「カカシせんせー、ナルトー」

 はつらつとした声に名前を呼ばれて、カカシとナルトがほとんど同時に振り向いた。
 修行もとりあえずひと段落したところだった。影分身の経験値を蓄積し、どっと溜まった疲労に思わず崩れ落ち、ナルトは動けなくなってしまっていたのだ。

「サっクラちゃぁ〜ん!」
「ふたりで修行中だって聞いたから、差し入れ持ってきたの!腕によりをかけてたっくさん作ってきたからねー」
「あーら気が利くね〜」

 サクラは抱えていた大きなバスケットを掲げると、座り込んだふたりめがけて土手を駆け下りた。
 すると少し離れた場所に、しばらくカカシ班の担当をしていたヤマトがいることに気づいた。

「ヤマト隊長も一緒だったんですか」
「こんにちは、サクラ」

 こんちには、と微笑みながら返すと、抱えていた大きなバスケットの蓋に、ぽんと片手を置く。

「ちょっと作りすぎたかなって思ったけど、ヤマト隊長がいるならちょうど良かったわ」
「サクラちゃん…、お、俺のために!」
「別にあんただけのためじゃないわよ」

 涙目にまでなって感動しているナルトを、サクラがあまりにも簡単に交わすのを見て、思わずカカシは苦笑いした。
 ちょうどひと段落ついたところだったし。ねぎらいの気持ちをこめてサクラの頭をぽんぽん撫でてから、カカシが言う。

「じゃあちょうどいいから、昼飯にしようか」

 やったーと叫んでナルトが飛び上がる。さきほどまでぐったりしていたのに、ゲンキンだ。




「こんなにたくさんがんばったねー、サクラも修行忙しいだろうに」

 落ち着いて食べなさいよ、とナルトを諌めつつも、カカシが感嘆の声を上げる。
 木陰に広げられた弁当は、それはそれはもうすごい量であった。
 が、男三人、しかもひとりはしこたま力を使い果たしているナルトにかかれば、みるみるうちに減っていく。

 あんなに苦労したのに…と味わわれず一瞬で消え行く弁当を見ながらサクラは少しガッカリしたが、うまいってばよー!と威勢のいい食べっぷりを見せてくれるナルトに、悪い気はしなかった。

「…私にできるのは、こんなことくらいだし、」

 笑顔を浮かべてはいたが、声色が明るくないことが少し引っかかった。

「ねえ、そんなことより、修行はどうなの?」
「絶好調だってばよ!」
「まー滝を切るどころかぴちゃぴちゃ水をはねさせるのが精一杯てとこだけど…」
「ヤマト隊長ー!はっきり言うなってばよー!」

 サクラちゃんの前で!とわめくナルトは、すっかりと元気である。
 大好きなサクラの手料理で腹も膨れて、多少の疲労の回復はできたのだろう。
 しかしやはり、九尾の力によるところが大きく、良くも悪くも、その力に振り回されているナルトを思うと、複雑な心境を抱かずにはいられない。
 だがそんな周囲をよそに、勢いよくナルトが立ち上がる。

「よし!腹もいっぱいになったことだし、ヤマト隊長!続きやるってばよ!」
「え、も、もう!? 食後の休憩を…、」
「休んでるひまなんかねーって!こうしてる間にもサスケは…!」

 ぐ、と唇を噛む。
 押し黙ったのは一瞬で、強い瞳で、サクラを見つめる。 

「サクラちゃん、ありがと!!」
「うん、がんばってね」

 サクラが笑顔を返せば、ナルトも自然と顔が綻ぶ。
 待ってくれよーと頼りなげな声を上げながら付いて行くヤマトを振り返りもせず、ナルトは一目散に滝へ向かって駆け出していった。



「サクラは?」

 ナルトの背中を見送っていて、少し反応が遅れてしまった。
 曖昧な顔をしてしまったのは、そのせい。
 カカシはナルトの後を追うでもなく、木の幹に身を預け、最後のおにぎりを噛みしめている。

「うん。がんばってるわ、ちゃんと」
「がんばってるのは、知ってるよ」

 見透かされているようで、居心地が悪かった。
 ナルトやサスケと違って、サクラがカカシと過ごした時間など、たかが知れていると思っていた。
 ましてや今は、サクラも綱手に師事する日々。同じ班とはいえ、カカシがしばらく倒れていたこともあり、ろくに顔もあわせていなかった。

 それなのに、いつだってカカシは、サクラ以上に、サクラのことをわかっている。
 第七班として、ナルトとサスケと、活動していたあの頃から。

「…今日はね、お休みもらったの。…ううん、休めって言われちゃって」
「がんばりすぎたんだ?」
「…いくらがんばったって、足りないのに。私なんて…」

 ぎゅ、と膝の上で握られた拳が、震えている。
 気ばかり焦るのだろう。
 サスケの成長を、目の当たりにしてから、特に。

「まあ、きっちり休んでまたがんばるのも大事よー、って、たぶん火影にも言われたんだろうけど」
「…」
「納得できないのも、気持ちは分かるよ。焦るよな。
 …でも、あいつらと同じようには、できないよ。俺だってそうだ」

 多重影分身で滝に向かうナルトをあごで指しながら、苦笑する。
 特殊すぎるのだ、彼らが。比べようもないほどに。

「自分の気持ちに折り合いつけるのも大変だけど…ま、サクラはサクラで、がんばるときはがんばって、休むときは休む。誰かと比べたりしないで、それでサクラなりに、進むしかないんじゃない?
 俺も、一緒にがんばるから」

 たぶん、サクラの中でも、とっくにそんなことはわかっていたはずだ。
 でも、非力な自分に、焦りばかりが募ってしまって。

「…くやしい。カカシ先生に正論で叩きのめされた…」
「エー…、やさしく諭したつもりだったのにその言われよう…」
「うそ。ありがとう。わかってたけど、言われてちょっと冷静になれた」

 にっこりと笑った顔は、先ほどの落ち込んだ声色を微塵も感じさせなかった。

「うん、それでこそ7班の理性、おりこうなサクラちゃん。
 大じょーぶ。サクラは自分が思ってるより、ずっとずっと成長してるよ」

 ぽんぽん、と頭を撫でてやる。
 子ども扱いしないで、と怒られるかと思ったが、嬉しそうだったのでカカシも思わずつられて破顔する。
 ほっとしたのは、むしろカカシのほうだ。

「あーあ、でもナルトが羨ましいわ。先生ふたりもひとり占めして!」

 んー、と腕を伸ばしながら、ナルトとヤマトのいる方向を眺める。
 大勢に増えたナルトがひとりひとりやかましく、修行しているというのになぜだか笑ってしまう。

「…ごめんな」
「やだ、気にしないで。わかってるから」

 困ったような声が聞こえて、サクラが慌ててカカシを振り返る。
 自分の思っていたように伝わらなかったのかと、不安になって。

「わたしはそのぶん火影様から直々に教えを乞うているのよ。先生から教えてもらえないこともたくさん教わってる」
「そうだね」
「でも、カカシ先生からでなくちゃ教われないことだってある」

 うらやましい、と言ったのは、半ば本音だった。
 それでも、今はナルトについているときだということは、サクラもわかっている。だからそう言っただけなのに。

「…俺は、ひとを救うための力なんて持ってないよ」

 あまりにも頼りない、弱気な声だった。
 人に説教じみたことを言っておいて、よくも。
 悲しいような腹が立つような思いで、サクラはカカシを睨む。

「なに言ってるのよ、散々わたしを、わたしたちのこと、助けてくれたくせに!」

 7班を、みんなを、里を。
 わかっていないのは、一体どっちなのだと。

「わたし、先生にもらった言葉、ひとつだって忘れてない」
「…サクラ」
「怒るわよカカシ先生、そんなこと言ってると!わたしにとっては…、」
「サクラ」

 いつのまにかまた力が入っていた拳を、大きな手で包まれた。

「ごめん、ありがとう」

 目がかすむな、とは気付いた。途中から。
 どうやら泣いていたらしい。

 もう片方の手で、カカシがサクラの大きな瞳にたまった涙をぬぐってやる。
 悲しい気持ちだったのはサクラのはずだったのに、カカシも随分と悲しそうな顔をしていた。

「だめな先生だなー。せっかく生徒の心を晴らしたのに」
「ほんとよもー。生徒に心配かけるのも大概にしてよねー」

 涙を隠すように笑ったつもりだったが、うまく笑えているかはわからなかった。

「先生、」

 それでもとにかく、伝えたかった。

「つらいときは、わたしが助けてあげるからね。先生だからって、かっこつけたりしなくていいから。わたしがちゃんと、支えるから」

 頼りないかもしれないけど。
 自分の拳を包んでくれていた掌をとって、両手でしっかりと包み込む。

「…ありがとう」

 それは掠れてはっきりとしない口調だったけれど、少なくとも先ほどの弱気な声とは打って変わって前向きな口調に聞こえたから、サクラもまた自然と笑みがこぼれた。
(20140104)