無理、させたくなかった。
 好きだったから。


「さよなら、」

 できるだけの笑顔を。
 去り際に一瞬見えた、あかりの泣きそうな顔が、頭にこびりついて離れなかった。

 ふと、奈瀬に告白されたときのことを思い出した。






「―――あ」
「…伊角くん」

 昨晩まで降っていた雨のせいで、少し湿っているブランコを占領していた奈瀬は、声のしたほうを一瞬見て、バツが悪そうにまた視線を落とした。
 ああそういえばあの日以来ちゃんと会ってなかったな。伊角はそう思い、隣のブランコを指し、いい?と問う。

「どーぞ。イマドキの子供は公園なんかじゃ遊ばないのね」

 座る前に手を置いてみると、ひんやり少し嫌な感触。
 しかしなんだか、それすら懐かしいな、と伊角は思う。

 幼稚園…小学校まで?毎日のようにここで遊んでいた。和谷と、奈瀬と。
 今でも通学路にあるのだが、わざわざ寄るようなことは無くなった。…ほんとうに久しぶりだ。
 日が落ちた公園には、ふたりしかいなかった。

 ちら、と奈瀬の顔を盗み見ると、元気…ではなさそうだった。
 もしかして奈瀬も自分と同じ理由でここに来ているのだろうか?と思うと、なんだかおかしくて笑えた。

「なによ」
「いや?」
「…ねえ」
「うん?」
「…久しぶりだね」

 奈瀬の言う「久しぶり」が、具体的には何を示すのかはわからなかったが、伊角はぼんやりと、ああ、とだけ答えた。

「そういえば奈瀬、彼氏とはどうなんだ?」
「かれし…って言えたようなもんじゃなかったけど、とりあえずさっきサヨナラしてきた」
「え?」
「ま・しょーがないのよ。たぶんそういうんじゃなかったんだなって、思うし」
「…そうか」

 つとめて明るい口調にしようとしている奈瀬がなんだかいじらしかった。
 理解あるふりをしているが、その表情は言葉とうらはらだった。
 とはいえ、奈瀬のその表情の本当の意味は別のところにあるし、伊角がこれからそれを知ることも無いのだろうが。

「伊角くんこそどうなのよ、あーんなかわいい彼女ちゃっかり作って」
「…俺も」
「うん?」
「さっき別れてきたんだ。奈瀬といっしょだ」

 奈瀬は耳を疑った。別れた?
 ふたりでいるところは一瞬しか見ていないが、なんていうか、ふたりはとてもいい雰囲気で、見ているこっちが恥ずかしくなるような。とてもういういしい、中学生のようなカップルだった。
 別れる要素なんてひとつも見当たらなかったと思ったのだが(もちろん恋人なんて他人から見えないところで何を抱えているかなんてわからないものだけれど)。

「別れてきた…、って、伊角くんがふったの?」
「ふった…、うーん、そう言葉にしたのは俺だけど、たぶん言わなくてもきっと別れることにはなったと思うし」

 奈瀬は話の筋がつかめず、どういうこと?と身を乗り出して聞いてきた。
 あまり人からとやかく言われたくない問題ではあったが、奈瀬には自然に話せそうな気がした。似たような状況下から来る妙な仲間意識のようなものだろうか?

「申し訳なさそうにしてるんだ、なんていうか…」
「もしかして、好きな子、できたの?」
「…たぶんね」

 なんとなく話し方から、奈瀬には大方の予想がついた。
 おそらく言い出すことができなかったのだろう。切り出しづらい話題の上に、あんなおとなしそうな子では。

(…しかも相手が伊角くんじゃあ、)
 あたしだって言えないわよ、と奈瀬は小さくため息を吐いた。

 もちろん気持ちを押し込めて付き合い続けるほうがむしろ申し訳ないのだが、なんていうか、これは幼なじみだからとか、一度は惚れたものの弱みだとか、そういうわけではなく、なんだか。
 優しすぎるのだ。伊角が。たとえ恋人という関係でなくとも、このひとを自ら傷つけるようなことはできるならしたくない。そう思ってしまうほどに。

「なんていうか、辛そうだったからさ」

 何か、言わずにはいられなかった。

「…だからって、伊角くんはまだ好きなんでしょ?」

 伊角はうつむき、小さくうなずいた。

「…ばっかねえ、だったらでかい顔して彼氏やってたらいいのよ。嫌われたわけじゃないんだから」

 もちろん伊角にそれができないことを奈瀬は知っていたし、だからこんな結果になったわけで。
 それでも「そうだよなぁ」なんて理解あるふりして辛そうに笑うのを奈瀬は見ていられなかった。
(20051019up)