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「奈瀬聞いたか? 冴木さんたばこ止めるんだって」
和谷の言葉に顔を上げると、別れを惜しむような顔をして胸ポケットからタバコの箱を取り出している冴木がいた。
「なんで」
「さー、なんか思うところがあるとか言ってるけど。聞いてなかったのか?」
奈瀬の問いにはやめる理由と言うより、それをなんで自分に報告してきたのかと言う疑問を答えを求めていたのだが、もう一度聞きなおすのが面倒になってやめた。
冴木は取り出したタバコを観念したように机の上に置いた。あとから取り出したかっこいいジッポーライターも一緒に。
「ほら、禁煙って、宣言しないとできねえって言うじゃん」
「そうなの?」
「らしいぜ、だからわざわざここでやめます宣言したんだって」
ああそういうことかと奈瀬は納得して、視線を冴木からまた週刊碁に戻した。えっと何手目まで見たんだっけ?
しかし探し当てる前に、再び邪魔が入った。
「奈瀬ちゃん」
やけにさわやかな笑顔で、冴木が顔を近づけてきた。
なぁに、と言うと先ほどしぶしぶ別れを告げたタバコとジッポー。
よくよく見てみると、たばこも見たことがない銘柄だった。こんなのどこで見つけてくるんだろう。
「預かっててくんないかな」
「やーよ、あたし冴木さんの禁煙生活なんて興味ないもん」
「だからこそじゃん。ね、頼む」
「…もー」
冴木がしぶしぶ別れたたばこを奈瀬がしぶしぶ受け取った。
冴木はまたにっこりと笑うと、頼んだよ、とだけ言った。
(人に預けないで捨てちゃえばいいのに)
そもそもたばこなんて別にやめる必要ないのに。
健康でも気にしだした?
とは言え、碁打ちである以上、大げさでなくたばこは切っても切れない縁であると思う。
強くなるために碁会所へ通えば、いやでも子供の頃からおじさんたちの煙に慣れなきゃやってられないし、その影響かどうかはしらないが、将来たばこを吸い始める人間だって少なくない。今だってプロ棋士何人かの顔を思い浮かべてみるが、みんなたばこを吸う姿が自然とリンクするくらいだ。
本当に健康を気にするのならむしろ碁打ちをやってる以上難しいのでは、と奈瀬は思ったが、しかし冴木がそこまで健康に気を使っているようには思えなかった。
(まぁ、いいけど)
受け取ったたばことジッポーをなんとなく眺めた。何で持ち物いちいちかっこいいんだろう?
そしてそれらを手元に置くと、再び視線を週刊碁に戻した。
「冴木さん、ハイ」
数日後、棋院で冴木を見かけた奈瀬は、あいさつもそこそこ、手を差し出すよう冴木に促した。
「ハイ?」
「ミルキーあげる」
冴木の手に転がったものは、ぺこちゃんマークのミルキーがふたつ。
「あらどうも…なんでこんな甘ったるいものを」
「口さびしいかと思ってサービス。残念ながらあたしはミルキーしか持ってないのです。ほら、あーん」
冴木の手にこぼしたミルキーをひとつ取り上げると、奈瀬は包み紙をはがし、言われるまま開けられた冴木の口にそれを放り込もうとして、止まった。
かすかににおった、スモーカー特有のにおい。
「…ねぇ、」
「あ、の、さ、今度の金曜また和谷んとこで」
「…ヤニ臭くない?」
誤魔化そうと必死に話題を出すも、決定打を食らわされ思わず黙り込んでしまった。
めずらしく形勢不利な状況にいる冴木を見るのがおもしろくなって、奈瀬もたたみかけるようにどんどん攻める。
「禁煙宣言したの確か3日前よね?」
「…ウーン、奈瀬ちゃん、ミルキーちょうだい」
「うーわ、呆れた。ちゃんとするためにわざわざみんなの前で宣言したんじゃなかったっけ?」
「、えーと」
「あたしにわざわざ預けたってやっぱり意味ないじゃん。これ返す」
かばんからがさごそとたばことジッポーを取り出して突き出すが、冴木の大きな手で押さえ込まれる。
「やーん、持っててよ」
「なんで」
「ミルキーいただき」
冴木は奈瀬の指ごとミルキーをいただくと、せわしく舌を動かし口中に転がした。
甘い味が広がる。今すぐうがいがしたいと冴木は思った。
「あまぁい…、」
「なによ、ごまかしたって」
言葉の続きは口の中に溶けて消えた。
思い込みのせいか、心なしかヤニ臭いミルキーは、冴木の舌から奈瀬の舌へ転がって移動した。
「奈瀬ちゃぁーん、好意は嬉しいけど俺もうミルキーはいいや…」
いやいやいやいや。
奈瀬は返す言葉が見つからず、眉をひそめて冴木を見やる。
つまりはキスをされて舌まで入れられた気がするのだが。
もちろん恋人同士のするそれではなく、ただ単にミルキー運輸のための行為だったのかもしれないが。
…結局うまい返しが見つからず、平静を装ったふりをして普通の顔で普通の質問をした。
「なんでたばこやめようと思ったの?」
奈瀬の言葉に冴木にもとくに変わった様子は見られなかった。やはりただの運輸だったのだろうか。
「奈瀬ちゃんこないだ、たばこ吸うやつむかつくって言ってたじゃん」
「…別にむかつくなんて言ってないし、むしろそんなたばこ嫌いなら碁打ち止めるわよ。好きじゃないけど慣れるしかないじゃない」
「そうだっけ?」
「そ。それに別にいい男は吸ってて絵になるからそれはそれでいい」
へぇ、と冴木が笑う。奈瀬はいつもこの笑みを見るたびに、耳の裏に息を吹きかけられたときと同じような感覚に襲われる気がしていた。
ぞっと、する。ううん、ぞくぞく、する?
「いい男の定義に俺は含まれているのかしら?」
「さぁ?」
「うーん、そっか。じゃあ含まれるようになったらそれ、返して」
冴木は奈瀬がつき返したたばこを指差しながら、それだけ言ってその場を後にした。
(…イマドキの子はキスなんかじゃ動じないのかなぁ?)
なんて、彼に不似合いな、ひどく弱気なつぶやきをため息に乗せながら。
(2003/11/10?)