病院という職場はつくづく特殊な環境下であると、医療忍術の勉強を始め、そこへ頻繁に出入りするようになってからというもの、サクラは何度も実感する場面があった。
「人生には3回のモテ期があるというわね」
「一般論ではね」
ここは木の葉茶店のテーブル席。お気に入りの白玉クリームぜんざいを注文したところで、いやに落ち着いた口調でサクラが切り出す。
そしてそんなサクラと向かい合って座り、のんびり茶をすする男はいわゆる上司である。が、サクラにとっては元担任という意識のほうが強く、サスケが抜け、事実上班が解散になった今も、たびたびプライベートでこうして呼び出しては、相談事を聞いてもらっている。
「どうしよう先生」
カカシを真っ直ぐ見つめたサクラが、バン!と両手をテーブルに叩きつけた。
「あたし今かつてないほど、モテてモテてモテまくってるんだけど!」
「…良かったじゃないの」
わざわざ人を呼びつけておいて、声を荒げてまで何を言い出すのかと思ったら。
あまりに拍子抜けしてしまって、たっぷり時間をかけたというのに、カカシが言えた言葉はこんな簡単なものだった。だからどうしたと聞き返す前に、勢いづいたサクラが言葉を続ける。
「良くないわ! どうでもいい人たちからもてて、そのモテ期を1回使うなんて勿体無さ過ぎるわよ!」
「…はー、」
なおも真剣に熱弁を振るうサクラと反比例して、カカシのテンションはみるみるうちに下がっていく。
「ちなみに、これまで何度のモテ期があったわけ?」
「それが問題なのよ!ねえ先生、幼稚園期のちやほやってカウントするべき!?」
「…うーん」
「微妙なとこなのよ! それをもし入れるなら、今回でもう3回目なのよ〜!!!」
どうしよう〜!と足をじたばたさせながら、サクラはテーブルに顔を突っ伏した。
飲食店でホコリを立てるのは良くないねーと思ったカカシだったが、サクラの頼んでいたぜんざいがやってきたため、口を開くタイミングを失ってしまった。
すると、さっきまでこの世の終わりだとばかりに大騒ぎをしていたと言うのに、女の子と言うのはたくましい。あっさり目の前の甘いものに意識を奪われ、ニコニコとスプーンを握り締めている。
ちょうどサクラが白玉とつぶあんを絶妙なバランスですくって口に運んだところで、少なくともついさっきまでは死活問題だったはずの話題を繰り返す。
「…サクラ、もてたい相手いるの?」
「…」
サクラはスプーンを加えたまま、じい、と意味ありげにカカシを見つめる。
「…べっつにぃ」
そう言いながら、なんだか責めるような視線に思えたのはカカシの気のせいだったろうか。
結局カカシから目をそらして、サクラはさっさと白玉クリームぜんざいを口へ運ぶことに専念してしまった。
カカシとて、それほどサクラの恋路にうるさく口を挟む気もないのだが(悪い虫がつかなければいいなとは思うものの)、呼び出され出てきたというのに、このままぜんざいを食べるサクラを眺めて別れるのもなんだかシャクだった。
いつのまにか飲み終えていた茶のおかわりを店員に注文しながら、機嫌を損ねたように見えるサクラに、にっこりと笑いかけた。
「だいじょーぶよ。そんな不特定多数踏み台にしてやりゃいいのよ。それでとびきりいい女になって、お目当てのヤツを振り向かせてみなさいよ」
「…好きでもない男の子引っ掛けて経験値上げるの?それってあんまり美しくない」
「なーによ。経験することだって大事じゃない。いつまでもキレイなままじゃいられないのよ〜」
カカシの言葉は、いまだにどこか恋愛に理想を抱くサクラにとって、厳しいものだった。
しかしむっとするものの、反論のための言葉が出ない。そうこうしているうちに、カカシに2杯目の茶が運ばれる。
「サクラもそのうちわかるよ」
そのうち、では遅いかもしれないと言うのに。
でも目の前の男がそのわけを知る由もないのだが。
「先生は!」
つい叫んでしまったのは、届かない想いにやるせなさを感じたからなのかもしれなかった。
「場数、踏んでるほうがいいとでも言うの?不特定多数と経験積んでいい女になった女のほうが、やっぱりいいの?」
「いやー…、めんどくさくないなら、いいや」
まるで感情をすべて切り捨てたような口ぶりだった。。
あっさりそう言ってのけるカカシに、信じられないといった口調でサクラは問いかける。
「なにそれ。先生が求めるものってそういうこと?」
「ンー…。あえて言うなら、さっさと別れてくれる人?」
「好き合って付き合うのに、問題なく別れようってことばっかり考えるの?」
「だって、本気じゃないからね」
驚いて絶句するサクラに向けたカカシの笑顔は、あくまでも優しかった。
その優しさの分だけ、サクラは胸を潰されるような想いでいることも知らずに。
「本気になんて、ならないよ」
「…今まで、誰も?」
「これからもずっと、かもね」
笑顔とは裏腹に、サクラにとっては絶望的な言葉。
これまで育ててきたささやかな想いも、すべてを否定されたような。残酷な死刑宣告。
あれほど好きだったぜんざいのアイスクリームがどろどろと溶けはじめている。
ビジュアル的に美しくないので、いつもだったら味わいつつも、ぐちゃぐちゃになる前には食べきるのに。
なんだかもう食べるのも億劫になって、握り締めていたスプーンを置いた。
「じゃあきっと、先生はあたしみたいなタイプが一番苦手なんだ」
「サクラ?」
「めんどーでしょ。恋人でもないのに面倒な問題持ち込んだりして。ごめんね」
無理やり笑顔を作ったが、きっとひどく不自然だったろうと思った。うまく笑ってごまかそうとしたのに。
結局カカシの目を見ることが出来ず、うつむいてしまったサクラが次に聞いたのはゆっくりと息を吐き出す音。
(こんなこと言うのがめんどうなのよね)
わかってはいるのに。
重い空気に耐えかね、逃げ出すための言い訳を考え始めたときだった。
ぽん、と頭に暖かな手が置かれた。紛れもない、カカシの手。
「…なーに言ってるの。俺は好きよー、サクラちゃんのこと」
「…」
間違いなく。
サクラの欲しい意味での好きでは、ない。
のに。
向けられた笑顔は、先ほどの死刑宣告のときとは打って変わって、それはサクラの心を晴らしてゆくもので。
「…じゃあたとえば、あたしが好きって言ったらどうする?」
「…びっくりする」
狐につままれたような顔と言うのを目の当たりにして、しかもそれがよりによって決してひとに油断を見せない見せないカカシのものだったからこそ、サクラは腹がよじれるのではないかというくらい、笑った。
(20060908)