( か が て つ お )
聞いたばかりの名前を、気がつけば予備校の講義ノートの端に走り書きしていた。
(…バカじゃないの)
はっとしてとたんに恥ずかしくなって、消しゴムで一気に消してしまう。
軽く走り書きした文字は、筆跡すら残さない。まるで、最初からこのとおりきれいでしたとも言わんばかりに。
こんな風に、胸に巣食う想いもいっそキレイさっぱり消えてなくなってしまえばいいのに。
どうしたことか、奈瀬明日美、こともあろうに出会って3時間の男にずっと気を取られている。
そもそも声を掛けたのは、隣にいたのが進藤であったからだというのに、もはや進藤とどんなやりとりをしたかがすっぽりと抜けてしまっている。
授業もちっとも頭に入らない。なんてことだ。あんなあからさまな不良に、どうしたことか。
そして再会は突然だった。
数日後の日曜、駅から棋院へ向かう途中で、いやに似合ったバイクにもたれるようにして立っていた。むしろ、待ち構えているように。
気づいたときには、かがてつおはもうこちらを見ていた。
なんて挨拶をすべきかと思案している間に、「よー」、なんてまったく気の入っていない声が聞こえてきたので、それにならって「よー」と返した。
「進藤、今日棋院に来る予定でもあるの?」
「んー?」
疑問は疑問で返される。なんとなく近寄ってみた。嘘だ。本当は姿を確認するなり駆け寄りたかったのだと思う。だけれどがっついてると思われたくなかったから、まるで平静を装って。
「そういうわけでも」
「じゃあなにやってんの? こんなところで誰かと待ち合わせでも?」
「なあ、あんた」
言葉をさえぎって、すっ、と近づいてくる顔。
まるで無遠慮に、他人のテリトリーにずかずかと上がりこんでくるタイプだ、このテの人種は。
「俺のこと好きなの?」
ほとんど確証めいた言い方で。
好き、と言う言葉は、彼の口から聞こえるだけで、なぜだかひどく陳腐に思えた。
いつもはもっとずっと甘くて魅力的なもののように思っていたはずなのに。
どうしてか。
あるいはそんな言葉では片付けられないほどに、昇華してしまったか。
そもそも、一体いつ悟られたのか、あるいは。
(まさか…?)
同じ気持ち、だとでも?
「ねえ」
シンキングタイムなど与えられるはずもなかった。
さて、奈瀬明日美、どう答える。
(061015初出/5周年記念企画)