年の暮れの木の葉隠れの里の大宴会は、大盛況だ。
 強制ではないものの、賑やかな場が好きな若者たちを中心にこぞって集まり、今年は居酒屋を1軒貸切りった。
 年々規模は拡大傾向にあり、里一番の大きな店にしてもだいぶ手狭に感じられる。次からはアカデミーに仕出しを呼ぶしかないのでは、とぼんやりと思う。

 普段ならあまり大勢の席に顔を出すことはしないのだが、今年成人した教え子たちからしつこくせがまれ、この席に着いた。何より里長となった今、億劫だと言い切ってしまうわけにもいかなかった。難儀な立場だ。
 序盤はひっきりなしにやってくる挨拶に追われていたが、中盤に差し掛かれば落ち着いてきて、いまは昔なじみの上忍仲間と共に、奥の座席でのんびりと過ごしている。
 しかし一方で、これだけ熱烈に呼び込まれたのだから、さぞ手厚くもてなされるのであろうと構えていたにも関わらず、誘ってきた当人たちは賑やかしやら、接待にあちこち動き回り、一向に杯を交わすどころか挨拶にさえ来やしない。

 特に、せわしなく動き回る薄紅色の頭を目だけで追いかける。誰よりもきびきびと動き回っているのではないだろうか。
 おずおずとしている後輩たちにテキパキと指示を出し、自分も各々のテーブルへ酒やつまみを運び、ときには愛想までふりまいて???そこまで???

 結構な働きぶりだが、そんな下働きのようなこと、いまの彼女の立場なら率先してすることでもないのに。
 明るくて快活な彼女は、どこの卓でも引き止められている。時には酒も勧められながら、笑顔で交わすかと思いきや師匠譲りの見事な飲みっぷりまで披露して、気をよくした上役たちにさらに勧められたりして。
 そんなに律儀に相手しなくてもいいのに。しかし彼女の昔から妙に生真面目な性格を思い返し、破顔する。

「なんだよひとりでニヤニヤして、気持ち悪ぃな」

 はす向かいに座るゲンマがしかめっ面をした。
 そういえば、最初ここにいたガイが部下たちの元へ行ったきり戻ってこなくなってからというもの、この席は周囲のざわつきに反して静かだ。
 挨拶の繰り返しに少し煩わしさを感じていただけに、無駄に騒ぐ必要のない相手と同席できたのは少し助かった。

 うるさいよ、とだけ返して、飲みかけのビールを流し込んだ。
 するとはかったように絶妙なタイミングで。

「カカシ先生はそろそろお酒変えますか?」

 空になったジョッキを下げつつそう尋ねてくるサクラは、こちらが喋ろうと口を開きかけるなり、喧噪に揉まれそうな自分の声を逃さぬよう、髪をかけて耳をぐっと近づけてくる。ふわりと香る花の匂い。女の。無自覚にやっているのなら危ういな、そう思いながら、つとめて平静を装い冷酒をオーダーする。

「サクラ、火影サマに向かってカカシ先生はねえだろーよ」
「あ、ごめんなさい、そうですよね…つい」
「いーんだよ、サクラは。最初で最後の大事な教え子だし」

 火影がひいきするなよなぁ、と管を巻くゲンマを無視して。ねぇ?と同意を求めるように見上げた。サクラは困ったように笑うばかり。

「ゲンマさんは?」
「こいつ酔わせるとタチ悪いからいいよ、気にしないで」
「おい、」

 文句が続きそうなゲンマを断ち切り、少し戸惑った表情のサクラの背中を軽く押して、早く行ってと促す。
 いやに視線を感じるのは気のせいではない。


「ぐっと女ぽくなったな」
「…なにが」

 とぼけたふりは流されて、にやにやといやらしい笑みを浮かべた顔を近づけられる。
 前言撤回だ。騒ぐ必要はなかったが、かわりに厄介なほど、気づかれたくないことにも気づかれてしまう。

「最初で最後の大事な教え子だかなんだか知らねーけど、そんな甘えたこと言ってるとあっという間だぞ」
「…なにが」

 極めて同じ態度を貫いた。呆れたようにため息をつくゲンマには、きっと気づかれている。
 無意識に視線を追わせてしまっていたことにも、背中に触れたときの先生然たろうとする手つきにも。

 わあ、と大きな声が聞こえた。真ん中のテーブルで、なにやらどうやら腕相撲大会が催されたらしい。
 先ほどまで共に酒を飲んでいたガイがレフェリーとなり、彼の愛弟子と、自分のもうひとりの教え子とが向かい合って火花を散らしている。皆が注目し、奥の席にいる自分たちはすっかり蚊帳の外だ。
 よくやるねえ、と苦笑する。このまま話が流れてしまえばいい、そんな気持ちもあって。

「まあ俺には関係ねーけどよ」

 のそりと立ち上がり、便所行ってくるとだけ告げてさっさと行ってしまった。
 思ったよりもあっさりと引いてくれたなと胸を撫で下ろしていると、遠くでサクラとゲンマのやりとりが聞こえた。なにかあればわたしが、とあくまで気を遣うサクラに、それより火影がひとりで拗ねてるから相手してやって、と笑いながら言うのが聞こえる、まったく余計なお世話だ。


「ふふ、火影がぼっちで飲んでるわ」
「うるさいよ、元々ガラじゃないんだよ」
「そうかもね」

 いたずらな笑みは昔のまま変わらないサクラ。
 持ってきた盆から冷酒セットをテーブルにうつしたところで、はあと似合わぬ嘆息を漏らす。

「なんだか疲れちゃった」
「だろうね、あれだけ立ち回ってれば」
「ねえ先生、もうちょっとそっち寄って」

 促されるままに長椅子の左端に寄れば、サクラが細い身体を空いたスペースにすべりこませてくる。
 ちょうど騒ぎの中心からは死角になる場所だ。
 
「里長を盾にするなんていい度胸だな」
「あら、最初で最後のかわいい教え子のこと、守ってくれないの? 先生とお酒飲むの、楽しみにしてたのに」

 くすくすと笑う様子に閉口してしまう。
 実際どうしても目立ってしまう彼女は、きっとまた目ざとく声をかけられるだろう。
 別に壁になることなど造作ではない。なにか誤解を受けても、どうとでも言える。自分とサクラなら。むしろ、

(ずっとここに、)

 妙なことを口走ってしまいそうになって、誤魔化しがてら頭を小突いた。

「そのわりには随分ほったらかしにしてくれたじゃない」
「あはは、ごめんなさい。先生には気を遣わなくていいでしょ、だから最後にしようって決めてたの。…けど、」

 ほかげさま、かぁ。
 口の中だけのような小さな呟きだったけれど、じんとして響いた。

 あのころからまるで変わっていないようで、目に見えて遠くなってしまった。
 それぞれの立場、状況、いろんなことが変わってしまった。顔を合わせればあの頃のように気さくに話せるけれど、なかなか昔のように気さくに顔を合わせることがなくなってしまった。

「わたしも呼んだ方がいいんだろうな、やっぱり」
「いいんだよ、サクラは。最初で最後の大事な教え子だし」

 あまり長引かせたくない話題だった。

 手元に置かれたグラスに手を伸ばせば、すかさずサクラがガラスの酒器を手に取り、冷酒が注がれる。結露で濡れたテーブルをきれいに拭い取ってから、再びそれを置いた。
 やけにスムーズな一連の流れに、これまでどんな相手と酒の席を共にしたのだと、わずかに妬ましさを覚えた。しかしすぐさま自分の手が離れた後の彼女の師を思い出し、ああそうかと納得をして、安心した。

(…安心?)

 妙な気持ちに胸がざわつく。酒のせいか。
 宴会の端席で。みんながいるのに、ふたりきり。

 いざ口に運ぼうとすると、サクラが顔を寄せてきた。
 まただ、髪が揺れるたび香りがこぼれる。危うい距離に、いともたやすく。
 
「先生、わたしももらっていい?」
「おまえもうだいぶ飲んでたろ」
「大丈夫。言ったでしょ?最後になっちゃったけど、ずっと先生ともお酒飲みたかったの」

 子どもの時分から見守ってきた教え子と、酒を酌み交わすなんて。
 感慨深いものがあるな、と空いたグラスを寄せる。

「一杯だけな。おれもお前と飲めるようになってうれしいよ」

 サクラが微笑み、グラスに手を添えた。火影様にお酌してもらえるなんて光栄だわ、なんて冗談交じりに。
 乾杯、と小さく告げ、ぶつかり合う音が心地いい。
 向こうは相当盛り上がっているはずなのに、不思議と耳には届かなかった。
 口に含んだ冷たさが、下りていくたびにゆるゆると熱に変わっていく。

「教え子と飲むなんて、いけないことしてるみたいだな」

 少しばかり酔っていたのかもしれない。あるいは、自分の与り知らぬところで、着実に大人へと成長している教え子に、寂しさを覚えたか。
 この感情の落としどころがなかなか見えてこない。
 居住まいを直そうと、グラスを置いた手をそのまま何気なく長椅子へつく。すると思いがけず、サクラの左手に小指の先が触れてしまった。

 きっとすぐ動かせばよかった。しかしすぐ気付いたのに、なぜだか身動きがとれなかった。
 誤魔化すように、左手でグラスを寄せる。

 どうしたものかな。考えあぐねていると、先に動いたのはサクラだった。
 俯いたまま、ほんのすこしだけ肩を触れさせ、こちらにもたれるように。

「いけないこと…って思うのに、わたしに飲ませる先生は、どういうつもりなのかしらね?」

 ふんわりと赤らんだ白い肩に、艶やかな髪がすべる。
 教え子だから先生だから里の長だから部下だから。並べ奉っていた虚勢が、ぐらぐらと揺らぐ。

 言葉なんか要らない。離すこともできないでいるこの小指を、手を、僅かに動かすだけでいい。
 それでも。

「…お前が言ったんだろ」

 飲みたいって。それだけだよ。
 掠れる声で告げる、これが精一杯。

 あのころからまるで変わっていないようで、はっきりと変わってしまった。
 意気地なしときみは罵りたいだろうに。
 それでも「そうだね」と小さく呟いて震える細い肩を、俺は抱き寄せることもできない。
(20141106)