バカンスねー!!

 きゃっほー!と飛び上がって喜ぶ少女を恨めしげに見つめつつ、まったく動かせない自分の重たい体が憎らしい。



 病室の窓からは、半身を起こせば、きらきらと輝くビーチが良く見えた。
 きゃっきゃとはしゃぐ声が聞こえる(ような気がする)。

 いいなー、と思わず声に出てしまっていた。

(なんか泣きそう…)

 情けなくて。


 少しずつ回復の兆しはあるとはいえ、まだ満足に体を動かすことはできないでいた。
 夕べ夜更けにこっそり行った腕立て伏せはまだ本調子とは言えず、たいした回数もできなかったのに、上がった息がしばらく落ち着かなかった。

 ともすれば重いため息を吐きがちなのは、このバカンス日和の青空のせいか、楽しげな部下たちのせいか。

 最初の頃こそ毎日見舞いにきてくれたというのに、二日に一度、三日に一度…とめっきり頻度が減ってしまった。
 俺に構わず羽根を伸ばして来い、と確かに言ったのだが、そこまで素直に聞かれると悲しいものもある。
 人間は身勝手なものだ。

 もう一度はあ、と息を吐きかけたところで、近づいてくる気配に気がついた。

「カカシ先生!」

 濡れ髪のまま、ぱたぱたと駆け込んできたのは、サクラだった。
 水着にパーカーを引っ掛けただけの軽装に、何かを胸に抱えている。
 白い素足がなんともまぶしい。

「先生におみやげよ」

 にっこり。笑う姿に、思わずつられてにっこり。
 文句なくかわいらしい。
 その無邪気さが、少しだけ憎らしい。

「…出し惜しみしてよ、もうちょっと」

 えー?と気のない返事。取り残されたこちらの気も知らないで。
 見舞い客用のスツールを引き寄せてきて、ベッドに近くに腰掛ける。

 サクラが大判のハンカチをカカシの横たわるベッドに広げ、抱えて持ってきたものを並べる。白い砂が少し詰められたガラス瓶と、細かなシーグラス、たくさんのきれいな貝殻。

「おみやげ?」
「うん、先生にもビーチを味わってもらおうと思って、拾ってきたの」

 薄桃色の小さなさくら貝。
 きれいでしょ?と手にとって見せてくる笑顔が、ずっときれいだと、目を細める。
 
「グラスサンドアートっていうのよ」

 海の思い出を、瓶にとじこめて。
 色とりどりのシーグラスに、糸巻き貝や、二枚貝、もちろん小さなさくら貝も。
 きれいに砂の上に並べて、蓋を閉める。

 スツールから立ち上がり、窓辺へその瓶を置く。
 少し傾いた日が、ガラス瓶をきらりと光らせる。

「きれいだね」
「でしょ? 本当は先生も一緒に、海行けたらいいのになー」

 ね?と小首をかしげる仕草。ふたつ分けにした髪が、はらりと肩から落ちる。
 いやに扇情的だ。
 
「行ってくれる?俺と」
「海?」
「ふたりで」
「ふたりだけで?」

 ふたりだけで、ともう一度重ねながら、細い手首に手を伸ばす。
 
「先生わたしの水着見たいんだ?」

 窓辺に立つサクラが、ベッドの淵へと腰掛ける。
 近づいてくる顔は、くすくすといたずらな笑みを浮かべながら。
 パーカーのジッパーから、赤いビキニがのぞいている。

「あいつらに惜しげもなく見せ付けちゃって」
「ナルトにもリーさんにもよく似合ってるって褒められちゃった」
「ふうん?」

 捕まえたままの手首に少し力を込め引き寄せれば、ぐいと縮まるふたりの距離。

「俺のベッドの上で他の男の話するんだ?」
「なに言ってるの先生、ここは病院のベッドでしょ」

 そんな諌めるようなせりふを吐きながら、サクラがベッドの淵から身を乗り上げ、カカシに馬乗りになってくる。
 他に患者のいない病室で、ふたりっきり。

「先生に必要なのは看病でしょ?」
「サクラ先生に診てもらえれば良くなると思うけど」

 サクラの手が、カカシの顔にそっと触れてくる。
 感触を確かめるように。

「顔色は悪くないけど、顔布を取ってるのはいただけないわね」
「サクラが来ると思ってはずしたの」
「嘘ばっかり。すれ違った看護師が顔赤くして出てくるのを見たわよ」

 以前にも、里で入院中に顔布をはずして眠りこけていたら、サクラに散々叱られた。
 むすっとした顔が、また一段と近づいてくる。それでもかわいいな、と思ってしまう。
 確かに誰もいないことをいいことに、少しばかり油断してしまってはいた。この島には他に忍びもいないようだったし。

「あー妬いちゃったんだ」
「ううん、むかついてる」

 素直じゃないなー、と空いている左手で肩を抱き寄せた。
 せんせいのばかー、とつぶやくのが聞こえる。やはりかわいいばかりだ。
 でも、妬いちゃったのも少しむかついたのも、すべてはお互い様。
 
「別に俺も、おまえがどっかの皇子に目をつけられて手を握られたり、ナルトやリーから猛アプローチ受けてたりするのを、おもしろくないなんて思ってないよ?」
「…先生、今回の任務けっこう大人げなかったわよね」
「そりゃそうでしょ」

 本気ではなかったろうが、わざわざ皇子に牽制をしてみたり、新調したという夏服にふたりの視線がちらちら向かうのを、やっぱりわざとらしく邪魔してみたり。
 まったくもって大人気ないし、かっこ悪いけども、とてつもなくおもしろくなかった。
 
「俺の女が無邪気に人前で肌晒してたら」

 顔を上げて覗き込んでくる瞳が、嬉々として輝いている。

 かっこ悪くても、それでこの笑顔が見られるのなら、安いものだ。
 母親が子供にするような口付けが、頬に降ってくる。
 
「俺、けっこうおりこうに留守番してるんだけど」

 捕らえていた手首を開放して、そのかわりに両腕でぎゅうと抱きしめてやれば、伝わってくる体温。
 しばらくほったらかしにされていたのだ。これだけで終わらせるつもり?わからせてやりたい。

「先生、さみしかったんだ?」
「うん」

 ためらいもなく言うと、やはり母性のかたまりのような笑顔を向けられた。

「カカシ先生、かわいい」

 そういいながら降ってきた口付けは、こんどこそ母親のようなものではなかったけれど。
(2014.01.22)