草むしりの簡単な任務が終わり、帰路につこうというところだった。

「サクラ、怪我してるじゃないか」

 そう呼び止められて、はじめて右手の甲に小さな傷があることに気がついた。
 言われるまで気がつかないほどの、痛みも感じない程度の小さな傷。

「かすり傷よ」
「だめ」

 出しなさい、と強い口調で言われてしまい、しぶしぶ右手を差し出す。
 カカシの手にとられ、まじまじ見つめられているのはただの手の甲だったが、なんだかそれほどまでに見つめられると恥ずかしい気持ちに襲われる。
 
「草木で切ったかな。浅いけど、化膿する前に手当てしておこう」
「ちょっと先生、大げさよ」
「なに言ってるの、大事な手なんだから」

 座って、とそばにあった大きな石を指され、おとなしく腰を下ろす。
 本当に、見れば見るほど、たいしたことのない怪我だった。いや、怪我というほどのこともない、ほんのかすり傷。

「カカシ先生って、案外過保護よね」
「そんなことないよ」
「忍びなんてやってたら、こんな傷、日常茶飯事だわ」

 カカシが身に付けていた医療パックから、消毒液を含ませた脱脂綿を取り出し、傷口をなでられる。
 ひんやりとした感覚の合間に、ピリっとした痛みを僅かに感じた。
 こんな傷よりも、消毒のほうがよっぽど痛い。

「そうかもね」
「…でも、手当てするんだ?」
「そ」
「大事な手だから?」

 手際よく巻かれていく包帯から視線を移し、サクラは普段見ることの無い距離でカカシを見つめる。
 顔布で隠された素顔を見たことは無くても、なんとなく整った顔立ちをしていそうなことはわかる。
 その真剣な眼差しは、しっかりと自分の手をとらえていて。

(なんか、変な気分…)

 恋慕の情を向ける相手は他にいるのだが、この距離感のせいか、触れた合った手のせいか。
 ただの手当てのはずなのに、妙にどきどきと胸が鳴り始める。

「はいっ、できあがりー」
「あっ、ありがとうっ先生っ!」

 くらりとしかけたところであっさりと手を離され、驚きとほんの少しの寂しさとで慌てる気持ちを隠しきれず、声が上ずってしまった。

「どうした?」
「いっ、いいえ! なんでも!」
「おかしな子だね」

 ぽんぽんと頭を撫でられれば、それはもう一気に先生と教え子の距離に戻ってしまった。
 名残惜しい? どうして? 手当てなんていらないと思っていたのに。

 包帯の巻かれた右手を見つめる。
 何度も何度も、こんな手当てを繰り返してきたのだろう。きつすぎず、緩すぎず。動かしやすさにまで配慮されたそれは、とても具合がいい。
 
「先生、またわたしが怪我したら、手当てしてくれる?」

 ついさっき過保護を責めたところだというのに。
 ころころと変わる態度に呆れたかな、とカカシを見つめるも、彼は優しく笑っているだけだった。

「当たり前でしょ、大事なサクラなんだから」

 

















「先生、怪我してるじゃない」

 持参した水をボトル半分一気に飲み込み、息をついたところだった。
 口布を下ろしていた右手を、元教え子に奪われた。
  
 診てあげる、とそのまま寄せようとするので、思わず引っ込める。

「おいおい、この程度の怪我。わざわざおまえののチャクラを使うほどでも」

 それは本当に、たいしたことのない傷。敵襲の放った技が大きい衝撃を伴い、目測を見誤った。おかげでわずかに避けきれず前腕部に負ってしまったかすり傷。衣服が少し破れ、にじんだ血が覗いている。

「何言ってるのよ、何か仕込んであったらどうするの」
「風圧で切ったんだよ。たいしたことない。仮に毒だとしても、耐性あるし」

 そーゆー問題じゃない!と荒々しい語気に気をとられているうちに、あっさりと右腕を奪われた。

「先生が怪我してるの、むかつくのよ」
「…それって優しいようでひどく横暴だね」
「わたしがいながらカカシ先生に怪我させとくなんて、許せないの」

 わたしが。
 そんなまっすぐな目で、そこまで言われてしまっては、カカシが拒めるはずもなく。
 奪われた右手の力を抜いて降伏を宣言すると、察したサクラの表情がほっとしたように緩む。

 こんなふうに甲斐甲斐しく世話を焼かれることが久しくなかったせいか、どこかむずがゆい想いを感じながら、袖を捲り上げてやると、顔を近づけ腕の状態を確かめる教え子に、カカシの表情もほぐれる。

 初めて、サクラと組むツーマンセル。教え子として手を離れた後も、カカシ班としていくつかの任務をこなしていたおかげで、指揮を執るカカシが指示を出すよりも先に、こちらの思惑通りに動いてくれているサクラとは、実にスムーズに連携がとれた。
 おかげで予定よりだいぶ早いペースで進行していたし、元々それほど急ぐ任務ではなかったので、座って、と促されるままその場に腰を下ろした。

「軽い裂傷ね。熱も持ってないし、この先響くような怪我じゃない」
「そうだね、痛みもないし」
「それなら、」

 サクラが医療パックから清潔なガーゼを取り出し、ボトルの水を含ませる。
 傷のまわりを丁寧に拭き取ったあと、新しいガーゼで患部を覆われ、その上からゆっくりと包帯を巻かれていく。

「なによ、やっぱりチャクラが惜しくなったわけ?」

 冗談交じりに告げれば、患部に思い切りしっぺを食らった。
 たいした傷でなくともさすがに痛く、小さく上がる悲鳴。

「ちょ、サクラちゃん、らんぼうしないで…」
「…昔、先生がわたしに手当てしてくれたの、覚えてる?」
 
 まだ第七班として、子どものおつかいのような任務ばかりをこなしていたころ。

 他のふたりが、多少のことなら放っておいても平気だろうという過信もあり、あらゆる意味でふつうの女の子であったサクラに、どのくらいの距離で接すればいいのか思い悩み、少し過保護すぎるきらいがある自覚はあった。
 今となっては徒労に終わったな、と思わずにはいられないことだが、子どもらしい子どもと触れ合う機会など持たなかったカカシからすれば、本当に持て余していたのだ。

「先生はわたしのこと、役立たずで頼りない子どもだと思ってただけかもしれないけど」
「サクラ、」
「ううん、実際そうだったし。それでも、大事そうに手当てしてくれて、うれしかったから…。
 医療忍術の力もいいけど…あのときみたいに、今度はわたしが、先生の手当てをしたいって、ずっと思ってたの」

 先ほど随分と乱暴に扱われた患部を、包帯越しに大事そうに撫でられる。嬉しいような、こそばゆいような、どことなく切ないような、不思議な感覚に襲われる。
 包帯の先をきゅっと結ばれると、おしまいっ!という弾んだ声。右腕を軽く動かしてみれば、きつすぎず緩すぎず、ずり落ちることもなく、とても具合がよかった。

「ありがとな」
「どーいたしまして!」
「たくましく育ってくれて先生はうれしいよ」

 胸を張るサクラに、手当てをしてもらった右手で頭を撫でてやる。
 すると得意げだった表情から一変し押し黙るものだから、しまった、気づく。もう、あのころのような、子どもではないのだ。
 悪い、と告げる口を開くのと同時に離そうとした右手は、再びサクラによって奪われた。

「先生の怪我は、これからも全部わたしが治したい」

 伏せられた目からのびる長いまつげが、まばたきで揺れる。
 こんな間近でそんなせりふをささやかれたら、勘違いしてしまう男は大勢いそうだ、と他人事のように思う。
 実際、勘違いしてしまいそうになって、冗談交じりに取り繕う。

「サクラちゃん、それすごい口説き文句だね」
 
 先生どきどきしちゃうよ~とおどけて笑って見せれば、何言ってるの冗談じゃないわ!と強気な口調がくるはずだった。そう信じていた、のに。
 
「当然よ、口説いてるもの」

 目の前にいたのは、やはりあのころの子どもではなかった。
 随分と強気な口調をぶつけてくるわりに、瞳を潤ませ、耳まで赤く染めて見つめてくる凶悪な技を、一体どこで身につけたのだろう。

 ごくり、と無意識に喉が鳴る。いまのカカシには、これをはねのける術ももたず、受け入れるほどの覚悟もない。整理のつかない頭で、ただただ答えに窮するばかりだった。 
(20140607/#夢のカカサクエアオンリー提出用)