まったくおかしい。
 一鍬は、自分の身に起こった異変について考えていた。


 あの一件以来、どうしても七海を見るたびに胸が締め付けられる想いは消えない。
 …なぜだろう、チューピッドも倒し術はとっくに解けたはずなのに。

 さすがにあの時ほど激しく熱くはないが、しかしこの心に在るどう処理したらいいかわからない気持ちは決してあの時と変わりはしない。

 七海に握られた左手を見つめる。
 きゅっと握られたときほんのり温かく、初めて女の手に触れたのだが悪い気はしなかった(と言うよりもっとずっと触れていたかった)。


 むねがくるしい。
 重苦しいため息ばかりがこぼれ出す。





「どうした、一鍬」
 なんだかここ最近で妙に色っぽくなってしまった弟を見かねて、兄・一甲は声をかけた。
 原因は聞かずとも本当のところわかっていたのだが…、それなりに弟の真意を確かめておきたかったと言うのが実のところ。
「兄者…、俺はもうどうしたらいいのか…。七海のことを考えると激しく動悸がして、その姿を見るだけでもう胸が痛く、苦しくなるんだ…」
 案の定と言うか、一鍬は頬を軽く赤く染め、熱っぽく語るその瞳は潤んでいた。
 我が弟ながら情けない、思わずつられたように出そうになったため息を飲み込み、弱気な肩にぽんと手を置いた。
「一鍬、お前は七海に恋をしている」
「こ、い…!?」
「ああ、恋だ」
「…ああ、兄者、これが恋と言うもの…!」
 妙に納得しながら、一鍬は肩に置かれた兄の手をとり、ぎゅうと握った。
 突然のことに一甲はぎょっとしたが、弟の瞳はもはや恋におぼれた情けない男の目ではなくなっていた。
「ありがとう兄者! …、」
「どうした?」
「…いいや(やはり七海に手を握られたほうが良いな)」
「そうか。もう大丈夫か?」
「ああ。…しかし兄者」
「なんだ?」

「…恋と言うのはわかったのだが、どうしたらこの動悸や苦しみはおさまるのだ?」



 …どうしたら、だと?



「…兄者?」
 生憎一甲は、その術に関する答えを持ち合わせていなかった。
 弟の、「兄者に聞けばなんでもわかるはず」と言う期待のまなざしが、痛い。



「お…、お前が恋をしているのは七海なのだ。俺ではなく七海に聞くのが妥当であろう」
「…そうか! さすが兄者!」
 さすがに誤魔化しきれないかと不安になったが、心配しただけ無駄であった。我が弟よ、信頼はありがたいが少しは疑え。
 ありがとう、ともう1度丁寧に礼を言った後、生真面目すぎる性格のその弟は、兄の言ったことを実行すべく、真っ直ぐに想い人の元へと向かっていった。


 すまない、と、誰にも聞こえようなつぶやきをひとつ、こぼした。




あたしは霞兄弟のことをなんだと思ってるんだろうか。