「おー伊角さんじゃん」
「ああ、和谷」

 帰り道、見知った顔を見つけて、和谷は大きな声で呼び止める。
 しかし、そのままの勢いで駆け寄って行った伊角の隣には、見知らぬ顔があった。

「…って、え!?」
「ああ、いや…」
「か…のじょ? え、あ、…ええええ!?」
「…お前、それ失礼だって自覚持てよな」

 うしろでくすくすと笑い声が聞こえる。ああ、かわいい。とてもかわいい子だ、とぼんやり思った。よこしまな気持ちではなく。
 目が合い、会釈をされた。すると突然まぬけな自分が恥ずかしくなった。慌てて頷くような会釈を返す。

「どうしたんだよ、今日はひとりか?」
「おー、今日は小宮にも奈瀬にもフラれちった」

 俺って意外と人気ないのね、とわざとらしく肩を落としてみせた。
 しかし伊角には奈瀬、と言う響きが引っかかった。なんだか懐かしく聞こえた。あれ以来、顔も合わせていない。
 別にその話題が嫌なわけではなかったが、なんとなく避けていた。しかし和谷が振ってくる話題は構わずに奈瀬のことだった。

「そういや奈瀬、さっさと慰めてくれる彼氏見つけたらしいぞ」
「へえ?新しい出会いは見込めないとか言ってたけど?」
 そういえば、と一緒に帰ったあの日の会話をぼんやり思い出す。すると、和谷がすかさず眉を吊り上げつっこんでくる。
「ていうか、ふられたくせにとかは思わないわけ?一応当事者のくせに」
「…痛いとこつくな」

 言い返せないけど、と頬を掻く。
 奈瀬のことに関してはあくまでノーコメント。和谷のせいで奈瀬がひどい目に遭った、と言うのはこの和谷からよく聞いていた。さきほどまでは何の考えもなしに、と思っていたがそうでもないらしい。どちらの味方でもないだけだ。

「相手、進藤ってんだけど。伊角さん知らないよなー」

 それまで会話には入らず、端々だけを耳に入れていたあかりの耳が、急にその名前をクリアにとらえた。思わずどきっとした。聞き覚えのある、どころではない名前。
 つい口に出してしまっていたらしい。伊角がこちらを振り返ってくる。

「進藤…」
「え、どうかした?」
「え、ううん、なんでも…」

 慌てて取り繕う。特に不審には思われなかったのを確認すると、いまだ動揺したままの心臓の音を抑えようと必死になる。
 そう?と伊角は再び和谷に目をやると、和谷はまた何事もなかったように話を続けた。

「1年の頃からわりと仲良かったのは知ってたけど、まさか付き合うまでとは思わなくてびっくりしたぜ」
「でも、奈瀬が元気なら…うん、それでいいんじゃないかな」
「ふうん」

 あの日の奈瀬のうつむいた顔がまぶたに浮かんだ。和谷の真意はわかりかねたが、だがなんと思われようと心からの気持ちだった。
 昔馴染みの仲良しに悲しい思いをさせるのはやはり心苦しかった。自分にはどうしようもないことでも。

 どこか辛気臭いムードを察してか、和谷が頭の上で腕を組んでわざと大きな声で言った。

「そいじゃー、俺もお邪魔虫にはなりたくないんで」
「…よく言うよ」

 散々人の傷口えぐっといて、と思ったが言わなかった。いつもながら和谷には悪意がないからどうしても憎めない。
 そのままじゃあなと言って行ってしまった。結局今日は誰もつかまらずにひとりであのまま帰るのだろう。和谷の背中を見送ってから、視線をとなりのあかりに戻す。


「ごめんね、待たせちゃって。行こう」
「え、あ、はい」

 一瞬出足の遅れたあかりの手を、伊角がそっとにぎりしめる。隣を歩くときはいつだってそうだ。そのたびに気持ちがあたたかくなって、笑いながらたわいもない話をして…。

 だけれど今日のあかりは、頭のどこかでいつまでも和谷の声が聞こえていた。「相手進藤ってんだけど―――」。いつまでも。


(ううん、ちがう…進藤なんて、きっと別の、他の、だれか)


 だけれど心臓は、まだどきどきしている。












「…えー、」

 目が合うなり、何よりもまず先に不満タップリの声を出してやった。

「ちょっと、それどういう意味よ」
 ちょう失礼よ、とグーで額を小突かれた。

 伊角と別れてすぐだった。向かいから奈瀬が歩いてくるのが見えたのだ。久しぶりに一緒に帰ってやってもいいかななどと思っていたのに、せっかくこっちが思っていたのに、そんな好意をあっさり踏みにじってくれた、奈瀬が。

「お前、さっきはよくもこの俺をふってくれたな」
「残念。ガキと遊んでるより男遊びの方が楽しいと思ったのよ」
「へぇ?それで結局はふられてひとり?」

 コトは済んだの、ともう一度額を小突いてやった。
 実際のところ、最初に和谷をふった理由は、進藤ではなく女友達だったのだが。

「それよりあんたこそ、こんなところでどうしたのよ」

 すると突然思い出したようにきょろきょろし始めた。すぐに何かを見つけたようで、あれを見ろと言ったように指で示された。

「なあに?」
「あっちあっち。急がねーと紛れちまう」

 そう言われてめぼしいものを探そうと試みたが、そんな気合はどうやら無駄だったようだ。視線を合わせるなり一発で分かった。
 しかしそれにしても…と、のんきにニヤニヤ笑っている和谷を下からにらみつけた。

「…あんたね」
「なんだよ」
「…なんでもない」
「なんだよ、言いかけてやめんなよきもいな」

 こいつには言うだけムダだと、がっくり肩を落とした。

 仮にも傷心のわたしにだなんて。きっと言うだけムダなんだ。
 手と手ときゅっと握って幸せそうな1組のカップルを見かけたと言う報告を、わたしにしたかったというだけなんだと。

「しっかしスミにおけねーよな。いつのまにあんな子たらしこんでたんだ?あれ女子高だろ」
「(仮にも昔馴染みに、もうちょっと言葉選びなさいよ)」

 伊角くん。その隣には、女の子。遠くてはっきりとは顔を見ることはできないけれど、とてもいい雰囲気だ。付き合っているかなんて一目でわかる。
 しばらくぼうっと見つめていると、視線を奈瀬に戻した和谷が口を開いた。

「なー」
「なによ」
「もし今度進藤にもフラれたら俺が付き合ってやろっか?」

 数秒見つめ合って、ふたり同時に吹き出した。あまりにもあまりだ。
 冗談でしょ、なんてあまりにもくだらなくてつっこむのも忘れていた。
(20051017)