「奈瀬がフラれたって」
「…は?」
思わず耳を疑った。奈瀬が?あの奈瀬が。
「飯島から聞いたんだけどさ」
「飯島さん?」
「あいつなんだか嬉しそうだったな。結局口は割らなかったけど、あいつ奈瀬のこと好きなんだろうなぁ」
「…あぁそう」
ニヤニヤと話す伊角の真意に、なんとなく気づいてしまった。
ああ、きっとこの様子じゃばれてる。
「なぁ和谷、」
「…なんだよ」
「奈瀬、フられたんだってよ」
「…聞いたよ」
「あぁやっぱり奈瀬は、だよなぁ。俺らと違ってちゃんと外部に開けてるというか…」
「俺、別に自分が引きこもりとは思ってないけど」
「院生研修サボって付き合ってたんだって」
「…あのさぁ、何が言いたいの?」
「それじゃあ何を言わせたい?」
「…」
返すことばが一切思いつかない。
「飯島、嬉しそうだったぞ」
「それも聞いた」
「あいつそろそろ院生やめんだってさ」
「え!? 飯島さんが!?」
「そ。もう奈瀬とも会わなくなるからさ、」
気づけよ、という合図を送られる前に、その暗に秘められた意図をつかんでいた。
要は敵は、玉砕覚悟でかかってくることもありうるわけだと。
「奈瀬、誰にでも同じようにしてたからなぁ。今仲良くしてるのだってきっと飯島とかあのあたりだろうし、なかなか会わなくなった俺たちなんてもう眼中にないかもな」
どうしてそうやっていちいちたきつけて来るのか。
ほうっておいてはくれないのか。
なんだかいらいらして、相変わらずニヤニヤ笑っている伊角から離れようと、その部屋を出た。
今日は森下師匠の研究会の日。
それがたまたま院生研修の日と重なって、だから伊角がいちいちつっこんでくるのだ。
(おせっかい…、)
なんとなく、入りなれた部屋の前に立っていた。
院生研修で使われている部屋だ。
今この部屋の中では院生たちが…、奈瀬が、午後の対局に励んでいることだろう。
(…今更なぁー)
伊角の言うとおり、会う時間が少なくなったのはとてつもなく不利だと思う。
それでなくとも元々飯島と奈瀬は仲がよかったし、友達から恋人に発展するのはそう難しいことではないと思う。
しかも最後に自分が奈瀬と会ったのはいつだったか、最近では電話もメールもご無沙汰である。
それで突然、いくらなんでも…。
うだうだ悩んでいると、目の前の扉が開いて、続々と院生たちが出てくる。
(やば、)
そう思って急いで伊角の元へ戻ろうかというときだった。
「うわぁ、和谷じゃん!」
「こ…みや、」
「久しぶりだな、手合いか何かか?」
「ああいや、今日は研究会…、」
小宮とは和谷がプロ入りを果たして以来の再開だった。
もちろんこうして話せるのは嬉しいし、本当ならもっと嬉しそうな顔をしたい。
…のだが。
ああ、とうとう。
小宮の背中越しに、例の相手の声が聞こえてきた。
「あぁ、奈瀬、和谷来てるぞ」
「和谷が?」
声を聞くのも久しぶりだった。
「わー、プロ棋士サマがなぁに? あたしたちに碁を教えにでも来てくれたのかしらぁー?」
「…おっまえ、そういうかわいくねーのやめろって。だからフラれんだよ!」
「…うん?」
なんだって、と奈瀬がものすごい顔で近寄ってきた。
「なんだ奈瀬、彼氏いたのか」
「ちーがーうーわーよー、飯島くんね!? まったく一度限りのお遊びをそんな大げさに…」
「あ、もしかして先週サボったのってそれ?」
「まったくさー、友達の彼の友達ってのと遊んでみたはいいものの…、やっぱ日曜遊べないっていうのはかなり手痛いのよねぇ」
「何、相手どうだったの」
「そこそこ」
「うわ、手厳しい」
小宮と奈瀬の会話に口をはさめずに、ぼんやりとその会話を流しながら奈瀬を見ていた。
…大げさに変わっているわけではないが。
なんだかそれでも、惚れた弱みとでも言うのか、しばらく会わない間にこう、なんていうか…。
「ちょっと和谷も、聞いてるの!?」
「え? いや、なんだって?」
「土日以外ならいつでも暇だからさぁー…、誰かいない?寛大な男の子」
「アハハハハ、そんなん院生くらいしかいねーんじゃねえの!? お前ぜってー彼氏とか無理!」
「うっさいなぁ! …あぁ、誰か唐突に次の試験でかわいい男の子とか入ってこないかしら…」
「それかプロとか?」
内心、どきっとした。
俺ではだめなんだろうか。そのせりふが頭から離れなくなって、口まで開きかけてしまった。
期待も、してしまった。冗談でもいいから、奈瀬の口から言ってくれないかと。
しかし奈瀬がそんなにかわいらしい答えをくれるはずもなく。
「あー、だったら冴木さんがいいなぁ!ねぇ見た?こないだあの人かっこいい車買ってたのよー。意外にしっかり蓄えはあるのよ」
「…お前のそういう意見ってすげえ聞くと胸が苦しくなる…」
「あら、あんたの彼女も腹の中じゃなーに考えてるかなんてわからないわよー」
「え。小宮って彼女いたのか」
「あぁ…まぁー、それなりに?」
「聞いてよ和谷ー、こいつちゃーっかり可愛い子仕留めてんのよ?卑怯だと思わないー?」
けらけらと笑った。人の気も知らないで。
そんなときに。
「いっそお前ら付き合っちゃえば?」
もしかしたらあまりに不機嫌な顔をしてしまっていたからかもしれない。小宮のことばは、あまりにも俺の望んだとおりのせりふだった。
奈瀬があっけに取られ黙る。…なんて空気だ。
「…いやぁ、ちょっとちょっと、あたしのこと見捨ててさっさとプロ入りしちゃうような人ですよこの人」
「あっのなー、だったらお前もさっさと上って来いっつうの!」
「とか言って、和谷クン案外まんざらでもなかったりしてっ」
「バッ…、小宮!!」
つかみかかろうと迫ったが、するりと交わされ、そのまま小宮は手をひらひらさせながら碁盤の片付けを手伝いに行ってしまった。
余計な空気だけ残していきやがってと、小宮の背中をにらみ付けるが振り向きもしない。
「…あのさぁ」
「…はい?」
奈瀬が和谷の隣にやって来て、壁に寄りかかった。
こんなに近くに奈瀬がいるのはどれくらいぶりだろうと、心拍数が上がったのがわかってなんだか恥ずかしい。
「和谷はどうなの?あんなこと言われてたけど、やっぱちゃっかり可愛い女の子とか引っ掛けたりしてんの?」
「んなことしねーよ」
「そう?」
せっかく久しぶりに、ふたりだけで話すことができると言うのに、なんでか、話題がひとつも出てこない。
院生時代、いつも何を話していたんだっけか?ちっとも思い出せない。
気の利いた話題をふろうなんて考えてもないのに、久しぶりに難しいことを考えている気がする。
というか、頭から離れない話題がひとつ、本当はここから離れた話題をふりたいのだが、沈黙に耐えるのがしんどくなってきた。
「…奈瀬は、」
「うん?」
「そうやって、よく遊んだりしてんの? その、友達の彼氏の友達とかと」
「あのねー、土日はずっと研修でしょ。こないだがはじめてよ。それにもういいの。院生やめたら彼氏なんていくらでも作れるんだし」
「…やめるのか?」
「ううん? だけどほら、やめなきゃいけないときってくるでしょ」
「…まぁな」
「和谷もさ、せっかく社会人になったんだからさ、それなりに遊んでおきなよ?」
大人びたしぐさにいちいちどきどきした。
こいつ、こんな顔して笑うやつだったか?
なんだか、いろんな想いが心の中で交錯する。
今言ってしまえば、どちらにせよ、楽にになれるんじゃないのか?
見込みないならいつ言ったって変わらないし、逆なら早いほうが。
どちらにせよ、誰かのものになってしまうのは、つらい。
「…あのさぁ、」
「なーに?」
「俺だったらわかるよ、ちゃんと。そりゃあ生活サイクルは違うけど、土日遊べないって言う理由はわかるから」
「…何よそれ」
「都合つけられるって話」
「…和谷?」
「俺は土日遊べない子だからって、フッたりしないよ、って話」
「…あのー、」
「俺は付き合えるよ?」
「…ちょっと、小宮の話鵜呑みにしないでよ、あれはじょうだん…」
「俺は奈瀬が好きなんだよ」
伊角に、小宮に触発されたからではない、と思いたい。
遠くに、飯島の視線を感じたからでもない、とも言い訳したい。
今伝えなければきっと後悔するだろうなと思ったから、という、判断で。
「…あのね、和谷」
「別に返事急かしたりしねえよ、驚かしてごめん」
「…いや、あのね」
「お前の気持ち落ち着いたらでいいからさ、」
早くこの場から逃げたかった。
なんでもいい、今日は研究会はさぼってしまおう。
心臓がばくばくして、とてもじゃないが人の話なんか耳に入らない。
本当に切羽詰っていて。
「ごめん、俺ちびりそうだから、あとでメールして…」
今となっては笑い話である。
だがあの時はとてもじゃないが極度の緊張状態で、奈瀬の顔を見ていることがもはやつらかった。
フラれるんじゃないかと。ずっとびくびくしながら。
まぁそれでもそれが笑えるのは、今こうしてどうどうと奈瀬と並んで歩けるようになったからなのだが。
(2003/08/03)
なんかすべてが中途半端になってしまった…。そんなに急ぐことないのにあたしは何を急いでるんだろう?
なんだか勿体無くてアップはしてみたものの、すぐ消すだろうなと思われる。なんかいろいろおかしい。
なんかなぁ、明らかに文章作るのが下手になった気がするよ。下手と言うか、低年齢化?
文章構成がどうとか、そういう話ではなくて、やっぱりもう以前数を書いてしまっているだけに、どうにも…。なんだ、マンネリか?
ああ、会話だけの文章書きたい…だったらぽんぽん出てくるのに!