夕刻、疲れきって廊下をぼうっと歩いているところで、カカシに出くわした。
 あと少し仕事が残っていたものの、あとでメシ食って帰ろう、という簡単な約束ひとつでがんばる気持ちになれる。
 我ながらゲンキンだ。





 近くの大衆食堂。どこでもいい?という言葉に頷いてしまったことを少し後悔したが、仕事で疲れきった顔でこじゃれたレストランに入ったところで絵にならないと思い直し、納得した。
 なによりここは、安くてうまいのだ。

「あいつ、通ってるみたいだねぇ」

 焼き魚定食にしようか、彩り御膳にしようか、でも本当はがっつりスタミナ定食が食べたい…とメニュー表を睨み付けていると、おしぼりで手を拭きながらカカシがもちかける。

 あまり、話したい話題ではなかった。
 が、そもそも彼から持ち出された案件だ。
 カカシの後輩が、治療を受けたことをきっかけで、それ以来サクラに想いを寄せている、という。

 最初に話を聞いてから、件の彼から、真剣な眼差しでアプローチを受けていた。
 カカシが任務で里を離れたあと、それから看病をきっかけに、なんとなくちょくちょくとカカシ宅へ食事の世話をしに行っている今でも。

「いいひと、なんだけど」

 いいひと、だ。とてつもなく。
 なにより、ああもまっすぐに想いをぶつけられて、嫌な気はしない。
 たぶん、きっと、幸せにしてくれる。

「しょうがないよねー。サクラちゃんには好きな子いるし」
「…」

 あんたがそれを言うか、と反目で見つめたが、カカシは知るよしもない。

「困ってる?」
「んー…、困ってはいないけど、真剣さが伝わってくるだけにちょっとね」

 戸惑ってはいるが、本当に困るほどぐいぐい攻め込まれるわけではない。
 少しでもこちらが困ったような顔を見せれば、きちんと引いてくれるし。

 それはそれは、なんでこのひとを好きになれないのだろう、と自分でも疑問に思うほど、ひたむきな想いをぶつけられている。
 それでも、だめなのだ。サクラが幸せを感じることができる相手は、ただひとり。 

「断れないなら、俺から言ってやろうか?」
「え、それはダメよ。大丈夫、ちゃんと自分ではっきりするから」

 あれほどまっすぐにぶつかってきてくれる相手に、それはあまりにも失礼だ。
 そっか、と納得しているそぶりを見せたが、あとくされなく別れられるような相手としか関係をもたない男が、サクラの気持ちをしっかりと理解しているとは到底思えなかった。

「でも、中途半端に優しいのはだめだぞー。ないならないってはっきり言わないとね、お互いのためにも」
「…そうね、」
「あいつも、早いとこカタつけて、そしたら次進めるだろ」

 確かに早く決着をつけなくては、とは思っている。だが、彼が傷つく姿を見たくないという気持ちが、なかなか真実を告げられないでいる。
 だから、カカシの言うことは正しい。
 それでも、ひどく腹立たしい。

 ひとの気持ちなど、そんな単純ではない。
 きっとカカシもかつてはそれを知っていたはずだろうに、忍として感情を押し殺してきたあまり、忘れてしまったのだろうか。


 そんなおりだった。

「春野さん!」

 振り返った先にいたのは、噂の張本人。
 動揺するサクラが反応できないうちに、視線は隣へ移る。

「…と、先輩。お疲れ様です」

 この大勢の客の中で、真っ先にサクラを見つけてしまうのだ。隣の上司に気付くのも遅れて。
 慌てて頭を下げる様子がなんだか微笑ましくなり、おー、とカカシが軽く手を上げて応える。

「あれ、午後の任務は?」
「はい、滞りなく終わって…、だから、みんなで夕飯、食いに来たんですけど」

 くい、と後ろを指すと、他の隊員たちが談笑しているのが見える。こちらには気付いていないようだ。
 とにかくサクラと話したかったんだなぁ…とカカシが半ば感嘆していると。

「先輩、だから断ったんですね?」

 仲立ちを。サクラは真っ直ぐだから、俺なんかの口添えでどうこうできるような子じゃないよと。
 そう言って断ったのは、カカシ。

 最初にサクラを見かけて、心は躍ったが、次の瞬間、打ちのめされた。
 連れと思しき男に向けた表情が、特別なものだとわかってしまったから。
 だからこそ、なおさら、声をかけずにはいられなかった。
 まさか、その相手が。

「フェアじゃないですよ。正々堂々、勝負です」
「え、あれ? えーと、」
「それじゃあ、春野さん。今度は俺とも、ご飯付き合ってくださいね」
「え、あ、はい」

 話題がカカシに移っていたことですっかりと油断しており、思わず勢いで頷いてしまった。
 嬉しそうに去っていく背中を見ながら、今度はカカシが、半目でサクラを見つめる。

「…おい、断るんじゃなかったの?」

 責めるような口調。
 もちろん、そのつもりだったけれど。確かに曖昧な返事は、一番よくはないけど。
 こんなところで結論を出してしまうのも、彼には酷な気がした。

「先生こそ。なんか妙な勘違いされてるみたいだけど」

 いいの?と。反撃する。

 口ぶりからするに、カカシ自身もとても大事にしている部下だというのは、見て取れる。
 そんな彼から、一方的に、恋敵と見なされてしまったようだ。
 事実、最初からそうだったのだが。カカシだけが知らないだけで。

「まー、断っといて当人とふたりで飯なんか食いにきてたら、誤解もするわな」
「随分と色気のないデートだけどね」

 そこまで言って、そういえばまだ注文をしていなかったことを思い出し、店員に向けて手を上げる。
 もういいや。スタミナ定食で。なんだかすっかり疲れてしまった。今更この男の前で、彩り御前なんて気取ったって仕方ないのだ。

 それでも、もし今日隣に座っているのがあの彼だったら。
 ある意味迷うこともなく、彩り御前を選べたのに。

「…本当にしちゃう?」

 彼の勘違いを。本当にしてしまおうか。
 え、と戸惑うような声が聞こえた気がしたが、すかさず店員が注文を取りにやってきた。

「すいません、スタミナ定食ひとつ」
「ふたつで」

 先生は、と聞く前に言葉をかぶせられた。
 ご注文を繰り返します、という教科書どおりの店員の言葉はあまりきちんと聞いていなかった。

「ばかだな、だとしたらこの役に似合いの相手がいるだろ」

 店員が卓を離れるなり、カカシが顔布を下げ、水の入ったコップを口につける。
 あれほどまでに焦がれていた素顔。事故で見かけてしまってから、食事のたびに何度となく眺めてはいるのに、未だに少しどきどきしてしまう。
 秘密の共有をしているようで。

「…そうだね、」

 でも結局、そんな特別な想いを抱いているのは、自分だけなのだ。
(20140106/2008サルベージ)