきりとする。
 正確にはあとどれくらいの時間が残されているだろう。ひょっとしたら意識がだんだんと薄れ始めているせいかもしれない、少しふわふわと浮ついた気持ちになっているのは。サクラが抱えている秘密をあばきたくなって、いけないことって、と問いかける。

「無限月読のなかで…最期かもしれないとき、このまえも先生とふたりきりだったわね」
「…そうだったな」
「あのときも今日も思ったの。今わの際に、ひとりぼっちじゃなくてよかったなぁ…なんて」

 巻き込んでごめんね、先生。
 でもなんだか、例え未来がないとしても、先生と一緒なら、ふしぎとこわくないの。

 もうすぐ命が終わるかもしれないそのときに、これまで見たことのないきれいな笑顔を見せた。
 この子をひとりにさせていなくてよかった。
 しかもそれがおれであるなら、なおさらだ。

 守るべきものはたくさんある。忍として、里の長として。だからひとりの人間として大切なものをつくることに、臆病になっていた。
 自分の生き方のせいで、肩書きのせいで、危険にさらしてしまうのではと、遠ざけることで、守ろうとしていた。

 しかし結局気になって、見えるはずもない場所からいつも探してしまう。自分の手の届かないところでなにかあったらなんて、そんなことばかり考えてしまう。自分の大切なものは、自分の手で守りきらなければ気が済まないのだ。

 心にわだかまっていたしこりがほどけていく感覚。自分が本当はどうしたかったのか、ようやく気がついた。まずは、だらりと力なく投げ出されているサクラの手を握ってみようか。最期だし、なんて言い訳がましく。
 だがもう少しで触れるというとき、きれいだと思っていた笑顔から一粒の涙がこぼれるのを見てしまった。

「だめだわ、やっぱり先生のことが好きです」
「…なんとでもとは言ったけど」
「諦めつかないけど、迷惑になりたくない。だからもう少しだけ、意識が途切れるまで、好きでいてもいい?そしたらこの人生も案外悪くないかも」

 泣き笑い顔に胸が締め付けられる。
 だけれど彼女を想って胸を痛めているばかりではなかった。

 ああ、そうか。こんな想いをさせていたのか。

 たったひとりの特別なひと、と認めた次の瞬間。まるで始まる前から一方的に終わりを告げられた気分だ。
 サクラに負わせていた傷の痛みと強さを今更思い知るだなんて。

「…先生?」
「そんなのだめだ、おまえばっかり苦しんでる」

 さきほどから回りした手で今度はしっかりと細い肩を抱きしめた。

「やっぱりおれは最期までだらしない先生だったな、大切なものも守れないで」
「…でも最期まで一緒にいてくれる優しい先生だわ」

 呼吸が明らかに荒くなっている。喉を引くつかせて空気を求めても、余計に苦しくなるばかり。
 深い海の中で溺れていくように、しだいに考えることも感じることも、苦しさを残してひとつずつ感覚を失っていく。
 最期か…。とそれでも諦めきれないような声でサクラがつぶやく。

「わたしの百豪解放して全チャクラぶつけたら扉は開くと思う?」
「…どうかな、もう立ち上がることももうできないんじゃない」
「ああ、いやだな。もう終わっちゃうんだ」

 涙で潤んだ瞳がせつなさをはらんでいた。抱きしめた腕の中で、せんせい。せんせい。音にすらならないくらいの声で、うわごとのようにくりかえす。
 目じりに溜まった涙をぬぐってやる。もうしゃべるな。そう口を開くのも躊躇われるほどの薄い空気の中、それでもなにか言葉を探しているような様子のサクラの瞳を閉じさせ唇を止める方法は、ひとつしか思いつかなかった。


























 薄れゆく意識に残った最後の記憶は、幾度となく苦しい戦況を打破してくれた、教え子の「螺旋丸!」の力強い雄叫び。


























 次に目を開いたときには、現役時代何度となく見つめた木の葉病院の白い天井が見えた。




 
 身体を起こそうとしただけで立ちくらみのような感覚に陥ってしまい、仕方なく首をゆっくりとまわして周囲を確かめる。
 左右にベッドは置かれていなかった。自分の生死よりもまず確かめたいひとがいないことにひどく焦ったが、足元に視線をずらす途中で、薄紅色の頭が突っ伏しているのが見えて安堵する。
 横になっていなくて大丈夫なんだろうか。ふとんの下から手を引きずり出して、つややかな髪に指先だけで触れてみると、弾けたように身を起こした。カカシ先生、と心配そうに表情を歪めるその目元は真っ赤で、最後に見た涙を思い出す。

「だいじょぶうか、」

 宙に浮いたままだった手をしっかりと両手で包まれる。かすみがかった視界の中で見つけたサクラはまた泣き出しそうな表情はしていたものの、血色も良く元気そうに見えた。

「ぎりぎりのところだったみたい」
「毎度しぶといね、おれもおまえも」
「当たり前じゃない、里の保管庫なんかで死んでたまるもんですか。末代までの恥だわ」
「恥ずかしがる子孫もまだいないじゃないよ…」

 ぼんやりとしていた脳がしだいに晴れていく。言葉も存外スムーズに出てきた。
 サクラの手に少し力がこもったのを感じると、彼女はずいぶん神妙な顔つきをしていた。 

「ねえ、どうして本体が残ったのよ」
「…知らないほうがいいと思うけど」
「聞かずにいられるわけないでしょ、死の淵を見たのよ? それに、これってハタから見たら立派な自爆テロ行為だわ」
「おれとおまえの関係を知ってて、そんな風に疑うやつはいないと思うけど」
「絶対変わらないものなんてないわ、どれだけ忠誠を誓っていたって、寝返った忍だってたくさんいた」
「…そうだな、確かに変わったかも」

 意識の覚醒と共に少しずつ身体も思い通りに動かせるようになってきた。指先に少し力を入れて、サクラの片一方の手の指に自分のそれを一本ずつ絡めてゆく。
 すると意図を察したのか一瞬で頬を真っ赤に染めて、手を離そうとするものだから、いっそう指先に力を込めて捕らえた。少しずつ調子を取り戻してきている。

「職務ほっぽりだしておまえと一緒にいたかったなんて言えないだろ」
「…それはさすがに上に立つ者として最低ですね」

 少し色っぽい展開を期待したのに、返ってきたのはひどく冷ややかな表情。
 まるきり嘘とも言いがたかったが、居心地が悪くなって慌てて訂正する。

「…まあ、本当はもう少し違うけど。でも、おまえに避けられてたし、面と向かって話せるいいチャンスだなと思ったのは本当」
「…なにそれ」
「まあ、仲直りしたかったのよ。いまは仲直り以上したいけど」

 絡めた指先を、サクラの手の甲をさするように動かせば、驚いたようにびくんとからだを震わせたのがおかしくて「さっきのつづき」とだけ小さくおまけでつぶやいた。察しのよすぎる聡さはいまこのときばかりはアダになったようで、困り果てた表情を浮かべながら白い肌をさらに耳まで真っ赤に染める。

「せんせ…、吊り橋効果って知ってる? たぶん冷静に判断できてないんでしょ、わたしたち、もう世界でふたりぼっちじゃないのよ」
「それ、いいね。この先ずっと危ない橋でも渡り続けられそうな気がする」
「いやよ。もう先生と危ない目になんて遭いたくない。老衰まで今わの際はごめんだわ」
「あれ、つれないね。仕事を分身に任せるような無責任な男だからきらいになった?」
「そうね、そうだわ、大体、先生が全うに職務についてたら、こんな臨死体験せずに済んだのよね、つまり先生のせいよね」
「でも、おれがいなくても、サクラがあそこにいてひとりで死の淵を彷徨ったんだったら、おれはやっぱりあの場にいたいと思ったと思うよ」
「…たとえ自分も死にかけても?」
「今わの際に、ひとりぼっちで苦しむおまえなんて想像したくもないね」

 それまで落ち着かない様子でくるくると泳いでいた翡翠の瞳が、ようやくぴたりと動きを止めてまっすぐこちらを見た。

「…もしかして先生、わたしのこと本当に好きなの?」
「あはは、そう聞かれるとなんだか照れくさいね」

 好き。ごく近い気持ちだったが、そんな甘やかなムードとは違う気がする。
 きちんと顔を見たくなって、肘に力を入れて背中を持ち上げてみる。今度はくらりとはしなかった。すかさず支えに入るサクラの腕に素直に甘えて、ベッドをきしませながらゆっくりと半身を起こした。
 こんなふうに、意地を張らずに素直に支えの手に甘えられる相手というのも、自分にとってはなかなか貴重な存在。

「でも、いつでもおれの目と手の届くところにいてほしいし、なにごとからもおまえを守るのはおれじゃないとだめなんだよ」

 改めて、握り締めた手に力を込めた。

 相手を想って心を乱されたり強く焦がれるような、若い激しい熱はきっと持たない。
 ただ、どんなことも分かち合いたいし、そばにいたい。たとえ最期のときでも。こんなあたたかな気持ち、随分久しぶりに思い出した。だいぶ長い間、忘れてしまっていたけれど。

「…なんだかずいぶんワガママだわ、病床のくせに」

 かっこつかないわね、ごまかすように顔をわずかに俯かせながら、サクラがはにかんで笑った。

「…本体がそこにいた理由は絶対聞かれるわよ」
「なんだか胸騒ぎがしてとかなんとか言ってうまくごまかすよ。おれの勘は良く当たるって実績あるし」
「シカマルからは間違いなくどやされると思うけど」
「まあいーじゃない、先のことなんて。まずはおれと一緒に怒られてよ」

 ちょっとした出来心が命がけの事件になってしまったことに気が咎めるが、場所が場所だけにこの件に関わった人員は信頼に足る人物ばかりだろうと踏んで、大きな騒ぎにはならないことを願った。上層部に多少頭を下げることにはなっても、うまく切り抜けられるだろう。とりあえずナルトには一楽でトッピング全載せで口止めをすることにして。
 はあ、とやけに大げさなためいきをサクラが漏らす。これから待っているであろう各方面に行わなければならない状況説明に気落ちしているのだろうが、しかしこちらとしては、もっと将来的な展開が気になるところで。

「で、どうするの? おまえこそ、おれでいいの?」

 まあるく見開いた目を二、三度瞬かせた後、唇の両端を自信たっぷりにぐいと引き上げると、微笑んだ瞳には強気な光が宿る。
 力の抜け切っていたサクラの手が、そこではじめてしっかりとおれの手を握り返してきた。

「最初からわかってたわよ。カカシ先生みたいなひとには、諦めが悪くてしつこくてタフな、今わの際からでも何度だって蘇ってこられるような、わたしじゃないとだめだって」


 それは無敵の微笑み。なんだって乗り越えられると思わせてくれるほどの。
 そんなきみのために生きるだなんて、大それたことは言えない。ただ、この先ずっとふたりで寄り添っていられたらとささやかに願うような、この気持ちの名は。



 仲直り以上のさっきのつづきができたかどうかは、ふたりだけのひみつ。


BEAUTIFUL DAYS / SPYAIR
http://www.uta-net.com/movie/117980/MqfiFhRlIAQ/
3話共通テーマ あい/近藤晃央
http://www.uta-net.com/movie/150764/lfPfE0XuxGo/
(20150606/#夢のカカサクエアオンリー提出用)
長々お付き合い頂きありがとうございました!