15歳。今年4月、高校に進学した。自慢ではないが、府内でも有数の進学校である。
 このところ、制服とスーツを交互に着用する日々が続いている。手合いがよく入る水曜日の時間割は、いまだに覚えられない。
 ネクタイの結び方がずいぶんうまくなった、と鏡を見ながら苦笑する。

 親の条件であった高校進学。果たせることを見せ付けるためと受験勉強に打ち込んだ。だがそれ以上に、高校の授業がしんどいのが誤算だった。
 すべてを完璧に遂げて見せ付けて、認めさせようという算段は、入学1ヶ月で早くも崩れ落ちそうだった。

 あまりにも、あまりにも忙しすぎる。周囲からは面白半分にスーパー高校生などと揶揄される。
 それでも囲碁の道を選んだ以上仕方のないことだとは割り切ったはずなのだけれど。


(はー)


 今は高校生。にらめっこしていた数学の参考書を置いて、大げさにため息。
 結果を見せ付けるつもりではいるのだが、すでに息子の涙ぐましい努力をひそかに認めてくれていやしないかと期待したりもして、改める。
 それではやはりだめなのだ。

 ふと、手元に置いていた携帯電話に目をやった。
 時間は22時。子供じゃあるまいし、もう寝ているなんてことはないと思うが。
 電話が苦手だ。というか、電話をかけるタイミングをはかることが苦手だ。
 そう告白したら、じゃあ気にしないでかけるから出たいときに出てねと気を遣われた。情けないことに。
 だけれど大概、声を聞きたいときが電話の掛かってくるタイミングだったりして。

 だから、ほら。

『もしもーし』
「おう、」
『勉強中?』
「そろそろかかってくると思っとったわ」

 だから今度は、声が聞きたいと思ったときに電話をするから。
 背中を反らして伸びをする。わからないものは何十分頭を抱えていてもわからない。

「もう高校生しんどいわー…」
 中学のときには得意とまで思っていた数学が嫌いになりそうで。
『自分でかっこつけてハードル上げたくせに。弱音吐いてんじゃないわよ』
「キッツいなー…。自分、慰めの言葉知らんの?」
 男は案外、弱いところにつけこまれたいものなのだ。
『うそうそ。頑張ってるの知ってるよ』
 だからこのひとことであっさりと立ち直る。

「ありがとうな。あ、…あすみ」
『うん? なによ、まだ名前呼ぶのも照れてるの?』
「やかましいわ」
『コッチまで照れるからやめてちょーだい。やっしー』
「…その呼び方はやめ、どこぞの県知事思い出すわ」

 とりとめもないことをぽつぽつと。顔を合わせることこそないけれど、毎日のように電話はしている。話題などそうあるわけでもないけれど。

『…ねえ』

 急に、電話の向こうの声が神妙な態度になったのを感じた。

『今度、勉強教えたげよっか。これでも一応、3年ほど年食ってるわけなんだけど』
「なんやねん急に」

 普段の彼女からしたら、随分と歯切れの悪い物言いで。

『なんていうか、あんまりワガママは言いたくないのね。けど、一緒にいたいとゆーか』
「それ、じゅうぶんワガママちゃうんか…」

 それを言われてしまったら、必死こいてこらえて頑張って我慢しているこっちの立場は。
 でも結局伝えきれず、電話の向こうでは、じゃあ思い切ってワガママを言いますけどね、と付け加える。

『やしろきよはるくんの16歳の誕生日を祝いたいわけです。わたくし』
「…誕生日!」

 はじめて気がついた、くらいの。
 カレンダーを見た。手帳は毎日のように眺めているのに、淡々と日付しか追っていなかった。
 こういうことって本当にあるんやな、ドラマとかでよく言うけど。アホかと思っていたけど、案外するっと通り過ぎるもんなんや。

「…5月、付き合えんで悪かったな」
『なんで?すぐに祝ってもらったじゃない』
「…あんときもこっち来てもらったやないか」
『なによ、会いたいんだからそんくらいするわよ』

(会いたい、か)

 きっと自分と彼女との違いはそういうところだ。

 物分りのいいふりをしていた。面倒に思われるのが嫌だったから。
 もちろんそんなすべてもお見通しだったわけだが。

 だけれどこのままでは、きっとそんな態度が面倒に思われそうだ。
 いつまでも何も知らないふりでは許されないのだ。

「…さすがに当日は無理やけど、その週の金曜にそっちで手合いがある」
『ほんと?』
「授業終わったらすぐ出て、ホテル、とれれば一泊する」
『ホテル、いるかな』
「…」
『あはははは、まぁまぁ、そこはおいおい』

 そのへんの話題に触れられるのはめっぽう弱いので、勘弁願いたい。

『だから、一石二鳥でしょ。勉強教えたげるし、もちろん余計なことは言わないし。頑張ってる間は」
「頑張ってる間は?」
『そ。終わったらあんた覚えてなさいよ』

 一体何が待っているのか、と思わず苦笑い。
 そばにいたらいたで、絶対的に勉強などに集中できるはずはないのだ。


 そうやって今日も電話の向こうの気取らない声が、明日を頑張る力をくれるから。
 スーパー高校生は、明日も高みを目指す。
(20090306)