呼び鈴を鳴らしてしばらくしても返事がないものだから、留守なのかと引き返そうとしたその瞬間。
シュッ
「…」
クナイの先が、ドアを突き破ってこちら側に見えている。
殺意を持って放たれたのでないことはわかる。わかるのだが…。
「…先生?」
もう一度呼び鈴を鳴らすが、やはり返事はない。扉を開けに来るわけでもない。
どうしたものかと考えた挙句、持っていたヘアピンでピッキングをはじめた。
「先生ー、どういうつもり…」
単純に鍵しかかけられていなかったドアの鍵は、わずかな時間で簡単に開けることができた。 客人に鍵まで開けさせ、クナイまで投げられ、ずいぶんなお迎えねと文句のひとつでも言ってやろうと思ったのに。
「サクラ…」
ようやくしぼりだしたと言った様なかすれた声でサクラを呼ぶ、顔面蒼白のこの部屋の主を見た瞬間、まるで言葉を失ってしまった。
盛大な腹の虫の音が聞こえるまでは。
「まったくもー先生ったら!」
「あはは…面目ない」
長期任務なのだと言うのだから、一体この先何年会えないのかと、人知れず枕を濡らした日々を返して欲しい…とサクラは思う。
(まぁ、正確なとこ聞いてなかったあたしも悪いけど)
なんてことはない、ひと月もしないうちに、昨日カカシは帰還した。さすがに予定では長引けば2、3ヶ月はかかるとのことだったらしいが、異常とも言えるスピードで切り上げてきたらしい。今度の任務でカカシと同行したらしい上忍と、綱手とが話しているのを聞くところによると、それでも特に無理した様子もなく、むしろどこか楽しげだったというのだから理解しがたい。
とは言え、やはりそのしわ寄せはあった。
出会った頃から通算何度目かの、例によって写輪眼使用による疲労。
挙句入院はいやだとダダをこね、結局昨日のうちに自宅へ帰ったらしい。
しかし言うことの聞かない体では満足に身の回りのことも出来ず、ベッドにもぐりこんだまま、丸一日が経過したとのことだ。
サクラの気配になんとか起き上がったはいいが、カカシが玄関に辿りつく前に、サクラが解錠してしまって、気が抜けて倒れこんでしまったのだった。
「あたしが来てなかったら餓死でもしてたつもり?」
「サクラがいてくれて助かってるよ」
「…そういえば甘やかしてもらえるとか思ってるんでしょう」
「エヘヘー」
仕方ないわねーと文句を言いながら、それでも感謝の言葉ひとつで簡単に許せてしまうばかりか、思わず頬も緩んでしまう自分はとてもゲンキンであると思う。
頼られるのは、悪い気がしない。
それは世話焼きのこの性格からか、あるいはこの上忍だからか。まったく頭が痛くなる。
サクラがカカシの自宅に寄ったのは、本当に偶然だった。
カカシの帰還は昨日のうちに綱手から聞き入れたものの、結局どこで会うこともなかった。入院はしていないというから、大げさな負傷はないだろうと安心はしていたものの、やはり少し心配ではあった。
そして今日はスーパーの特売日。自宅の冷蔵庫にストックさせるために寄り、いくらか食材をカゴに放り込んで、鮮魚売り場で初物の秋刀魚を見て、唐突にカカシの自宅がこの近くであり、任務の疲れを癒すとの名目でここしばらくは自宅待機しているということを思い出したのだ。
本当なら、顔を見て、なんならお茶でも出してもらって、それですぐ帰るつもりだった。
と言うのに。
今日少しだけ使って、残りは冷凍しておこうと思っていた豚バラ肉は、一緒に買ったキャベツ半玉とにんじんと一緒に、申し訳なさそうに転がっていたカカシ宅のたまねぎを拝借して、ほとんどが野菜炒めの具材になってしまった。
他にも特売で買い占めた食材は、結局すべてカカシ宅の冷蔵庫の中にしまいこんだ。
「顔合わせるなり倒れこまれたら、無視したくたってできないわよ」
「サクラちゃん手際いいねー。ちゃんと自炊してるんだ」
「先生、独身男の家の玄関に、たまねぎが転がってるってなかなかシュールだわよ」
「実はおとといに携帯食かじったくらいでさぁ。仮にも名の知れた上忍が餓死で孤独死ってカッコ悪いの極みだよねぇ」
まったく会話をかみ合わせる気がないのだと納得したサクラが、諦めて料理を仕上げることに集中した。それでも約1ヶ月ぶりの再会だというのに、感激やら安堵やらといった感情より先に呆れさせてくれるのは、さすがはたけカカシである。
「本当はおかゆとかおじやみたいなもののほうがいいのよ。何も食べてないんだったら」
「へーきへーき。それより今はがっつりいただきたいの。あ、調味料はガスの下ね」
あちこち探し回るサクラを見かねたカカシが声を掛ける。あまり揃ってはいない調味料群から塩コショウを取り出したが、固まっていて思ったように出てこなかった。
「…先生みたいなタイプって、調味料の賞味期限もアヤしいもんよね」
「実際どうかしらねぇ」
「さぁ、確かめるのが怖くて見なかった」
野菜炒めに味付けをしたところで炊飯器を見たが、ご飯が炊けるまでにまだもう少しかかる。
おかずが量でごまかした1品と言うのも味気なかったが、材料もレパートリーもなければ仕方なかった。
手持ち無沙汰となって、座卓のカカシの向かいの席に腰掛けた。
何かを口に出来ると安心したからか、カカシの顔色は、さきほどよりは幾分か良くなったように見える。
「サクラもごはんまだでしょ?」
「そりゃそうよ。今日は顔だけ見せてさっさと帰るつもりだったもの」
「んじゃ、一緒に食べていくでしょ」
頷きかけて、考える。確かにご飯も野菜炒めも、2人前にしても多いくらいかもしれない。
だけれどそれは、明日の分としての作りおきも兼ねていたようなものであり、今ここで減らしてしまうのも本末転倒、のような。
「あ、でもうち茶碗1つしかないよ。それとも茶碗じゃなきゃ白飯食べられないタイプ?」
「そんなわけないでしょ」
「えーじゃあいいじゃーん。今日だってそんな遅いわけじゃないし」
「別に明日も早くはないけど。ていうか先生明日何時に起きるつもり?」
ぽかんとした顔をしたのち、「目が覚めた時間」と言ってのけるカカシを生ぬるく見つめていると、炊飯器の電子音。ご飯が炊けたようだ。
きっと朝食を食べることはないんだろう。昼はどうかわからないけれど、今炊いたご飯を少し取り分けて、おにぎりでも作っておけばいいかと納得した。
炊飯器を開けると、湯気とともにご飯のいいにおい。
心配なら、明日も様子見の名目で顔を出せばいい。もし誰か他に出入りする人がいるようなら、おとなしく引けばいい。
生徒が先生を心配する。ただそれだけのことだ。
「…先生、明日秋刀魚買ってきてあげようか。今日初物売ってた」
ごはんに合うおかずを連想したのであって、別に誰かの好物を意識したのではない。胸の鼓動がやたらと早くなったことは気になるけれど。
なんなら今日残った豚バラの残りで豚汁でも作ろうか、何か漬物もあったらいいよなぁと、ぼんやりと他の献立も思い浮かべながら。
「明日はお茶碗持ってきなさい」
そんなセリフを笑顔で言われてしまったら、勘違いするなと言うほうが、土台無理な話だ。
(20061022up)