「二人ともやめてェ!!」
疾風迅雷―――今まさに眼前に繰り広げられている光景から、サクラの脳裏によぎった言葉である。
しかしそれを巻き起こしている当人たちが、あまりにも自分にとって身近で、まさか自分と同い年の年端も行かぬ少年たちによるものとは、それはあまりに理解しがたく。
どうすればいいのか、自分にどうすることができるのか、わからなかった。
だけれどとにかくこの状況は、あまりにもせつなく、苦しく、心がきしきしと音を立てて。
気が付いたときには、走り出していた。
今となっては愚かしい限りだが、迫り来る風圧を直に肌に感じて、そのときはじめて危機を感じた。
しかし次の瞬間―――。
ブン、と太く風を切る、空間の歪む音が聞こえた。
かたく閉じていた目を再び開くまで少し時間はかかったけれど、視界を取り戻した瞬間、真っ先に目に入ったものにサクラはすっかり安心し、思わずその場に崩れ落ちてしまった。
サクラの目の前で、大きな力と力の間に制止に入ったその背中。絶大な安心感を与えてくれる、見慣れた大きな背中。
思えば何度も、この背中には守られた。波の国への道中、中忍試験を中断した突然の騒動のときも。
すっかり真っ白になってしまった頭がうまく働いてくれなかったようで、どんなやりとりがあったのかはよく覚えていない。
ただひたすら何かを吐き出すかのように、しゃくりあげて泣き続けていたサクラを落ち着かせてくれたものは、ぽん、と頭に載せられた大きくてあたたかな手のひら。
「大じょーぶ!」
このひとが言うのならきっと大丈夫なのだろう。
そう思わせるだけの、じゅうぶんな力強さが秘められた声。
「また昔みたいになれるさ!」
だからそのあたたかな笑顔を向けられたとき、思わず涙が溢れて止まらなくなった。
自室の窓を開け、頬に当る夜風に思いを馳せる。巡るのは昼間の出来事ばかりだったけれど、いつもサスケといがみ合うことばかりしかしなかったナルトから、「大丈夫」などという力強い言葉を聞いたときには、思わず安心してしまったのだ。
…ふと、恩師の笑顔が脳裏をかすめた。大丈夫。二人が大丈夫だと言うのだから、大丈夫なのだ。
「あらあら、なにかゴキゲンなことでもあった?」
突然、窓に迫る大木の枝に、たった今までまぶたの裏に思い浮かべていた姿が現れ、思わず大声を出しそうになったが、なんとかこらえる。
「! カカシ先生…」
「いい笑顔。…ここのところ、泣きたくなるようなことばっかりだったもんなァ」
まったく世知辛い世の中だねぇ、とぼやきながらカカシは笑っている。夜半、こんな時間まで何をしていたかは知らないが、気にしてわざわざ寄ってくれたのだろうか?
「サクラは笑ってるのが一番」
すっかり赤く腫れてしまったサクラのまぶたを優しくなぞる、ブコツな指。
思いがけぬ励ましの言葉だった。
いまいち任務以外のことに関しては信頼のおけぬ存在だと評価していただけに、何よりも驚きを隠せなかった。このひとは、こんなに人を安心させることのできる笑い方ができるひとだったのか。
しかし間違いなく、それは信頼するに足るものであった。「大丈夫」、昼間のあの言葉のように。
思わず頬が緩んでしまう。けれど油断した顔を見せるのがなんとなくシャクで、カカシから目をそらしてうつむいてやり過ごす。
きっと今のセリフが去り際の殺し文句のように、そのままいなくなってしまうのだとばかり思っていたのだが、しかしいつまでもその気配はなくならない。
それどころか。
「…でもホント、サクラはそのままでいてちょーだいネ」
「、先生?」
予想外の言葉だった。思わず顔を上げると、カカシが浮かべていたのはさきほどまでの笑顔ではなく、口布と額当ての隙間からわずかに垣間見える表情は、どこかさびしげで。
なんだか、踏み込んだことのない距離に入り込んだ気がした。…良かったのだろうか?
「…なーんてネ、先生ちょっと弱気になっちゃいました」
なんだか今日は驚かされっぱなしである。日ごろあまり感情をさらけ出すほうではないこのひとの、はじめて知る側面を惜しげもなく披露されつづけている。
いつだってのほほんと、あっけらかんとした姿ばかり見せているくせに。
(そんなのは、卑怯)
心臓がわしづかみにされたように、きゅうと音を上げる。
「らしく、ない」
「ほんとにねェ、らしくないねェ」
思わず口走ってしまった言葉は、本人にも引っかかっていたのだろう。不器用に笑いながら頬を掻く。
「…だから、ね。いつもどおりの呑気なセンセイでいるためにも、どうぞサクラちゃんは笑顔でいてくださいネ」
答えあぐねている間、耳に入るのはざわざわと木の葉が揺れる音ばかり。
やっぱり夜は静かだ。確かに住宅街ではあるが、昼間のような喧騒を生む人の姿はまったく見られない。
「ね」
どうすればいいのか、自分にどうすることができるのか、わからなかった。
だけれどとにかくこの状況は、あまりにもせつなく、苦しく、心がきしきしと音を立てて。
「…先生も」
気が付いたときには、腕を伸ばし、窓枠から大きく身を乗り出していた。
せつない笑顔を見続けるのが辛かったから、なんていったら怒るだろうか。
表情は伺えないけれど、驚いているであろうことは、なんとなくわかる。
「笑って、ね」
「…そうだね」
自分をだきしめるか細い腕に、カカシはそっと手を重ねた。
ゆっくり、目を閉じる。真っ暗な世界に、ひとの生きる音だけが響く。
小鳥が群れをなして厳しい自然に対抗するように、弱いものは支えあって生きてゆけばいい。
せっかく抱きしめ合うことができるのだから。
きっと分け合うために、ぬくもりはあるのだから。
見えない未来を恐れるわたしたちも、これできっと乗り越えられる。
(20060804)
あとで気付きましたが、そういえばサスケくんが里を出るのってこの晩ですよね…orz