「はいもしもーし?…え、食パン?じゃあ、わたしの好きなメーカーの買ってくよ。…えー、だってそれなんか薬品っぽい味しない?…とにかく、買って帰るね。ばいばい」

 駅の改札をくぐるのとほぼ同時に、携帯に電話があった。家からの着信。
 母はこうやって、帰りの時間を見計らっては、買い物し忘れたパンや牛乳を買ってきてと電話をかけてくる。それはそれで構わないのだが、なんだか最近妙にいいタイミングでかかってくることが多いのは、もしかして電車の時間を覚えでもしたからなのだろうか?

 とりあえず携帯電話をカバンにしまってしまうと、駅の目の前にある大手スーパーへと向かった。
 


 1階の食料品売り場の、レジ側に面したパンのコーナーから自分の好みの食パンを選び出す。きっちり賞味期限もチェックし、棚の奥の方からなるべく日付の遠いものを手に取る。
 それから少し混みだしたレジを通り抜けると、食パンを入れられたスーパーのビニール袋を下げ、家路につく。



(あったかくなってきたな…)


 顔を上げ、やわらかな夕日に目を細める。

 家から駅までは歩いてもせいぜい10分程度の距離なので、あかりはたいていは歩いて通っている。寝坊して電車の時間に遅れそうになったときには、必死に自転車のペダルをこぐことはあるが。
 舗装された道の両脇にきれいに咲いていた桜も散り始め、足元にはピンク色の花びらのじゅうたんができあがっていた。思わず頬を緩ませ、足元を見ながら歩いていると、ふと人の気配を感じて顔を上げた。
 危うく向かって歩いてくる人とぶつかってしまうところだった。慌てて車道側に避けて、なんとなくすれ違う人を目で追っていると、その肩越しに見覚えのある後姿が確認できた。
 ショーウィンドーをじいと眺めているあのくせっ毛は、確か…。


「…あの、」
「?」
「みたに、くん、よね?」

 すっかり商品に集中していた視線を持ち上げると、ガラスに映った自分の脇に小さく、懐かしい顔が見えた。

「…藤崎、」
「久しぶりだね!元気?」

 わかってはいてもはっきりとした確証がないからか、ちょっとだけ不安そうにガラスに写った自分を見つめる表情が目に入ったから、三谷はゆっくりと振り返る。名前を呼ぶのに少しだけためらったのは、少しばかりのばつの悪さも感じていたからで。
 逆にあかりはそれで安心して、小走りで駆け寄りにっこりと笑った。三谷のほうは変わらず仏頂面だったが、それこそがむしろ中学時代の懐かしい顔であったので、あかりはまたなんとなくほっとするのだった。ああ、彼も変わっていないのだと。

 
「何してたの…あ、MD?」
 ウィンドウの中に飾られていたのは、シルバーのMDウォークマン。

「前の、壊れっちまったからな」

 YESの意味を含んだ答えは、とてもぶっきらぼうに返された。

「前のって、あの赤のかっこよかったやつ?」
「…よく覚えてるな」
「覚えてるよ、三谷くんいつも持ち歩いてたじゃない」

 いつも。
 いつも、見てた?

「もしかして、このまま帰る?」
「…まー、そのつもりだけど」
「よかったら、途中まで一緒に帰らない?」

 一瞬、何を考えているのかと口に出してしまいそうになった。
 しかしそうすることができなかったのは、やはりまだ自分の中に中学のころ抱いていた想いが、女々しい方向で残っているからか。

(…情けねー)

 まー、なんてひどく曖昧な答え方をしながら、思わず頭をかいてしまった。






「三谷くんは、みんなとおんなじ高校にいったんでしょ」
「進藤と、だろ」
「え?」
「…なんでもねえよ」

 すぐ隣を歩くあかりに気づかれない程度に、抱いた不満を少しこぼしてしまった。
 三谷の脳裏に、中学での想い出が甦る。苦いばかりで、忘れよう忘れようと思い続けた記憶。

(よくそんなニコニコと話し掛けてこれんだ?それとも記憶にも残んねーくらいどうでもよかったのかよ、俺のことなんか)


 卒業が近づいてきたころ、理科室でたまたまふたりきりになったことがある。
 遠くに聞こえるグラウンドの部活動の声と、ときどき廊下に響いてくる足音。
 気まずくなって、互いに話題を探して、それで―――。

   『すきだ』

 あのときの、驚いた後に見せた悲しげな瞳の色をまだ忘れられないでいる。
 …確かにあの場で言ってしまったのは、勢いであったことかもしれないけれど。

 それでも自分があかりに寄せていた想いは、あの一瞬の迷いではないと今でもはっきりと言える。
 進藤、の名前にやたらと過敏に反応してしまっている自分が悔しい。





「ねえ、また今度ゆっくり話そうね」

 分かれ道の前で、相変わらずにこにこと楽しげなあかりが、まっすぐ自分を見つめながら言ってきた。
 少し迷って、伏せ目がちにゆっくりと唇を開いた。

「…ああ」
「囲碁部も、いつかのぞきに行ってみようよ」

 さすがに答えることが出来ずに、口をつぐんだ。
 そんな三谷を見て少しだけ困ったように笑うと、もう一度しっかりと三谷の目を見つめなおした。

「うん、また、ね」


 また、だなんて。
 少なくとも自分からそのきっかけを作ることは、たぶん、ないだろうけれど。

 聞こえないくらいの小さな声で、じゃあなとだけつぶやいた。




(20040921)
ごめん、彼はいっつもMDを見ているイメージが(;´Д`)