「サスケくーん、待ってーェ!」


 いつもいつも飽きないねぇと、懐から取り出した愛読書を開きながらカカシは思う。
 第7班を受け持つよういわれ、やんちゃな少年ふたりを気にかけろと言われたものの、それ以上に気になるのが紅一点の存在。12歳という微妙な年頃の女の子との接点が普段からあるはずもなく、ともすれば忍術より恋愛に走ろうとする彼女の扱いには、ある意味2人の少年以上に手を焼いていた。

 サクラはしばらくサスケを追いかけていたものの、まったく振り返ろうともしない様子に諦めざるをえず、足を止めてその場でがっくりとうなだれた。
 いつもはこのタイミングですかさずナルトが駆け寄ってきては、サクラの気を引こうとあれやこれや言い出すのだが、今日はそのナルトの姿はない。イルカ先生と一楽へ行くのだと、嬉しそうに解散の合図とともに消えてしまったのだ。

 結局いつもナルトは足蹴にされるが、落ち込んだサクラはそれで元気になる。それがパターン。
 だけれど今日はその奮起するきっかけがなく、相変わらず小さな背中は落ち込んだまま。


(やれやれ)

 いつもなら任務外のことに干渉しようとは思わないのだが、どのみちサクラとは一度ゆっくりと話さなければと思っていた。 
 さすがに任務に支障をきたすようなことはこれまでなかったが、女の子だからと遠慮していたこともいくらかある。これもいい機会なのではないだろうか。
 開いたまま読まずにいた愛読書を再びしまうと、ゆっくりとサクラに歩み寄った。


「サークラ」

 名前を呼べば、睨み付けるようにカカシを振り返る。
 さきほどまでサスケに向けていた笑顔はすっかりどこかへ消えたらしい。

「なによっ!?」 
「代わりに先生とデートしない?」

 おそらくサスケのことで何かつっかかってくるのだろうと予想していたサクラは、完全にあてがはずれてしまった。
 しかしはたと思い当たり、再びカカシを睨む。

「…先生、ナルトがいないからって、先生までそんなこと言わなくていいのよ」
「あんみつおごってあげるよ」






「…行く」

 女の子を落とすことなど、容易いものだ。



















 甘味処に精通していなかったカカシは、サクラに先導されるままに木の葉茶通りの一軒の茶屋に入った。

「しっかしサクラも懲りずに追いかけるよねぇ」
「えー? 先生、何か頼む?」

 空いている席を見つけ、2人で向かい合って座る。
 サクラが店員を呼び、自分のためのあんみつと、何もいらないと首を振ったカカシの分も合わせて2杯のお茶を一緒に頼んだ。お気に入りの店なのと言っていたが、実際よく来るのだろう。一連の所作の慣れたような様子から見て取れた。

「サスケ君のこと?」
「そー」

 手際のよさに感心していると、さきほど流されたと思っていた会話にいきなり引き戻される。

「だって初恋よ?ずっと好きだったの!」
「へーえ?」
「かっこいいし何でもそつなくこなすし!他の男の子たちとは全然違うもの」

 興味なさ気にカカシがフーンと鼻であしらう。確かにカカシから見ても、歳の割には端正な顔立ちはしているし、早くも頭角を現してきたなと思う。そういう意味では明らかに周囲から浮いた存在ではある。
 けれど。

「でもさぁ?それってみんなが素敵ステキって言うから流されて、好きだと思ってるだけなんじゃない?」
「…」

 サスケはくの一のアイドルらしい。班編成を行い、サスケのいるこの第7班に配属されたサクラはそれは喜んでいたし、一方でやっかみもひどかったのだと聞かされた。
 なんにせよ、純粋に忍を目指すには邪魔な感情に違いない。

「違う、もん」

 サクラは言いよどみながら、うつむいてしまった。
 言葉では否定しながらも、これではまるきりカカシの言葉を肯定したようなものだ。

「…別にサスケを諦めろなんて言うんじゃないよ。任務に支障をきたさなければ、俺が口出しする問題じゃない」
「ううん、…やっぱりわたしが足引っ張ってるのは本当だし」

 顔を伏せたまま、そうつぶやくサクラを見ていると、まるで自分が悪かったような気になってくる。
 真摯な態度はむしろ感心できる。第7班において、唯一普通の女の子であるサクラ。それでなくとも男女の体力差は致し方ない問題であるし、それに加え他のふたりの特殊な状況を考えれば、差が出てしまうのも仕方ないのだ。

 カカシはふぅと息を吐き出すと、ゆっくりと口を開いた。

「あのねー、サクラっちゃん。これまでうちの班が任務に失敗したことはないデショ」
「でも…」
「足りないところを補い合う、それもチームワーク、よ。サクラのココがあのやんちゃ共を助けることだって、この先たくさん出てくるんだろうから。そんなこと言わなーいの」

 トントン、とこめかみのあたりを指で指しつつ、にっこりと笑いかける。
 実際サクラの知識は下忍のなかでは群を抜いていたし、ペーパーテストで常に満点あるいは限りなく満点に近い得点しか取ったことがないという秀才ぶりは噂にも上っていた。
 実践の経験が乏しいのは下忍になりたてなのだから仕方がない。努力しだいで、どうにでも延ばす事のできる若い忍。多くの可能性を秘めた素材。

 サクラは優しい声に促されるようにゆっくりと顔を上げて、カカシの目を見つめてくる。どういう思惑があるのかを探ってくるような慎重な様子で。
 しかし顔の大部分を隠されたカカシから伺えた感情は乏しかった。果たしてどう受け取るべきかと判断しかねているのがカカシにも見て取れたので、内心では信用ないなぁと悲しくなりつつ、言葉を継ぎ足す。

「ちなみにこれ、フォローでもなんでもないからね」

 ようやく晴れやかな笑顔を見せてくれた。 
 こんな顔を見せられては、きっとどんな不機嫌なときでも、つられて笑顔になってしまうだろう、屈託のない笑顔だった。


「ん。やっぱサクラはそうやって笑っててくれなきゃ」

 テーブルの上で組んでいた手を伸ばすと、いつものようにサクラの頭にぽんぽんと手を置いてやる。

「今だって7班はサクラに随分と助けられてるんだけどね」
「…またそんなこと」
「あのやんちゃ共をまとめてくれてるでしょー。俺の言うこと気かないくせに、サクラの一声でおとなしくなるんだから。ゲンキンなやつらだよなぁ」

 きっとサクラは自覚してないけどと言いながら、サクラの頭から手を引っ込める。
 そのときサクラがなんとなく名残惜しいと感じていたことにはカカシは気づかなかったし、

「サクラが笑ってみんなの間に入ってくれるから、きっと安心して好き勝手できるんだね」

 何の気なしに言ったその言葉で、サクラがなぜ赤くなってうつむいたのかも、カカシにはわかりえなかった。

 再び下を向いてしまったサクラになんと声を掛けようかと考えあぐねていると、タイミングよくあんみつとお茶が運ばれてきた。
 すぐさまサクラは顔を上げ、みるみるうちに笑顔になる。

 女の子だからか、子供だからか。ゲンキンなのはやんちゃ坊主だけではないことに、思わずカカシも苦笑いを浮かべた。

 サクラは行儀よく「いただきます」と手を合わせてからスプーンを握った。一口一口をゆっくり運びながら、そのたびに今生の幸せとばかりに笑顔をこぼす。たかだかあんみつ一杯でここまで喜んでもらえるなら、ねだられるままにおかわりを頼んでやるたくなるような。


「ねえ先生」
「うん?」

 自らも茶をすすりながら、いちいちサクラの仕草に見入っていると、ふいにスプーンを動かす手が止まった。

「サスケくんは天才よ。だけどその陰でたくさん努力してるってってこと、知ってる人って少ないのよ」

 ちょうどカカシが顔布を引き上げた絶妙なタイミングで、サクラが向かい合うカカシを見上げた。

「わたしね、昔見ちゃったんだ。特訓の合間に、サスケくんが吐いてるところ」

 理知的な翡翠色の瞳は、一度とらえたカカシの瞳をぐいと引き込んだ。
 そのまなざしは、わずか12歳の少女ができるような表情とは思えないほど、大人びたもので。

「わたしはね先生、そうやって誰も知らないところでなりふり構わず頑張ってるサスケくんを見て、きっと惹かれたんだと思う」
「…」
「昔は全部がまるでだめだったわたしも、頑張ればきっと身になるって、前向きになれたの」

 再び視線を落としたサクラだったが、その表情は慈愛に満ちていた。

「だからそんな、わたしにとって特別なサスケくんに、褒めてもらいたかったのかもしれない」


 妙な気分になった。
 これに似た感情を、ずいぶんと昔に味わったことがあるような気がした。

 サクラにこんな顔をさせるサスケに対して、あるいはサスケをひたむきに想うサクラにか。

(…っておいおい、なにそれ。俺が?こんな子供に?)

 嫉妬だなんて。


「…そっか」

 だけれど話を聞く限り、サクラのそれは恋というよりは憧憬のように思われたが、特に言及はしなかった。
 まだ幼いサクラがその感情に気付くのは、きっともう少し先のことだろう。

「でもね、先生」

 あのねと呼びかけられて、ようやく自分が目を伏せていたことに気付いた。

「さっき先生に褒められて、わたしすっごく嬉しかった!」


 驕りではないと思う。
 あんみつを食べるときよりも、サスケを想うときよりも。

 目を見張るほど、まぶしい笑顔だった。











「先生、今日はありがとうね。ごちそーさま!」
「イエイエ、どーいたしましてー」

 会計を済ませて茶屋を出ると、その後ろからサクラがひょこひょことついてくる。
 結局はたわいない話ばかりでその時間を過ごしてしまったように思う。たしなめるどころか、丸め込まれてしまったような気さえするが、まぁそれはそれでとカカシは呑気に笑いかけた。
 
「うちまで送ろうか?」
「ううん、平気。これからアカデミーに寄るつもりだったし」
「え、今から!?」

 まだ夜と言うには早い時間だったが、これから何かを始めるには中途半端な夕刻。
 図書館に行くにしてもじきに閉館だろう。

「修行よ修行! ただでさえみんなの足引っ張ってるんだから、基礎トレくらいきちんと毎日やらなきゃ」

 男女の体力差は埋まらない。それでなくとも、特殊な2人の少年に、体力面に問題のあるサクラ。元々の土台が違う。
 とはいえ、どんどん成長していく2人を、黙って見ている大人しい女の子ではなかったのだ。

(もともと説教なんて必要なかったのね)

 確かに生傷の耐えない子だと思っていた。普段の任務はさほど厳しくもないのに、一体どこでと不思議だったのだが、そういうことか。

 健気なサクラに、カカシはいっそう深い笑みをたたえる。どうしてこうもサクラにかかると、笑顔ばかりがぽろぽろこぼれてしまうのだろう。感情を露にしないための仮面も、こんなわかりやすいニヤケ面では、まるで意味を成さない。 


「なぁサクラ」
「なーに?」
「今度トレーニングメニュー作ろうか?専用の」
「本当!?」

 やっぱりきらきらとした笑顔を惜しげもなく振りまくサクラに、いつまでもこの笑顔をそばで見守っていたいと、カカシはぼんやりと思うのだった。










(…なに、今の)

 まだ日も昇っていない時刻。眠りについてまだ2、3時間も経っていないかもしれない。
 だけれどいやにはっきりとした意識で覚醒したカカシは、ぼうっと薄暗い部屋の天井を眺めた。

 夢を見た。でもそれは確かな記憶。
 12歳のサクラと、7班として活動をしていて。
 そうだ、それからよくふたりで甘味処で世間話したり、ナルトやサスケには内緒の修行に付き合ったり…。

(ばかじゃないのか)

 サクラが赴くという任務の内容を知ったときひどく動揺したのは、教え子がどうこうという感情のレベルでは片付けられない気持ちも混じっていた。確実に。
 まだサクラには早過ぎないかとか、あいつにうまくできるのかとか、そういった心配よりも多くを占めていた気持ちが今ならはっきりとわかる。嫌悪感だ。


 今までこんなに近くで、こんなに大切に見守っていた。
 そばにいて見守ってやりたいとはっきり思ったその気持ちは、いつの間に上司としてのそれを超えていたのだろう。

 サクラに誰かが触れるなど。

「ばかじゃないのか」

 声に出してみると本当にばかばかしく。
 両手で顔を覆うと、目じりのあたりがじんわりと湿り始めた。




(20061226up)
連載?ようやっと終了です。実はお題を借りたときに一気に書いてしまったんですが、変に小出しにしてしまったのでこんなことに。
一応言い訳をさせていただくと、序盤でサクラちゃんカカシてんていそれぞれの視点を書いていたものの、途中から完全にサクラ目線になってしまいまして、直そうとも思ったんですが、ラストにこの話がくるしなぁと思って。まぁ先生にも少しくらいの自覚があってもいいんじゃね?程度にぬるくご覧ください。
本当は夢でした☆の部分はなく、完全に12歳サクラとカカシとの話で、別に続き物にするつもりもなかったんですが、いっそ強引に続けてみました。お付き合いどうもですー。お疲れ様でした。