…見てしまった。


 キス、していた? 奈瀬と進藤が?





 心臓の音が体中で大きく鳴っている。見てはいけないよ、と言われたものを見てしまった気がした。激しい後悔。
 いやもちろん故意の出来事ではなくただの偶然だ。
 和谷に、奈瀬が屋上へ行ったと聞いたから。前にちらっと会話の途中で、奈瀬が挙げた欲しいCDリストに入っていたアルバムを買ったから、貸してやろうかって。ただそれだけの報告をしようと思っていただけだったのだが。

 なんだって、こんなものを見なきゃならなかったのか。偶然でなくとも、むしろ避けたいような光景を。


 奈瀬が、だって?
 奈瀬が。


 音を立てぬよう気をつけながら、小宮は屋上の階段を降りた。
 動揺してうまく頭が働かない。

 今朝の話では、奈瀬は伊角にふられたらしいと和谷から聞いた。
 昨日、昨日だ。昨日ふられて、だから今日はへこんでるんじゃないかって聞いて。
 だからCDの話題を理由に、様子見しようと思っていただけなのに。

 もう、次は、進藤と?
 確かに進藤と奈瀬は、去年同じクラスで仲が良かった。それは同じクラスだった自分も良く知っている。でもそれは決して、恋人になりそうな予感とか、そんな気配を感じ取ることが出来るようなものではなかったのに。

 それに、いくらなんでも…。
 早すぎやしないか?


 しかし小宮にはこの動揺の原因が、奈瀬の変わり身の早さによるものではないことに、すでに気づいていた。















「おー小宮!どうだった奈瀬は」

 いつもと同じ笑い方で、和谷が片手をあげて聞いてくる。最悪だ。
 いや、最悪なのは和谷じゃない。…じゃあ誰だ?何が?

 無意識のうちに舌打ちしそうになるのをこらえ、ひどく曖昧な笑みを口元だけに浮かべた。
 まさか。言えるわけがない。いいや、むしろ奈瀬のことはどうせすぐに和谷にだって知れるだろう。
 それより問題なのは、その奈瀬を見てここまで動揺している自分なのであって…。

「奈瀬、いなかったからさ」
「? そーか、屋上行ったと思ったんだけどな」
「まー、どーせそのうち顔合わせるしな。そんときにでも慰めてやんよ」

 なんだか和谷と長い時間話していることができなくなり、早々に切り上げクラスへ戻っていった。

 冗談じゃない。なんだこの妙な気持ちは。
 仲のいい、クラスメイトだっただけじゃないか。ただの、クラスメイト。
 自分には今同じクラスに好きな子がいて、もう少しで付き合えそうな、そんな雰囲気。

 …ではこの説明しようのない妙な気分はなんだろう?

 慌てて教室中を見渡した。
 いた。そう、自分はあの子のことが好きで―――…、


 …違う。
 

 小宮はようやく、奈瀬のことで動揺しきりの胸中に、あるひとつの結論を出した。












「おっす」
「ああ、小宮?」

 呼ばれた声に反応して、奈瀬は小宮を見上げた。
 自分の席についたまま、帰りの身支度をしている最中だった。

「なぁ、これからちょっと時間あるか?」
「これから? うん、別にいいけど…ちなみに用件は?」
「ちょっと話したいことあんだけど」
「フーン」

 ちょっと待ってて、と急いで荷物をかばんに中に放り込んでいった。
 奈瀬は内心、ああきっと例の失恋の慰めでもくれんのかしらとぼんやり考えていた。

 和谷とは違って、小宮はどういうことに関してわりとマメだった。確か前にも、彼氏と別れたとか泣きついたら、へたな慰めの言葉くれたっけと思い返すと、思わず奈瀬は笑い出しそうになるのをこらえた。





「それで何よ?話したいことって。愛の告白とかだったらやめてよねー」

 急いでいたわりには、陽も暮れかけていた。教室から出る前や、下駄箱に行くまでの間。すれ違う知り合いに声をかけられては、ぐだぐだと付き合っていたからだ。

 小宮は、きゃははといつもと同じように笑う奈瀬と、今日は一緒に笑えなかった。
 そもそもその冗談は今の小宮には笑えるものではなかった。それが今日胸中で下した結論。


「伊角さんにふられたって?」
 奈瀬は少し大げさにうなだれてから、やっぱり、と盛大にため息をついた。
「まったく、あたしにはプライバシーってもんがないのかしらって思わない?和谷のバカが次々に大声で言ってまわるから、今日のあたしは会う日と会う人に哀れな目で見られてわびしかったわよ」
 言っているその内容とは裏腹、お世辞にもわびしそうには思えない口調だ。

「なんか今日よくしゃべるな」
「?そう? そーやって傷心ごまかしてんのかもね。なんちゃって」
「…傷心?」
「そりゃ少なからずは」

 ?と疑問符を浮かべたままの表情の奈瀬は、小宮のつっかかりにしっかり反応できなかった。
 小宮にしては、あまり優しくない口調だったにもかかわらず。
 
「…あのさぁ、」

 なんだか笑えない雰囲気を感じ取って、奈瀬は緩んでいた頬を正し、小宮を伺うように見た。


「進藤に慰めてもらって元気になったからだと思ったんだけど、俺は」

 ああ、と言ってから少し後悔した。別に責めるつもりで話をしたかったわけではないのに。
 それでもどうしてもおもしろくないと言う気持ちが前に出てきてしまう。


「み、てたの」
「…おまえのこと慰めよーと思って行ったら、たまたま」
「…」
「別に悪いことしたわけじゃねーんだからそんな顔すんなよ。勝手に見ちまった俺は悪いとは思ってるけど…」

 言うべき言葉が見つからず、口をぽかんと開けたまま立ち止まっている奈瀬の背を押しながら、校門脇の植え込みに腰掛けるよう促した。
 幸い、奈瀬がぐずぐずしていたおかげで下校ラッシュは乗り越えたようだ。遠くで野球部だかサッカー部だかの練習の声が聞こえている。



「…変わり身早いよねー。自分でも思う。昨日ふられといて今日にはもう別の男と?とか」

 しばらくして、ため息混じりに奈瀬が口を開いた。口元は笑っていたが、目元は今にも泣き出しそうだった。

「けどなぁ…。好きだと思ったんだけどな…」

 わかんないや、と肩をすくめるようなジェスチャーを一度すると、立ち上がって小宮を振り返る。

「成り行きって言われたらそうかもわかんないけど…うん。一応、付き合うようなことに、なった」
「…そっか」

 今度は奈瀬に変わって、小宮がほんのり泣きそうな声を出した。しかし奈瀬がそれに気付くこともなく。

 奈瀬を思えばこそだ。とりあえず失恋から立ち直るいいきっかけになるのなら、とまるで健気なことを思っては、なんとか心を落ち着かせる。
 そうだ。奈瀬に泣かれるのは困るし。それを裂けるために必要な、、、我慢?

(んなこと言ったって何もこんな方法じゃなくたって、)

 しかし無理にでも納得しなければ、そのうち、なんでキスの相手が自分じゃなくて進藤だったのだろうとか、とんでもない方向に怒りの矛先が向けられてしまいそうだったので、ひとまず落ち着く。
 うん?怒りって、なんだ?
 進藤は悪くない、はず、なのに。奈瀬だってそうだ。

 そもそも自分には関係のない範囲で行われていたことなのだ。たまたま目撃してしまったと言うだけで。
 しかしそう思うとやけに悲しくなった。


「ごめんね、なんかへんなとこ見せちゃって」
 奈瀬のあまり元気でない声にはっとして、急いでいつも通りを取り繕う。
「いーけどよー。学校とかでどうどうとしてんじゃねーよ。俺だからよかったけど、それこそ和谷なんかに見られてたら大惨事だぞ」
「うわ、想像しただけでこあい」

 笑う奈瀬をよそに、ずきずきと痛む胸がしんどかった。
 紛らわせる何か、と考えて真っ先に同じクラスのあの子の顔が浮かんだけれど、恋をする気にはちっともなれなくなっていたことに驚いた。

(こんだけいつも通り装ってられんだから、助演男優賞くらいはもらえんだろ)

 なんてくだらないことを考えては、立ち上がり奈瀬の後に続いた。


(040313)