窓から入り込んでくるのは、穏やかで生暖かい風。
読書をしながら、暮れかけた陽を浴びて、オレンジ色に光るその銀色の髪を眺めていたら、ふと、ああもうすぐこんなふうに過ごす時間もなくなるのか、思って、たまらなくなった。
「先生、わたしがいなくなったら、さみしい?」
それまで一度だって視線も寄越さなかったくせに、目を見開いて見つめてくるから、急に我に返って恥ずかしくなる。
なんか言ってよ!とぐんぐん上がる体温を誤魔化すのに必死になっていると、聞き逃しそうになるくらいの小さな声で。
「さみしいよ」
そう告げられたときの顔は、本当にさみしそうな顔をしていた。
新緑の季節。この門をくぐるのはひと月ぶりだ。
たったひと月ではなにも変わりはしないのに、毎日通っていた3年間を思えば、たったひと月でもひどく懐かしく感じてしまう。
授業も終わり、部活動の時間。特別棟からは吹奏楽部の音色。テニスコートからはボールが弾む音、少し離れた校庭や体育館でも、それぞれの部活に勤しむ生徒達の活気があふれているに違いない。
生徒達の居場所を縫うように、ひんやりとした廊下を足早に歩き、通いなれた部屋へ向かう。
可愛がっていた後輩にも会いたかったけれど、それよりも誰よりも、今日は会いたい人がいた。
ううん、今日だけじゃない、ずっと。
卒業してから、ずっと。何度だって、このドアをくぐりたかった。
逸るあまりにいきなり扉を引きかけて、慌ててノックを2回。
どうぞー。
耳慣れた、のんびりとした低い声。
胸の奥からじんわりとしたあたたかい感覚が広がる。
「サクラ」
思ったより、驚かれなかった。
相変わらず椅子にどっかりと背中を預けて読書をしていたようで、眠そうな目でこちらを見つめている。
自分がこの学校に対して思ったように懐かしがれなんて言わないけど、もう少し何がしかのリアクションがあるだろうと踏んでいただけに、少し拍子抜けしてしまった。
「こんにちは、カカシ先生」
だからこちらも、跳ね上がるような気持ちを必死に堪えた。最後の意地だ。
「どうしたの、来る学校間違えちゃったの?」
「ちょ、そんなことあるわけないでしょ!!」
ばかにして!と声を荒げれば、あははははと子供みたいに笑われたりして。
(先生はずるい)
あんなさみしそうな顔見せたりしたくせに、こんな顔して笑ったりもして。
結局ここへ通っていたときも、いまも、彼の表情ひとつ、言葉ひとつに、随分と振り回されている。
「先生がさみしがってるんじゃないかって思って来てあげたのに」
「ふうん、俺のこと心配して来てくれたんだ?」
そうよ、と反射的に返せば、ありがとーとまたのんびり返される。
本当は? 本当に? 先生のため? それだけ?
許可を求めもせず、かつての自分の指定席だったソファに腰掛ける。
なにより彼の視線も自然と本に移ってしまっていたから。これまでと同じように。
もはやたまにしか、いやもう二度と?会えないかもしれない元生徒が来ているというのに、近況を聞くでもなく、さもあたりまえのように。
拒まれはしない、けど、歓迎されてもいない。
そんな微妙な関係だったのだと思う。
だがそれが、サクラにとっては居心地が良かった。
なまじ成績が良く、周囲から妙な期待をかけられていた3年間。
優等生でいることは性格上苦ではなかったけれど、ときどき息苦しく思ったりもしていた。
そんなとき、いつもここに逃げ込んでいた。
彼はいつだってフラットだった。友達とも、他の先生とも違う距離感で。
そして誰に対しても。
だから。
「先生、わたしがいなくなって、さみしかった?」
もう一度。
さみしいと言って欲しくて。
「…サクラは?」
質問は質問で返されてしまった。
それでも怒る気になれなかったのは、あのときと同じ表情を浮かべた彼を見たからか。
「先生がさみしがってたら、さみしい」
「なにそれ、俺のせい?」
「そうよ」
違うよ。
本当は、さみしがってるのは、わたし。
昂揚した気持ちで階段を駆け上がったのも。
薄いリアクションにほんのすこしだけ落ち込んだのも。
変わらない姿に安心したのも。
「ぜんぶ先生のせいよ」
彼の特別に、なりたかった。
誰に対しても同じ距離を保つこのひとの。
どうしてくれるの、気がついてしまった。
ぐんぐんと上がる体温。
(すき、かもしれない)
なんだか泣きたくなる。行き場のない想いを吐き出すために。
ああでも、在学中に気がつかなくてよかったな、なんて、一歩引いた変に冷静な感想を持ってみたりもして。
だってたぶん、がまん、できなかったと思う。
そして今だって、求めていた言葉も聞けずに、挙句悪態をついてしまう始末。
かわいくない。一体何しにここへやってきたのか。
いつもと変わらない先生と、変わってしまった自分。
あんなにも居心地のいい場所だった空間が、一気に針の筵になってしまったように感じた。
すっくと立ち上がり、言い放つ。
「帰ります」
「え、もう」
「先生の顔見られたし、満足しました」
というよりむしろ、おなかいっぱいです。考えすぎて。
さよなら、と言いかけたところで、なんとも歯切れが悪そうに呻く声が聞こえてきた。
「どうしたんですか」
「…えーと…、せっかく来たんだし、これから飯でも行く?」
そうくるのか。まさか。
せっかく平熱マイナスに戻ったところだというのに。
目もくちも思いっきり開いているのがわかる。わかる、のに、筋肉が弛緩してしまったように、まったく言うことを聞かない。
動揺しているなど、知られてなるものか。
「いっ、いいわよっ! もちろんおいしいもの食べさせてくれるんでしょーね?」
声が思いっきり上ずってしまった。気がついていなければいいけど、きっと、ばれた。
思いっきり、苦笑いをしている。
それでも、そんなふうに笑う先生の顔は、とてもやさしかった。
(20140220)
(20140309微改訂)
すてきなすてきな学パロカカサクちゃんを描いてくださった電気蟻さんに捧げます!