顔の火照りがちっともおさまらない。
 あんな熱っぽいキスをしたのは生まれて初めてだった。

 キスひとつでなびくとはまさか思っていなかったが、あんな気持ちでした口づけを、勘違いするなといわれたほうが、無理だ。


 あの一件で和谷を嫌いになったわけではない。
 むしろ申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 それでも。
 
 あの日の別れ際、なかなかつないだ手を離せなかったのは、事実であったわけで。





 結局和谷とは近いうちに和解した。
 と言うか、もう許さざるを得ない状況だった。

 勿論のこと電話やメールでもう二度としないと誓わせたし、実際会っても謝られた。もういいよと思うくらい、必死に。

 
「冴木さんからすげー怒られたんだ、ほんとに、ほんとに悪い!!」


 このせりふを聞いてから、まったくなにがなんだかわからなくなってしまった。

 あの人がどうしたいのか、させたかったのか。
 さんざん人の心引っ掻き回しておいて、結局あれはあの日だけのちょっとした出来心だったとでも言うのか。

(…あんな否定してたくせに、)

 
 とてもじゃないが納得し切れなかった。
 間違っていることを正されただけなのかもしれない。だがそれは気持ちが落ち着いたときに思ったことであって。

 そのときの奈瀬の頭はそこまで優秀な回転をしてはくれなかった。





 自分から会いに行くことはできなかった。
 電話番号も知らなかったし、もちろん家も知らない。

 ただ会えるのを、待った。ずっとずっと。




 和谷に冴木の来る日を聞きつけ、いつもなら絶対参加しない勉強会に無理やり居座った。

「…あぁ、今日奈瀬ちゃんいたんだ」
「奈瀬のヤツ今日は居座るってうるさくてよ、」

 冴木と和谷の会話のテンションは明らかに温度差があった。

 冴木のそれはどこか冷たく、あぁ困ったなと言うのが目に見えたし、一方和谷は、まったく恋人のわがままは困ったものだとどこか楽しそうで。

 奈瀬は冴木のほうしか見ていなかった。おそらくどういう意味なのかは、冴木もわかったのだろう、何度も奈瀬を見ては目が合い逸らす、その繰り返し。

 勉強会の最中、奈瀬は一切口をはさまなかったが、途中こっそり冴木に自分の携帯を手渡した。
 『話したいことがあるんですけど』と打ったメール本文の画面を開いたままの状態のそれを見た冴木は小さく頷くと、誰にも見つからないようにまたそれを奈瀬の手にそっと握らせた。







「じゃあ俺、明日早いからもう帰るわ、」
 冴木がそう言って立ち上がりながらちらと奈瀬を見た。
「奈瀬ちゃんも遅くなるし、平気? もし今帰るならついでだし送ってくけど」

 和谷がもし一瞬でもおかしな顔をするならもちろん別のタイミングで抜け出すつもりだった。
 しかし自分のことに熱中しているせいか、やはり反省したとはいえいまいちどうもわかっておらず、すんなりじゃあなと言ってくれた和谷に今日ばかりは感謝した。

 ふたりでそろって和谷の部屋を出て、冴木の車に乗り込んだ。



「…えーと、何から話そうか」

 しばらく車を走らせて、和谷のアパートから少し離れたところに停まると、冴木が切り出した。

「いいわけとか、何もないですか?」
「…いいわけかぁ、」
「少なくともあたしの中で冴木さんという人が、ああやっぱりね、っていうコメントで片付けられていきそうなんですが」
 ことばに詰まる冴木を見て、さらに奈瀬が迫った。
「それはそれでいい、なんて言わないで。あたしは、それでも…、」

 言いかけたことばを言わせてくれなかったのは、やっぱり先日見せてくれたやさしさがが気の迷いではないことを示してくれているようで、なぜだかほっとした。
 とはいえ、冴木は相変わらず確信めいたことをひとつも言ってくれないし、奈瀬の投げかけてくる問いにもまともな答えも返してくれない。

 結局この人に心をかき乱されて、だけれどどうしても冷静になれないのは。


「…悪かったとは思ってるんだ」
 こんな弱気な冴木の顔を見るのははじめてで、奈瀬は内心どきっとした。

「あの時はもうね、大人気なかった、と、思う」
「大人気なかったって、」
「感情的になりすぎていたというか、あまりにも思ったまま行動しちゃったんだよね」
「…じゃあやっぱりただの気の迷い?」
「ちょっと聞いて、」
 冴木は奈瀬を制すと、一度すう、と息を吸った。

「本当ならやっぱり和谷の味方というか、手助けをしてやらなきゃならないのに、逆に奈瀬ちゃんをそそのかしてしまったと言うか」

 普段の冴木にはあまり見られないような、不安定な様子が伝わってくる。
 ふたりきりの車内。夜半聞こえてくるのは、カーステレオから流れ出るかすかな音楽と、お互いの息遣いと。

「奈瀬ちゃん」
 その声は、今日一貫して聞いていたどこか弱気な声ではなく、この前奈瀬を励ましてくれた冴木の声だった。

「俺の気持ちはうそじゃないよ」


 涙があふれて止まらなかった。




(2008/08/14up)
これたぶん気の迷いは奈瀬たんのほうだよね。
続きは書く…かなぁ?