変な不良にまとわりつかれている、みたいなうわさは少し耳にしていた。
 でもまたどうせいつもの悪い癖、誰にでも愛想を振りまいてたせいで勝手に好かれてるんだろう、くらいにしか思っていなかったわけで。


 こないだ奈瀬がたのしそーに笑いながら、例の不良と歩いてるの見たぜ


 それを和谷から聞いた瞬間、思わず硬直してしまった。
 なんの反応も返せず、和谷に不審がられるまでそんな自分に気づかなかった。



 好き好き言ってたじゃないか。
 
 わかってる。いい気になっていつまでも返事をあげなかったのは、悪いとは思う。
 だけどずっと用意しておいた答えはYESだったし、それは言わずともそこそこわかってもらえるようなニュアンスで包んでいたと思うのだけれど。


 勝手な言い分かもしれないが、今更、方向をかえるだなんて。
 虫が良すぎる。それはちょっと違うんじゃないのと、思ってしまうのだけれど。





「あ、冴木さんだ!」

 いつもならなんの障壁もなくニッコリ笑って迎えてやれるのだが。
 どうも素直に喜ぶことができず、せいぜい曖昧な笑みを浮かべるにとどまった。

 ふたりきりになれる時間は嬉しいだけの時間だったのに。

 まったくこんな気にさせた本人は何のお構いもなしに、いつものおんなじ笑顔を向けてくださる。


 今日は和谷の家での勉強会。
 冴木は和谷の都合上鍵を預かって本人のいない部屋に先乗りしていた。
 幸か不幸か、珍しく早々とやってきた勉強会とは無縁の用事でやってくる奈瀬と、今こうしてふたりきり。

「和谷に聞いたの。冴木さんがひとりでいるよって」

 勉強会の予定の時間よりだいぶ早かったが、それでも冴木がいるならと奈瀬はこうしてやってきたのだ。
 つまりしばらくは誰も来ないし、来たって鍵さえ閉めておけば誰も入って来れないわけで。

 頭の片隅で小さく考えていたことが、突然表面積を広げ出した。


「碁でも打つ?」
「ううん」
「じゃあお話しようか?」
「なーに? なにかおもしろい話でも?」

 頻度は高めで不定期的に行われるこの勉強会では、碁を打たない奈瀬の座り位置は自然と決まっていた。
 窓際の壁に寄りかかって小さく座る。今日もいつもと同じように同じ場所へ。

 垂直に面する壁にもたれかかる冴木とは遠くも近くも無い、適度な距離。
 それでもいつもとは違ってほかに人がいないせいか、より遠く離れているような気さえする。


「聞いたよー、カッコイイ男の子と手ぇつないで歩いてたんだって?」

 聞いた話より少し誇張させて、いつもと同じように、つとめて明るく言った。
 どんな反応をするのか楽しみだった。そんなわけないじゃんと笑ってくれたら一番よかったし、悪乗りしてそうなのあたしね、と芝居がかった言葉を聞くのもおもしろいと思うし。

 ただ、明らかに肯定と取れる顔をしたまま、何もしゃべらなくなるのだけは。


「…だ、れから聞いたの?」
「…ほんとうなんだ?」
「別に、」

 別に、のつづきは待っても待ってもやって来なかった。
 
 いや、明るく。
 もしかすると軽く嫌味のつもりで。
 
 そんなテンションで言ったんだけど、言ったつもりだったんだけど。
 なんで浮気現場を取り押さえられた、みたいな顔してんの。
 俺ときみはまだ付き合ってもいないのに。

 ていうか、もし浮気に似通った自覚があるのなら。
 俺の気持ちが少しでも伝わっていたのなら。
 なんでそんな、別の男とニコニコ歩いてたりしたのかなぁ?


「彼氏?」
「違う」
「…どしたの、なんか不機嫌そうだよ」
「…ねぇ冴木さん、冴木さん、あたしのこと真剣に考えてくれなかったよね?」


 なんでそんな確認のような口調で?
 YESと言えば、ならいいよね、とでも言うつもりなのか?

 奈瀬はおびえるような目でずっと冴木を見つめていた。
 答えを待ち続けるその目は、時間を与えれば与えるほど弱気さを増していく。


「…随分勝手なこと言うよね」
「…だって冴木さん、いつもあたしのこと妹みたいだって言って…」

 奈瀬の肩を強く掴んで、壁際に押し付けた。
 冴木の目つきは見たことも無いとてもこわいもので、思わず奈瀬が逃げ出そうとすると、瞬間、手首をきつくつかまれた。

「ほんとに俺がいつまでも妹みたいな存在、としか見てないとでも思ってたの?」
「…いやだ」

 しかし奈瀬の抵抗はまったく通じなかった。
 がっしり掴まれた手首は、力をこめても、冴木の手を振り払うどころか動かすこともできない。

 妹みたいに、だなんて、女が男に「弟みたい」と言うのと同じニュアンスで受け止められたら、困る。
 妹みたいなもんだなんて、いつまでも男がそんな面倒見のいいことを言っていられるわけはないのに。
 そんなのは小学校、せいぜい中学校までの話。

 どんどん女らしく成長していくその体は、自分は面倒見のいい兄貴だなんて、硬派なことを言わさせてくれなくなる。
 
 だけれど突然にそれを壊すことをしたくなかったから。
 いつだってギリギリのところで。
 ブレーキをかけつづけていたのは、俺。


「なんできみは俺の返事を待てなかったんだろう?」

 ぐいぐいと迫ってくる冴木の顔に、思わず目を逸らす。
 見ていられない。キスのときでもなきゃこんなに顔を近づけることなんてきっと、ない。

「冴木さん…、」
 
 一瞬ぐっ、と顔が近づいて、キスをされるのかと思った。
 しかし一瞬目を閉じたすきに、冴木の唇は奈瀬の首筋を、這う。 

「…や、」

 体の自由が効かず、逃れることができない。
 なんとか動こうとしてみるのだが、結局もぞもぞと首を振るばかりで、妨害にもならない。

「や、め…てよ」
 やっと顔をあげた冴木が、すっかり涙目になった奈瀬の手首を解放してやる。
 もう押さえつけていなくても逃げ出すことは無いと判断したのだ。

「ごめんね、泣かせるつもりはなかったんだけど」
「…」
 今まで奈瀬の自由を奪っていた手で、さするように髪を撫でる。

「だけどわかって欲しいんだ、今までちゃんと言わなかったことはすごい卑怯だなぁとも思うんだけど」

 冴木はゆっくりと立ち上がり、それからまだしびれのとれない奈瀬の手首を今度はそっとつかんで、体を引き上げた。

「俺はね、奈瀬ちゃん」

 それはなんてびっくりするくらいせつない笑顔で。
 むしろ謝って欲しいくらい自分勝手なことをされたはずなのに、なぜだかこっちがごめんと言いたくなるような。

「ずっと好きだったよ」






 それはもっと違うときに聞きたかったし、もっと早く聞きたかった。
 泣きそうになるのをぐっとこらえて、促されるまま部屋を後にした。

 考えていたのは冴木に次に会うときにはどんな顔をして何をしゃべろうかとそればかりだったけれど、でもきっとたぶんそれは、向こうからその約束をされることはきっと、ない。



 和谷のアパートが見えなくなったとき、思わず立っていられずにその場に崩れ落ちて、泣いた。




(2003/08/20)
しかしいつも似たり寄ったりでごめんなさいねぇ。
電話をしましょうと設定は似てる…ので、いつかコッチでもてっちん(笑)のフォローを。
ていうかなんとかしてふたつ一緒の軸にできんかな…。難しいかな…。
ちなみに奈瀬が碁を打たないのは、別に「いとしのあの人といるのに、碁なんて色気の無いことするより楽しくしゃべりたいのー!」とか言う邪な気持ちがあるからってわけではないことだけわかってほしいです。
130局の奈瀬つんをずっと引きずってるの、あたし。
以前130局にからめたお話も書いたんですが、いずれアップしようと思って忘れてました…あはは、