「おや」
「あら」

 特に意識していたわけではないけれど、向かってくる気配が以前感じたことのあるものだということは察していた。
 久しぶりすぎて懐かしさすらおぼえるくらい、しばらく感じることのなかった、だけれど決して忘れることのない、そんな気配。

「あらあらお久しぶり」
「カカシ先生!」

 姿を確認するなりぱたぱたと駆け寄るサクラと、相変わらずの猫背で、両手をポケットにつっこんだままのんびり歩いてくるカカシ。
 鉢合わせる前から、第一声を何にしようか、無意識のうちに考えていたのかもしれない。しかし思ったような言葉は言えただろうか。口を開いたのはお互いほとんど同時だった。

「疲れた顔してるね」
「先生こそ。任務帰りなんでしょ」
「まーねぇ。キミタチのお世話から開放されたと思ったら、人手不足でとたんに任務漬けの毎日よ。いやーマイッタマイッタ」

 その参った理由が、例のいかがわしい本を読むヒマがない、なんてことだったらどうしようと内心思いながら、社交辞令と心からの気持ち半々で「お疲れ様です」と言っておいた。
 あれそういえば今日は例の本が左手にないわね。なんてもはやカカシのイメージとして一体化していた例の本にまで思いは馳せたが、それには言及せずにおいた。

「サクラこそ、五代目のもとで頑張ってるとは聞いたけど」
「…白々しいのね。先生が進言してくれたんでしょ?」
「でも、選んだのはサクラだろ?」

 そのとおりではあるのだが。思わぬことに返す言葉が思いつかなくて、きょとんとしたまぬけな表情のままカカシをじいと見つめてしまった。不覚にも、「なに?」と返されるまで、言葉を作り出すことが出来なかったのだ。

「…やっぱり、先生すごいね」
「なーにが?」
「わたしのことなんて見てないふりして、ちゃっかりわたしのやりそうなことわかってるんだもの」
「ウフフフ」

 新しく5代目に就任した綱手の元で医療忍術を学ぶことは、誰にも相談せずひとりで決めたことだ。なんの力にもなれず、みすみすサスケを見送ってしまった自分が情けなくて、役に立てるような力が欲しかった。
 しかしナルトやサスケのようなかたちで力を発揮することは土台無理だった。自分は自分らしく、自分にしかできないやり方で力になりたかった。

 …助けたかったのだ。

 いつのまにか思考がサスケにまで及び、無意識のうちにうつむいてしまったのか。
 ぽん、と頭にカカシの手が乗せられる。

「かわいいかわいい生徒たちが頑張っているのは、やっぱり嬉しいもんだね」

 顔を上げると、のほほんとした笑顔があった。第7班として任務(というよりは雑用のような内容が多かったが)をこなしていたころは、よくこうして頭をなでてもらったな、と感慨にふける。
 今になって思う。カカシはそういう心遣いのできる人間なのだと。
 いつも呑気でとらえどころがなく、つかめない人という印象ばかりだっただけに、ほんの気まぐれなのかと勘違いしてしまいそうだが、悲しいとき辛いときにはさりげなく励ましてくれていたものだ。この手にはひとを安心させる効能でもあるのだろうか。

「先生さみしいでしょ」
「うん?」
「里に残ってるの、もうわたしだけになっちゃったもんね」

 どうしてか。せっかく笑顔をくれた相手に、こちらも笑顔を返したいのに、掘り起こされる記憶すべてがある一点に繋がってしまい、どうしたって悲しい。あの頃はよかったな、なんて思いたくない。また明るい未来をもぎとってやるために、こうして綱手に師事して、修行に明け暮れているというのに。

 また気持ち沈みかけたとき、相変わらず頭に乗せられたままの手が、わしゃわしゃと遠慮なく薄桃色の髪をなでる。

「そうだねー。だから今はサクラちゃんを3人ぶんかわいがっております」

 この呑気な声で、やはりさっきも自分を励ますための心遣いなのだと実感するとともに、しかし素直に喜ぶのもシャクなので、「ちょっと!」と軽く怒り口調で責めてみる。忙しさにかまけているとはいえ、やはり乙女。髪には気を使っているのだ。
 しかしそんな抗議はやはり本気でないこともお見通しで、よしよしと軽くいなされながら、表情は相変わらず笑顔だった。

「もー、子ども扱いしてっ」
「サクラ」

 ようやく手を離されたと思ったら、カカシは腰を屈めてサクラに目線を合わせてきた。
 おそらくこの身長に届くことは一生ないような予感はするのだが、それでも以前に比べたら差は縮まったのではないかな、とぼんやりサクラは思う。

「…もしこれから何も予定ないんだったら、メシでも行きます?」

 あまりにも関係のないことを考えていると、ふいに告げられた予想外の言葉に、目が丸くなった。

「うそー、先生がそんな気の利いたセリフ言える人だなんて思わなかった」
「あのね…。ま、いいのよ、きみみたいな子供には、まだお兄さんのステキな魅力がわからないのよ」

 それは過剰なジョークか、あるいはサクラの言葉に本気で落ち込んでいるのか。がっくりと肩を落として吐き出したため息が大げさで、サクラも思わずぷっと噴出した。

「うそうそ。だって先生、こんなかわいい子とデートできる機会なんてそうそうないもんね。付き合ってあげる」
「…何年か経ってそのときオトナの魅力に気付いたって、もう遅いのよサクラちゃん」
「うふふ」

 そーんな強がっちゃって、とでも言いたげな微妙な笑みを浮かべながら、ぽんぽんと情けなく曲がった背中を優しく叩く。

「だいじょうぶよ。心配しなくても。みんなが見向きもしなくったって、わたしがずっと先生のこと好きでいてあげるから」

 そう言ってひたひらと手を振りながら言ってしまう元生徒に、それこそ参ったねと頬をかくしかなかったカカシだったが、しかしながら沈みがちだったサクラの表情はすっかり晴れやかだった。

(まぁ、良しとするか…)

 つられたように顔布の下の唇の端が上がったのはそのままに、まるで弾むように軽やかな足取りで先を行くサクラのあとをのんびり追いかけるのだった。



(20060815)
ちなみに数年後、予告どおりに大人の魅力というものを痛感することになるサクラであった。
(女子なら一度はあろう通過儀礼的な)