「悪ぃ…」

 わかっている、みなまで言うな。
 きっと彼は今、少し左に目を逸らしながら、無理やり言葉をひねり出しているに違いない。言いづらそうな話題を持ち出すときの、和谷の癖だ。

 ああ、彼はなんて嘘をつくのがへたなひと。
 ばか正直にまっすぐに、すべてをぶつけてくるひとだから。

 いつだってそうだ。お互いいくつ歳を重ねても、出逢ったときとまったく変わらず。


 もちろん最初は、わけもなく約束をドタキャンされることにいらついたりもしたけれど、そこはお互い同じ道を行くものである。しだいに、聞かずとも理解した。和谷は負けたのだ。
 笑えないから会いたくない、とはまったく和谷らしいと思うのだけれど。


(あのねぇ…)

 昨日の対局の結果は、同じ日に同じ会場で手合いのあった伊角から結果は聞いていた。
 だからなんとなく予測は出来ていたものの、それでもそれなりにめかしこんでみたりして、楽しみに待っていたりしたのだけれど。

 悪いとだけ告げて、こちらの返事を聞くでもなく切られた電話。いつまでもうるさくツーツー鳴っているそれを切れたのは、たっぷりとゆっくりとため息をついてからだった。


 いつもなら、ひとりにしてやることが比較的多いのだけれど。
 今日は無理にでも顔を見ないでは気がすまなそうだった。
 なにせ、もう3ヶ月は顔を見ていない。互いのスケジュールが合わないのと、今日のようなことが続いたのと。なにせ今、和谷は絶不調のようなのだ。

 だけれど仮にも彼女と言うポジションを気取る奈瀬にとっては、それこそが不満で仕方がない。
 ひとりになりたい気持ちもわかる。ひとりで全部背負い込んで、とことん落ち込む。回りに迷惑をかけず、まったく真摯の極みである。
 笑える余裕がないから会えない。気を遣ってくれるのねー、などと喜べる余裕ももはやない。 

(どーしてその他大勢とあたしとを同じ位置付けにするわけよ!)

 そのくせ伊角あたりにはきっちり相談しているのだろうから、余計に腹が立つ!
 自分にこそ告げてほしいと思うのは、決してわがままではないと思う!!




 もちろん和谷は自宅に引きこもっている(これでもし本当に伊角にでも会いに行っていようものなら、一度身体でわからせるしか方法はないという覚悟である)。
 合鍵は渡されていたが、あえて古ぼけたドアを三度ノックする。

 たっぷりと時間をかけて開けられたドアの向こうには、驚きと、隠し切れない疲れがはっきりと見て取れる顔の、和谷。
 きっと何を言おうか決めかねているのだろう。いつだってばか正直にまっすぐに、すべてをぶつけてくる和谷。例え思う気持ちが伝えづらいものであっても言葉にするつもりなのだ。少し、左に目を逸らしながら。

「あの、」
「何も言わないで」

 明らかに歓迎ムードではないその胸に、だけれど無理やり飛びついた。
 きっととても困っているだろうことはわかっていたが、後ろ手に玄関のドアを閉められたことを確認して、奈瀬はそのまましがみついていた。


「ばかね…」

 抗議とも愛情ともとれるつぶやきが、和谷の胸にしみこんでいった。


(061013初出/5周年記念企画)