「カカシ先生を見たわよ」

 肩でも掴まれそうな勢いでいきなり詰め寄られて何事かと思えば、取り立てて興味を引かない話題だったから、鼻息の荒い いのに対して露骨に落ち込んだ声で返してしまった。

「カカシ先生くらい見るでしょ、同じ里にいるんだし」

 いや厳密にはまったく興味がないわけではないのだけれど。
 かといって逐一ここまで大げさな報告を受けたところで毎度返すリアクションもないし、こちらも困惑してしまう。
 何年かに一度現れる希少な彗星じゃあるまいし。
 
 しかしそこは長年共に過ごした親友だった。甘いわねぇ~と片眉を吊り上げる腹の立つ顔。

「最近できた雑貨屋さん、知ってる?」
「雑貨屋さん…、甘栗甘のはす向かいの空き店舗だったところ?」

 先月だかその前だったか。渋めの様相の路面店が軒を連ねる一角に風変わりな、はっきり言ってしまえばだいぶ浮いて見える店ができた。
 店名からしてしゅがーだかきゃんでぃーだか胸焼けしそうな甘ったるさを纏わせており、ギリギリ十代女子の自分でさえ入るのを躊躇してしまうほどガーリーでファンシーな店構えのそこは、道すがらのぞいたところ、店内はまたふわふわとしたパステルカラーにあふれており、とにかくとてつもなく可愛らしい雰囲気だった。

 そういえばオープン当日は開店祝いのスタンド花が仰々しく飾られていたのを覚えている。おかげさまでうちもオイシイ思いをさせてもらったのよ~と、山中花店の看板娘もホクホク顔をしていた。
 
「ってまさか」

 そこまで記憶を手繰り寄せてようやくはたと気づく。
 そしてそれは思ったとおりだったようで、いのはにんまりとした笑みを浮かべ、いっそう腹の立つ顔になっていた。

「そのまさか、よ!」

 件の開店祝いの花のスタンドを回収に訪れた際、店内で物色するカカシ先生を見かけたのだという。

「…見間違いじゃないの?」
「アンタねー、あんな怪しいビジュアル、見間違うと思う?」

 顔のほとんどが隠れているというのに、本人だと断定できるというのも妙な話だったが。
 確かにそこに関しては反論の余地もなく、納得せざるを得なかった。

「カカシ先生にもプレゼントしたいようなイイヒトがいるってことかしらねーっ!?」

 大凡の女子は、色恋話が大好物だ。もちろん自分たちもご多分に漏れずその一員、だったのだけれど。
 すっかり盛り上がる いのに対して、こちらはひどく冷静だった。

「イイヒト…っていうより、あの店の雰囲気なら知り合いの子どもとかじゃないの? ほら、紅先生のとこのミライちゃんとか」
「甘いわよ、サクラ。あのカカシ先生よ? リサーチなしにあんな店に足を踏み入れるなんてリスクを冒すと思う? 
 大体ミライへのプレゼントだったら、アタシかアンタのどっちかに助け舟求めてるんじゃない?」

 緩く開いていた唇が、言葉を続けられずきゅっと閉じる。

 なんだか少しおもしろくなかった。
 いのよりも自分のほうが、よっぽどあの人と同じ時間を共にしているのに。
 いのの言うことがあまりにも正論で、それ以上のケチをつけられずにいたこと。

(カカシ先生も、お付き合いとか、するのかな)

 お付き合い。恋人。…結婚? 彼とはほど遠い響きに思えて、不思議な気持ちになる。
 考えたこともなかった。考えようとしたこともなかった。考えたくなかった。いちばん近いのはどれだろう?
 そりゃあ、あるだろう。いい歳の大人なんだし。これまでだって、何人とも?
 知りうる限りで浮いた話など耳にしたことはなかったが、わざわざ教え子に報告する筋合いなんてないだろうし。あのひとのことだ、抜かりなくやるに違いないから、噂にもならないのかもしれない。

 なんだかひどくもやもやした。
 甘ったるいあの店を思い浮かべた時に感じた、胸焼けのような気分の悪さ。

(あんな店のプレゼントで喜ぶなんて、趣味の悪い女ね)

 まるで当たり屋のような難癖のつけ方だ。そんな自分のほうがよっぽどタチの悪い女に違いないのに。

「サクラ、アンタ顔こわい」

 いのにそう指摘されるまで、自分がそれほどの不満を露わにしているなど、気づいてもいなかった。







 いのと別れ、夕飯の買い物で賑わう大通りを、どんよりとした気持ちのままとぼとぼと歩いていた。
 キャッキャという甲高い声が聞こえ、なんとはなしに視線を向けると、父親のたくましい腕にぶら下がるようにじゃれていた小さな子ども。
 得意げに腕を上下させる父親も、とても幸福そうに笑顔を浮かべていた。
 
(あんなふうに、いつか、先生も)

 わたしの先生じゃなくなる日が、くるのかしら。
 誰かが待つ家に帰って、あの腕で家族を抱きしめる日が。

 そんなあたたかい幸せに水を差すような、深いため息が漏れる。

 なんてひどい教え子だろう。自分のわがままのせいで、恩師の幸せを願えない。
 それこそ何度だって誰かのために投げ出してはぼろぼろにしてきたからだを、やさしく包んでくれるひとがいるだなんて。何度だって絶望の淵に立たされ壊れかけたこころが、今度は自分のために誰かを想うだなんて。
 なによりすばらしいことなのに。

 いつまでのあの包み込んでくれるようなやさしさに甘えてはいけない。
 いつもどこかで、カカシ先生なら、カカシ先生がいるから…、と彼をあてにしてしまっていた。だからこそ倒れるまで振り切れたし、励みにもなった。
 だけど。
 
(いいかげん、わたしも卒業しなきゃ…)

 居心地があまりにも良すぎて抜け出せずにいたけれど。
 成長を求めてがむしゃらに進んできたが、カカシ先生からの自立。この最大の関門を乗り越えなくては、きっとこれ以上の成長もない。
 
 
「なーに往来で突っ立ってんの」
「…カカシ先生」

 心の中でわだかまる重い物憂いをもう一度吐き出そうとしたところで、背後から声をかけられた。まさにさきほどまでうわさの種であり、いま自分の頭いっぱいを埋め尽くす張本人に。
 邪魔になっちゃうでしょーよと背中を押されて、立ち止まったままだった足が動き出す。

「そんなに真剣になに見てたの?」
「…カカシ先生の未来の姿」

 はあ?と露骨に繰り出された疑問符に答えてあげられるほどの優しさはなかった。
 それどころか、彼を目の前にして、よりいっそう自己嫌悪に苛まれる。
 愉しげな親子を横目で見送ってから隣を歩く先生を見上げると、まぁいーけど、とのんびりとした声でひとりごちていた。
 こんなふうにしつこく執着しないのも、彼と過ごしやすく離れがたい理由のひとつだ。

「ちょうどよかった。おまえのこと探してたんだ」

 歩きながら、小さな包みを手渡された。
 戸惑いのあまりなにも言えないまま受け取ってしまったが、パステルカラーのグラデーションのやわらかい梱包材でキャンディ包みにされたそれは、サイズこそ手のひら大だったが、とにかくカカシ先生には似つかわしくなく、彼の懐から現れたときのインパクトたるや。

「…え、なんですかこれ」
「兵糧丸、切れてないかなと思って」
「…兵糧丸?」

 何を言っているのかわからなかったのは一瞬だけで、すぐさま一ヶ月前の寒い晩のことを思い出した。
 他の班員たちがまどろんでいるなかをこっそりと抜け出し、不寝番をしている先生のもとへ向かったあの野営の夜。

「…カカシ先生って」
「なに、」
「案外マメですよね」
「あのときおまえの兵糧丸ひとりじめしちゃったからね」

 白々しい嘘に乗っかり続けてくれることも含めてそう言ったのだが、どこまで伝わったろうか。
 あんな色気のないシチュエーションだったし、たまたま日程がかち合うからと用意していただけのものだったし、そもそも彼に対してそんな見返りなど求めてもいなかった。
 だからこそひたすらに驚き、そして嬉しさがこみ上げてくる。

「ごめんなさい、順番間違えちゃったわ。ありがとうございます」
「どーいたしまして」

 やわらかく微笑む先生につられてこちらも自然と口角が上がる。彼が原因であれほど落ち込みきっていた気持ちが、また彼によってあっという間に浮上した。
 こうして一緒にいる相手を自然とまろやかな空気に包み込むのも、彼と過ごしやすく、離れがたい理由のひとつ。

 喜びをじんわりとかみしめながら、春にぴったりなふんわりと明るいグラデーションの包みを手の中で転がしていると、控えめに円形のシールが貼られていることに気づいた。
 どこかで見覚えのある字体。書いてあったのは、

「しゅが…!?」

 アルファベットの羅列を単語として捉えた瞬間、思わず絶句し、再び足を止めてしまった。
 
【SugarCandy】

 いのと交わした会話のやりとりが瞬く間に脳内を駆け巡る。
 その背景には、記憶の切れ端がフラッシュバックする。先日遠巻きに眺めたパステルカラーの内装、ポップな看板、そこに書かれていた文字と字体。

(…ってことはちょっと待って!?)

 これを買うために、先生が? あの、わたしでさえ足を踏み入れるのに勇気がいりそうな店内に?
 わたしのために?
 …わたしのために?

 突然からだじゅうを巡っていた血液が沸騰したかのように熱くなる。
 決して自分は彼のイイヒト、ではない。彼にとっての大切で唯一の教え子の域を越えていない。
 きっと「子どもだからかわいいものが好きだろう」なんて、安直な考えからあの店を選んだのかもしれない。
 でもそうだとしても、この慎重すぎる上忍にリスクを負わせたのだ、わたしが。…わたしが!実際に目撃情報まで出てしまっている。

 心が浮き立ったままふわふわとしすぎて、この喜びや感謝の気持ちを伝える気の利いた言葉ひとつ思いつきやしない。
 そんな反応の鈍さを勘違いしたのか、にこやかだった先生が僅かに焦りを見せる。

「なによ、気に入らなくても陰口だけにしてね。案外ナイーブなんだから」
「うるさい、感動に震えてるのよ!」

 大体このひとの場合、陰口のほうが耳に入りやすいんじゃないの? 
 ほんとにー?とまだ疑っている様子の先生を無視して、視線を手の中の包みに戻す。
 カカシ先生がわたしのために選んでくれた贈り物。
 その事実だけで、頬が緩むのを止められない。

「開けてもいい?」
「ここで?」
「だって、兵糧丸切らしちゃったんだもの」

 恥ずかしいなぁと頭をかきつつ、とりあえず邪魔にならないようにと通りの脇まで促された。
 今日は休みらしいたばこ屋の軒下を借りて、結ばれたリボンの端を引っ張る。すかさず先生の手が補助に入り、ほどいたリボンを預かってくれる。
 こうやって押し付けがましくなく気をきかせてくれるところも、彼と過ごしやすく離れがたい理由のひとつ。

 梱包材をはがしていくと、姿を現したのはジャムの容器のようなガラス瓶。
 その中には淡いピンクやブルーやオレンジ、色とりどりのパステルカラーのキャンディが詰め込まれている。

「きれい…!」

 目線の高さまで持ち上げてまじまじと見つける。陽の光を受けてきらきらとひかるそれはまるで宝石のようだ。
 角度を変えればそのたびに新しい彩色を作り出し、眺めているだけでも楽しい。 
 
「なんだかおまえたちみたいだなって」

 ピンクはサクラ、ブルーはサスケ、このオレンジはナルトな。
 ホワイトデー特設ウィンドウにディスプレイされたこのキャンディボトルを見かけたとき、吸い込まれるように店内に足を踏み入れていたのだという。
 彼がやってきたとき店員はどう感じただろう? 見た目とは裏腹に、案外このやわらかな雰囲気のおかげで、すんなりと受け入れることができたかもしれない。

「じゃあこのグリーンはカカシ先生ね」

 エメラルドグリーン色。わたしの好きな色。
 先生にも見えやすいよう瓶を傾けると、てっぺんにあったグリーンのキャンディがひとつ転がって、ピンクの隣にやってきた。

「それはおまえの瞳の色じゃないの」

 確かめようと顔を近づけてきた先生にどきりとしていると、さらに上を行く驚きを重ねてきた。
 こんなせりふを恥ずかしげもなく言ってのける人だ。
 キャンディを教え子に例えてみたり、少女で賑わうようなお店にためらいなく入ったり。
 それでいてわたしがちゃんと喜んでいるかどうかちらちらと気にしている。
 なにより、お返ししなきゃって、考えててくれたんだ。一ヶ月前から、ずっと。

 かわいいひとだなぁ。…でも、それだけじゃない。何か物足りない。もっとしっくりくる表現があったはずだ。
 これからもずっと、どきっとするような瞬間を見逃したくない。もちろん、踏み込みすぎない優しさも、自然と笑顔になってしまう空気の軽さも、押し付けがましくない親切も、どれもやっぱり離れがたい。
 こういう気持ち、なんていうんだったっけ。

(…あれ?)

 突然すっきりと頭が晴れてゆく感覚。
 自分がついさきほど想像上の先生の恋人に向けていた露骨な敵意が、ブーメランのように返ってきたのだ。

(わたしって、なんて)

 趣味の悪い女なんだろう。
 そしてなんて愚かで鈍かったのかしら。
 いつまでもこの愛おしい日だまりのような居心地のよさから抜け出せない最大の理由に、いまごろになって気がつくだなんて!
(20150314)