森下師匠の長男の結婚式に参列した。
年下だし、こう言ってはなんだが、地味めで大人しそうな彼にしては、ずいぶんと思い切った決断だと思った。
父の後は追わず、一般企業のサラリーマンとして就労し始めて、3年目のことだった。
「結婚かぁ〜…」
お決まりのキャンドルサービスで各テーブルを回る新郎新婦を拍手で見送りながら、思わずぽつりと声に出してしまう。
結婚式や披露宴の類への参列は初めてではない。
だが年下の、それもだいぶ子供の頃から知っている人間のそれとなると、少し構え方も異なる。
なんだか考え込んでしまう冴木の隣の席には、やはり昔馴染みの和谷。
「冴木さんもそろそろ覚悟決めたら?」
それでなくともここ数年、やれ見合いだのなんだの、師匠のおせっかいが激しいというのに。
今日も何度となくビール瓶を片手に卓に現れては、次はお前だのなんだのとせっつかれている。
確かに門下の中では、そろそろ自分の順番か…という実感がないわけではないが、こればかりは。当人だけの問題ではないし。
自分の両親がなまじ放任主義すぎるおかげで、少々うっとおしく思ってしまうのもまた事実。
「話、しないの?これからのこととか」
和谷が言いたいのは。
さすがにこのくらいの歳になると、やはり現在付き合っている恋人との将来を考えるのが現実的である。付き合いが長ければ、なおさら。
今更新しい出会いを求める元気も体力もやる気もないというのが、本音である。
もちろん、とりたてて大きな(別れ話につながるような、)不満があるわけでもないのだが。
「しないわけではないけど」
何杯目かのビールをちびちび飲み込みながら。
いい加減、烏龍茶にでも切替たいのだけれど、飲み切る直前に師匠が現れては、コップになみなみと注がれるビール。
何度となく話している。ぼんやりとは。同棲だって、将来を見越してのことだし。
でもお金がないとか、タイミングを逃したとか、かなり言い訳めいたことを言いながら濁し続けているのも事実。
幸い向こうも、それほど形式には固執しないようだし。
…口にしないだけだとしたら別だが。
「ていうか、お前はまず相手探せよな。このままだと順調に森下家婿入りコースだぞ」
冗談のような本気のようなニュアンスで言えば、和谷が慌てて親族席のほうを振り返るものだから、笑いながら頭を小突く。
披露宴を終え。
ずしりと重い引き出物を左手に、帰路へつく。
二次会へも声をかけられたが、友人メインで気兼ねなく楽しんで、と遠慮した。
「ただいま」
ドアをゆっくりと押し開けながらのそれは、聞かせるつもりで言ったわけではなかったのに、だがしかしきちんと届いていたらしい。
「おかえりなさい!…あれ?二次会出てこなかったんだ?」
「んー、あーゆーのは気の合う仲間でやったほうがいいかと思って」
出る前にピカピカに磨いた革靴を脱ぎ、下足入れへ。収納が少ないので(というか彼女の靴が溢れ返っている!)、活躍頻度の低いものは一番奥。
「そっちこそ、今日は遅いんじゃなかった?」
いるとは思わなくて。
どさ、と荷物を置いてネクタイに手をかける。
さすがに師匠の子息ということもあり、なんとなくいつもよりきちんとした服装を心掛けた慣れない白ネクタイ。実はわざわざ購入した。
「指導碁がなくなったの。どっか出掛けようかとも思ったんだけど、億劫になっちゃって」
髪をうしろでひとつにまとめた、エプロン姿の彼女がようやくキッチンから出てきた。
今は17時近く。夕飯の支度だろう。
「なんか久しぶりにきちんと料理してみたくなって。冴木さん、夕飯は?」
「二次会パスしたからなにかあるならちょっとつまみたいかも」
「良かった!しっかり作ったのにひとりで食べるの、ちょっと淋しいと思ってたんだ」
引き出物はやはりというか、これまた定番のルクルーゼ一式。
しかしながら彼女がそうだといいなと希望を込めていたので、むしろ良しとする。
ちょうどタイミング良く、友人の家で出されたラムカンに心奪われていたらしい。
重たくて持ち帰るの大変だったけど!
きちんと料理した、と言うだけあって、食卓にはそれなりのボリューム。
ちょっとつまもうかな、なんて言っていたが、披露宴の料理が意外にも(?)気取ったフレンチだったのと、そなのに水のように飲まされたビールのおかげで、食事はあまり堪能できなかったこともあり、なんだか不思議と食欲が湧いてくる。
「式はどうだった?」
「ん〜、いい式だったよ。大体普通だったし」
あまりにも素直に感想を述べると、うわぁと非難めいた声。
そっちこそ、気にしているのは師匠の涙の行方のくせに!
彼女が夢中のルクルーゼをはじめ、大半はおそらく新婦側のプロデュースであろう。世の多くのカップルがそうであるように。
付き合いは長いが、まさかあの彼がハートのラムカンをチョイスするなどとは到底思えない。何より師匠がどう思ったか、気になるところだ。
だが、披露宴のだいたいがいわゆる、な様子を察するに、若い新郎新婦(というか主に新婦)の譲歩の影も見て取れた。
「奥さんもかわいらしいひとだったし」
「ふうん? 若妻に心奪われたんだ?」
「もしもし?」
その若妻よりもっと若くて か わ い い お嬢さんが目の前にいるんだけど!
しっかり煮込まれたポトフのじゃがいもがホクホクでおいしい。
念願のラムカンを広げて嬉しそうな彼女を眺めれば、なんだかこちらも嬉しい。
「しかし、こんだけラッシュで大枚はたいてるけど、どんだけ回収できるんだろーな」
冴木にしてみれば、ただの会話の流れだった。
年齢的にも、やはり周りが身を固め始めているのも少なくなかったし、彼女もまたしかり。
ご祝儀ビンボーまっしぐら!なんて、よくこぼしている。
「意外」
「なにが」
「回収する気あったんだ」
「…あれ?」
まさかの一方通行?
確かに逃げ腰では、あるかもしれない。和谷の言うように、いつまでも覚悟は決められていない。
でも、目の前の彼女とずっと、楽しいこと辛いこと嬉しいこと悲しいこと、たくさんのことを経て生きていきたいと思っているのは本当のこと。
…そこまで真摯に考えたことあったか?それはちょっと大げさだったかもしれないけれど。
「…非難?」
「…いや、自分のこととなると、途端に現実味が湧かないというか」
そんなのこっちだって同じである。
むしろ、こちらこそ。
とある女性の苗字を変えてしまう責任。
「考えたことないわけではないけど、なんかフィクションみたい…」
「あのねー、夢じゃないので、いつまでも楽しくふたりぐらしなんてのもね。変な話、世間体もあるし」
森下師匠とか。
「もう奈瀬ちゃんでいられるのもあとちょっとかもよ」
なんてことを言ってみれば、目をまんまるくさせて驚くものだから、こっちこそ驚いてしまう。
あとになって思えば、もしかしたらそれは逃げ腰だった自分の尻を叩く作戦だったのかも、と思わなくはないが。
少なくとも、お互いの自覚の足りなさに冴木が焦り始めるのに、間違いなくこれがきっかけと相成った。
(20100407/同棲冴木奈瀬)
確認のために読み返したら、長男は結構トシいってるぽい。冴木と同じくらいか、上にも見えた。
言い訳をすると、しげ子があのトシだからと思って、テキトーに書きすぎた\(^o^)/