「うそ」

 三谷と別れてしばらく、曲がり角を曲がる。そしてそれはいきなりあかりの瞳の中に飛び込んできた。
 見慣れた、だけれど少し記憶より背が伸びた?あの、後姿。見間違うはずがない。

(ヒカルだ!)

 気づいて、胸が高鳴ったのはただ驚いたからではない。
 まるで一気にあのころの想いがこみあげてくるように。

 通いなれた通学路。だけれど今では駅に向かうため滅多に通らなくなってしまった道路。
 久しぶりに見るその風景と、当時よく見たあの後姿が重なって―――。


 でも。
 あのころと同じように、その肩を叩いて声をかけることができないでいるのは。
 胸の鼓動は高鳴ったけれど、同時に迎えたこの締め付けられる想いの理由は。

 ヒカルの、となりに。

(女の子…)


 あかりの頭に、ある日の言葉がまた聞こえてきた。伊角の友達の…、あの彼の言葉が再び蘇ってきたのだ。

(「相手進藤ってんだけど―――」)

 あのときの話は結局詳しくは追究しなかったから、状況すらよくわからなかったけれど、要は彼らの知り合いの女の子に彼氏が出来て、それが進藤なのだと言っていた。それは間違いない。
 進藤。その名前を聞いたときの直感は、やはり当たっていたのだ。


 そんなこともあってか。
 …覚悟は、できていたと思ったのだけれど。

 もう、隣を歩くのは、いつから自分ではなくなったんだろう。楽しげに笑うヒカルはあかりの知らない顔をしていた。
 見たくないのに、でも目が離せない。並んで歩く女の子はすらっとしていて、ヒカルとほとんど背丈は変わらない。明るい色の髪が風に揺れてきれいだった。


 後悔、するのはもう遅い。
 何度も何度も後悔はしたのだ。今までに。じゅうぶんなくらいに。
 なのに今更。いまさら、また。心の中で繰り返した思いがめぐってくる。
 なんで、この気持ちを、あのときに伝えることができなかったのだろう。

 泣きそうになりながら、どんどん先へ行ってしまうその背中を、引き返す事もできずにただ見つめて。
 だからあなたも、振り返らないで。今のわたしを見られたくない。
 




「悪い、奈瀬。ちょっと」

 いつのまにかほどけてしまっていた靴紐に気がついてしゃがみこんだ。

「荷物持ってようか」
「や、いーよ平気」

 奈瀬の申し出を断ると、踏みつけてしまっていた靴紐をさっさと結び直す。さて行こうかとかばんを拾って立ち上がったところで、横目に近づいてくる人影を見た。



「あれ、あかり?」



 声を、かけられてしまった。
 はとして顔を上げると、ヒカルとともに隣を歩いていた女の子までもが振り返り、不思議そうにこちらを見つめている。

 気づかれないようにと俯いたまま歩いていたら、いつのまにか追いついてしまったことに気づかなかったのだ。
 

「進藤?」
「ああ、幼なじみのあかり。中学まで一緒だったんだ」

 へぇ、と言いながら向けられた笑顔はとても好意的だったのに、あかりはうまく笑うことが出来なかった。胸が、痛む。

「あたし、じゃあここまででいいよ。駅までの道覚えてるし」
「そうか? 悪いな」

 じゃあね、と手をひらひらさせながら行ってしまった彼女になんとなく軽く会釈だけすると、見送るヒカルに向かって遠慮がちにあかりが声をかけた。

「…か、のじょ?」
「んー、…多分? そうだと思うけど」
「なに、それ」

 笑ったつもりだったのに、やっとのことでしぼりだせた声はかすれてしまっていた。
 しかし特にヒカルに気にした様子はなく、まぁそんなもんだろうとあかりを振り返りながらへらへら笑っていた。
 そんなものって。そんな付き合い方もするのか、なんて。ぼんやりと会わなかったぶんの距離を感じながら。

 今日やっとはじめて、正面からヒカルの顔を見た気がした。


「お前こそどーなんだよ」
「え? わたし?」

 急に話を振られて、思わず詰まってしまった。
 そこで、はじめて気がついたのだ。

 自分には伊角がいると言うのに。なんでこんなに胸が苦しくなるのか。
 好きで、それで付き合い始めて。それなりにデートもして。楽しくやっているのに。

「なんだよ、別に俺に隠すことねーだろ?」
「…いいでしょ、別に」

 まぁいいけどとこぼしてから、とりあえず行こうかと促された。こうしてこの道をふたりで肩を並べて歩くのはいつ以来だろう。中学時代も、さすがに最後のほうには学校で顔を合わすことすら少なくなってしまっていたっけ。

 なぜ素直に伊角の存在を告げることができなかったのだろう。
 ヒカルの言うとおり、隠すことなんて、ないのだ。なにも後ろめたいことはない。ちゃんと付き合っている相手のことなのだから。

 ただ、あかりにはわかっていた。
 後ろめたいのは、伊角と付き合っていることではない。伊角と付き合っているのに、こうしてヒカルを前に動揺している自分のほうで。
 しかし認めてしまえば深みにはまりそうで、まるでもやもやとする想いを押し込めるように、あかりが無理に明るく切り出した。

「それにしても、今日は懐かしい顔をよく見るなぁ」
「よく?」
「さっき、三谷くんにばったり会ったの」

 合わなかった時間を埋めるのは、幼なじみと言えども容易ではないように思う。
 いや、他のめんどうさえなければ違ったのかもしれない。本当にただの幼なじみであったのなら。
 わざわざ無難な話題から切り出しているあたり、まるで勇気がないことを示しているようで。
 
 お互い微妙な距離を保ち、心のうちを明かし切らぬ状態のままで言葉を交わしあい、やがてあかりの家の近くまでやってきた。ヒカルの家はもう少し路地を歩いたところにある。

「じゃあ、わたし、そろそろ…」
「ん? ああ、」

 最後ににこりと笑顔をつくると、じゃあねと軽い別れの言葉とともに、背を向けた。
 またね、とは言えなかった。

「なぁ、あかり」

 歩みだしかけた足を止め、なぁにと言ってもう一度振り返った。もうすぐ消え入りそうなオレンジ色が、ヒカルの背中に見えた。


「おまえ、三谷と付き合ってたって本当?」


 言葉が出てこなかったのは。
 夕陽がまぶしく見えた、せい。


「…違うよ」
「そうなのか?」

 どういう意味で、と。聞こうとした唇はそのまま閉じてしまった。
 かわりにもう一度笑顔を作る。

「じゃあね、」
「おう、またな」


 …また。

 自分から背を向ける代わりに、去っていくヒカルの後姿を見送る。
 またね、とは言えなかった。言える筈がなかった。

 咄嗟に三谷の顔が脳裏を掠めた。
 もしかしたら今ごろ、誰よりも自分と同じ気持ちでいるのは彼なのかもしれない。



(20041002)
(20051017微改定)
今思ったけど、進藤書くのはじめてじゃないか…??
あかりちゃんとか探り探りやってたんだけど(でも結局別物)、進藤はいくらやってもどこの引き出しにもいないよ…!碁に出会って3年…くらい?にして今更か。
しかもなんかいろいろ矛盾が見えるけど見えないフリをして!

塚、なんなの、このしょうじょまんがは!!!ギャーたのCーーー!(こうして悪ノリが始まる)
そして前半で力尽きてるのが丸わかりで笑える(失笑)。