すまして本を開いて見せたりもしたが、それが精一杯の虚勢だった。実際文字を目で追ってみても、まったく頭に入ってきやしない。
 まったくもって不本意だが、心臓は素直だった。認めるのはシャクだったが、最初にカカシの素顔を見てしまったときに抱いた気持ちを忠実に再現でもしているのか、まるで早鐘のごとく。

(…卑怯だわ! あの顔をずっと隠してたなんて!)

 サクラは諦めて本を閉じた。おそらくこの胸の動悸がおさまるまでは、どれほど意識を集中したところでこの先は読めないだろう。

 もしも振り返りでもされたら目が合うのが怖くて、背中を見送ることも出来なかった。
 気配が消えたかなと思う頃に、一度いなくなった方向にぼんやり視線を合わせたけれど。


 あんなのしょっちゅう見せられたらたまったもんじゃない。

 きっとそのたびに他に何も手をつけられなくなり、日常生活に支障をきたすばかりだ。



(ナルトがまた先生の素顔を暴こうなんて言い出しても、もうのってやんない)


 だってこれは誰かと共有するには勿体無いような、自分ひとりだけで大切に抱えておきたい秘密。












「いやー、すいません。ちょっとした小休止のつもりが、気付いたときには熟睡ですよ…」

 受付窓口に行くと、サクラの言うとおりイルカの姿があった。
 言い訳がましいことを言いながら報告書を提出すると、困っているという割には、普段どおりにこやかだった。

「大丈夫ですよ。どのみち別件でまだ帰らないので」
「お仕事ですか、大変ですねぇ」
「いや、え…あ、はい」
「…違うんですね」

 ここまでうそのへたな人間はいないだろう、とカカシは思った。
 特に追究するつもりもなかったのだが、ニヤリと笑ったカカシに慌てたのか、イルカは弁明し始めた。

「いや、カカシさんを待ってたのは本当なんですけど、その間に紅先生がいらして、先生の仕事終わったら食事でも…ってことになって」
「ほーお。だからあいつ、今日はやたらと気合入ってたのね」

 さきほど教員室で見かけた紅を思い出す。目を血走らせながら書類にチェックを入れ、かと思えば手鏡を何度ものぞきこみ、物憂げにため息をついたりと忙しそうだった。
 どちらから声を掛けたのかは知らないが、なかなかおもしろい組み合わせだな、とカカシはほくそ笑む。なにより照れ笑いを浮かべるイルカはあまりに幸せそうだ。

 ふと、廊下の開け放たれた窓から風が入ってきた。イルカが報告書に視線を移したのを確認すると、カカシは何の気なしに窓辺へ近づいてみる。



「はい、間違いありません。ありがとうございます」

 報告書に目を通し終わったイルカが受理の判子を押す。カカシはそこでお役御免なのだが、なかなか立ち去ろうとせず、窓から外を見下ろしたまま。

「カカシさん、どうかしましたか?」
「んー?」
 
 イルカの言葉に、ようやくカカシは振り返る。

「いーえ。熱心だなぁと思いましてね」



 窓下に見えたのは、例のハードカバーを胸にかかえて、足早に門を出て行くサクラの姿。
 カカシがサクラと別れてから、報告書を書いたりこうしてイルカと語らったりと、なんだかんだでそれなりの時間は経っているはずだ。

 はっきりとは確かめなかったが、少なくとも下忍レベルで手をつけるような、易しい内容の本ではなかったはずだ。任務をこなしたあとだというのに、熱心なことだ。




 しかしカカシは、サクラが本当はどのような時間の過ごし方をしていたのか、知るよしもない。




(20060901)
ぼんやりイル紅…。